file86 死の商人か命の使者か
サエモンは目を見開き、状況の把握を迅速に行った。
彼の情報処理能力は、常人の二倍はあると思う。
そんなサエモンでも、前方のジンバと背後のキクマを交互に見て、色々と推理を試みるが状況が全くわからなかった。
「どうして、あなたがここにいるのですか?」
サエモンはソファーから立ち上がり、廊下側のとびらの前に立ったキクマを見た。キクマは答えず、軽い足取りでサエモンの横を通り過ぎ、ジンバのとなりに座った。
「おまえも隠れてないで、出てこい」
キクマが廊下に向けてそう言うと、「別に隠れていたわけではありませんよ」とバートンも姿をあらわした。
「あなたまで……。いったい、何ですか? どうして、ここに?」
いつも冷静沈着なサエモンであったが、今回ばかりは何が何だかわからないまま、混乱していた。
「サエモンさん、申し訳ありませんね。彼らにも付き添ってもらいたかったものですから」
ジンバは落ち着いた声で、突っ立ったサエモンに言う。
「チーフ。お座りになられては」
プヴィールの方が冷静だった。
昔は頼りない男だったが、四十代を過ぎて、貫禄と落ち着きが備わり頼れる男へと成長していた。サエモンは部下の声にうなずき、キクマの斜めとなり、ジンバの正面に座った。
「改めて訊きますが、どうしてあなたがいるのですか?」
キクマととなりに立ったバートンを交互に見比べながら、訊くと言うではなく、問いただすように訊ねた。
「申し訳ありません」
深く頭を下げて、「ジンバさんからサエモンさんが今日訊ねて来るという話を聞き、同席させてもらうためにやってきたんです」とバートンは顔を上げずに答えた。
バートンの言葉を聞き、サエモンの頭は回転する。
どうして、同席するのか?
何を企んでいるのか?
理解不能だ……。
「サエモンさん」
ジンバはサエモンの心をくみ取ったかのように、「彼らは細胞をモーガンさんに移植して欲しい、と訴えているのです。私からもお願いします、彼らの頼みを聞いてあげてください」冗談を言っているようには聞こえなかった……。
モーガン? 確かモーガンとはこの村に住んでいるご老人ではなかったか? 以前、バートンはミロルに細胞を移植して欲しい、と言ってきたが、今度はモーガン? いったいどうなっているんだ。
「状況が理解できません……。あなた達はいったい何を言っているのですか?」
サエモンはいら立っている様子を露骨に表した。
「話せば長くなる。それでも聞きたいか?」
腕を組んでふんぞり帰っているキクマが言うと、「当然です。いったいどういうことですか?」とサエモン。
「俺はジョン・ドゥからある頼みを引き受けた」
「頼み?」
あの忌み嫌っていた殺人鬼から頼み?
眉をしかめるも、サエモンは更なる情報を待つ。
「母親を見つけてくれ、ってな」
「あなたが彼の頼みを受けたのですか?」
「ああ、事情があってな。――俺たちはあいつの母親を捜した。そして見つけた。モーガンのばあさんがそうだってことを突き止めたんだ」
「仕組まれたように、よくできた話ですね」
サエモンは皮肉りに言うと、「同意見だ」とキクマもうなずき、「だが、本当のことだ」と強く言う。
「それがわかったころに、運悪くモーガンのばあさんは倒れちまった。あいつの願いは、自分の名前を知りたいって子供じみたことだ。その名前を知っているモーガンのばあさんだけ。そのばあさんは、目覚めぬまま寝たきり」
そこまで聞いてサエモンはようやく話を理解した様子だった。
だとすると、この前まで元気だったモーガンは病気で倒れたのだろうか?
「つまり、モーガンさんを目覚めさせたい、と?」
「話しが早くて助かるね」
薄っすらと笑みを浮かべるキクマ。
そうか、そう言うことか。腑に落ちて、思考がまとまりはじめた。
「馬鹿を言いなさいッ! そんなことできるわけないでしょッ」
冷静沈着なサエモンから発せられたとは思えないほど、熱のこもった怒号だった。もし、ヴァネッサ夫人がいれば飛んで出てきたことだろう。
夫人はサエモンたちが来るということで、気を利かせて今朝から町に買い物に出ていた。今この家にいるのは、男たちだけということになる。
「あなたも知っているでしょうッ。怪物の恐ろしさをッ。あなたはそんな恐ろしいものを広げようとしているのですよッ。我々がどのような思いでこの二十年を送って来たのかも知らずにッ」
怒れるサエモンに怯むことなく、キクマは目をそらさず、真っすぐに顔を見ている。
「サエモンさん。それは違います」
サエモンはジンバにキッと鋭い視線を向け、「何が違うと?」と棘を含んだ声で問い返した。
「確かに使う者によって恐ろしい兵器になるでしょう。アルフレッド・ノーベルは人々の暮らしを豊かにしようとダイナマイトを発明したにもかかわらず、ダイナマイトを戦争の道具にされ、死の商人と呼ばれてしまった」
何を言い出すんだ? とサエモンはジンバを訝しむ。
「つまり、どんな便利なツールでも使う者次第でどのようにも転ぶということです」
「何が言いたいのですか?」
「私もつい最近まで、サエモンさんと同じ考えでした。戦争の兵器を研究している父を軽蔑すらしていた。けれど、この歳になって、父の考えていたこともわかった気がするのです。父はこの獣の力を戦争の兵器として研究していたのではないと思うのです」
「軍やマフィアに知識を提供しているのに、ですか?」
「それは研究資金が欲しかったからです。父が私に話してくれたことは、この研究が実を結べば、多くの人を救える、と言っていたのです。人を救うために人を犠牲にしていれば世話はないと思います。けれど、父は純粋に人のためを思って研究をしていた」
「こんな、殺戮の力でどのように人を救うというのです?」
「あなた達は身をもって知っているでしょ。獣の再生力を。獣は通常の武器では傷をつけることはできない。つけられたとしても、すぐに再生する」
「確かにそうですが、それと、人を救うこと、どう繋がるというのですか?」
「あなたもわかっているはずだ。この細胞は再生医療に使えるということを。父は母の病を治すために、研究を続けていた。この細胞を人間に適合させることができれば、重傷を負った患者でも、脳の大半が機能していない患者でも、不治の病を患った人間でも、救うことができる。少なくとも父は戦争のためではなく、これからの医療のために研究を続けていた」