file85 最低な父親か
脅す……?
どうやって……?
このことを知っているのはごく一部の人間だけだ。
細胞のことを漏らされたくなければ、自分たちに協力しろ、と……?
自分が知っている中では、チャップたち、キクマ、ウイック、ジンバ、そして自分。
「どう脅すというのですか……?」
バートンは緊張にこわばった舌をゆっくりと動かした。
「メディアに研究のことを話されたくなければ、自分たちに協力してくれ、とです」
ジンバは言葉の重みを噛みしめるかのように答えた。
「本当にメディアに話すわけではありません。そんなことをすれば、大変なことになりますし、我々の言葉などすぐにもみ消されて命が危なくなりますからね。今我々が生きながらえていられているのは、彼らの慈悲心からです。あなた達が他言しないという信頼があるから、自由でいられる」
キクマとバートンは眉間に深い皺を刻んだ。
「私に彼を説得させてくれませんか。来週の日曜日に彼らが、やって来ます。決して説得するから見逃してくれ、と言ってるわけではありません。
私は逃げも隠れもしない。ただ、彼の願いを、私は叶えてやりたいのです。それが自分のエゴイズムに彼を付き合わせてしまった、自己満足の罪滅ぼしです」
「本気か?」
「本気です。命をかけてもいい」
キクマとバートンは何も言わずに、ジンバの家を後にした。
当然夫人のアップルパイは忘れていなかった――。
*
日曜日、狐のように悪賢そうな顔をした男、サエモンはプヴィールという部下を連れて、ジンバ・ビルマという男の家を訪ねていた。
二十年前、ジェノベーゼファミリーのボスであるラッキーという男から、研究の話を聞きだした。いったい獣の力はどこから発生したものなのか?
それは遥か昔、神話の時代と言ってもいいほど昔から似たような事例が語り継がれている。北欧神話の伝承に登場する、異能の戦士たちがそれだ。
ここ二十年の調査でわかったことは少ない。どうして化け物が生まれたのか? それは人間を喰うことで、人間の力と知識を得た獣がいた。その獣を人間が喰らうことで、獣の力を得ることができる。
それが神話で語り継がれている狂戦士のこと。
一種のドーピングと言っていいだろう。
もう一歩踏み込んだ行為が、人間を襲い力を得た獣の肉を人間に移植することで生まれたのが、ジェボーダンの獣。
そして近代になって獣の細胞を人間に移植する行為で、完全な獣人を生み出すことができることを、ある研究者が突き止めた。
それがジンバの父である男だとわかったのは、つい最近のことだった。
ラッキーから聞いた話の発信源を辿ることでやっと、研究者の地元であるランゴー村を突き止めることができたのが、事件が起きたころだった。
「それでは、お話を聞かせてもらえますか?」
サエモンは前方のソファーに座る男を見据えた。
男の名はジンバ。獣の細胞を研究していた研究者の一人息子。
その研究者は、研究資金を得るため、ある大国から援助を受けていた。だが研究が実を結ばないと見限られ、莫大な財力をもつジェノベーゼファミリーに研究成果を売ったのだ。
ジェノベーゼファミリーは細胞と適合しやすいのが、子供であると知ると、孤児たちを集めて非人道的な実験を行った、という経緯がある。
細胞に適合できなかった子供たちは、化け物に姿を変えて各地の森に放された。そう、この村の守り神と語られている巨大な狼は、その放された獣たちの末裔に当たる。
不死性は薄れてはいるが、通常のショットガンくらいではビクともしなかった。間接的とは言え、すべてを引き起こした元凶と言っても過言ではない人物。
「何が聞きたいのでしょうか?」
「あなたのご両親のことを」
ジンバは言われるがまま、自身の両親のことを話した。
病気がちな母がいたのにもかかわらず、ジンバの父は研究一筋で家族などかえりみない男だった。母の病が悪化して、ベッドで眠っている時間が増えても、父は返ってこない。
時代は丁度第一次世界大戦前ごろ。
ジンバの父は、ある軍で生物兵器の研究をしていた。衣食住を保証する代わりに、実験体になってもいいという人物を募集して集まった浮浪者たちに、UB細胞を移植する。
UB細胞は大人には適合しにくい、何百人と集まった人々のほとんどが、適合できずに死ぬか、なりそこないになった。だが、一人だけ適合した人物がいた。後に大戦の英雄と称えられることになる人物だ。
幼いころ、大戦の英雄に何度かあったことがあるが、自分は好きになれなかったと記憶している。
研究ばかりで殆ど家に帰ってこなかった父なのに、母は愛想を尽かすことはなかった。父親らしいことは殆どしてもらった記憶はないが、かなりの仕送りをしてくれ、金に困ったことはないし、たまに帰ってきたときには、それなりに遊んではくれた。
世間一般の親子らしき会話というものはしたことはない。父は子供の自分にも構わず研究のことばかり話していた。父としては自分に研究を継いでほしかったのかもしれない。
だが自分は悪い奴らを捕まえる、という子供っぽい夢を小さなころから持っていた。いじめられている子がいれば助けに入ったし、泣いている子がいれば慰めてやった。
自分で言うのもおかしなはなしだが、人一倍正義感は強かったと思う。だから、警察という職業に憧れるのは必然的なことだった。
自分が成人する前だろう、父はある日あっけなく死んだ。
遺族に死因は教えられないまま、埋葬された。
だから今でも父が殺されたのか、不遇の事故だったのか、それとも病死だったのか、わからないままだ。
母も父が亡くなった翌年、自分が二十歳のころに、患っていた病に負けて死んだ。
父と母が死んでからも、月日は何事もなく流れ警察学校の成績トップで卒業し、犯人検挙数を死に物狂いで稼ぎ、自分は念願だった刑事となった。
そしてある政治家の息子を捕まえたことで、人生は暗転を迎えることになる、とジンバはあらましをサエモンに説明した。
「つまり、あなたは父親から研究の話を聞いているのですね」
「はい」
そこまで話したときだった、「そろそろいいか?」と重い男の声が廊下から聴こえたかと思うと、廊下側のとびらが開いた。
サエモンがジンバに向けていた視線を、背後のとびらに向けると、そこにはキクマが立っていたのだった――。