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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第一章 事件編 人と獣は交われない  
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file01 『二人の刑事』

 私は深い眠りの中にいる。深い、深い、眠りの中に……。

 バートン・テイラーは革張りのソファーにだらしなく座って、白い蒸気の立つコーヒーを飲んでいた。

 コーヒーの香りだけが、この汚い部屋に異質な空間を生み出している。


 それはまるで、臭いトイレの狭い空間に花の香りが充満しているような異質感だった。

 通気性の悪い空間に香りの強いものなど置いてはいけない、とバートンは思う。


 バートン・テイラーは刑事なのだ、年のころは三十を少し過ぎたくらいだ。

 若くも見えないし、老けても見えない、年相応の見た目をしていた。


 唯一、まとっている雰囲気だけは二十代の幼さが消えていない気もするが、誰から見てもおっさんと呼ばれる年齢になっていた。

 もう十年もすれば、貫禄が出てくれるだろう。


 刑事と言えば、堅苦しいスーツを着た生真面目な姿をイメージするが、バートンはスーツは着ているものの、ネクタイをしておらずどことなく、くたびれた雰囲気を全身からかもしだしている。


 スーツの色はブラックブラウンでバートンのけだるげな雰囲気と相まって、独特な雰囲気があった。


 背中から誰が見てもこのスーツを着ているのはバートンだと、すぐ分かるほどに彼に似合っているのだ。


「おい、聞いているのか」


 バートンの至福のときを、誰かの怒鳴り声がぶち壊した。

 声は大きくないが、腹に響くどすの効いた声だ。


 バートンはコーヒーのカップを右人差し指と、親指でつまんだまま、その人物に視線を向けた。そこに立っていたのは中年、小太り警部、キクマ・ランドーズだ。


 キクマ警部は日系三世だが、もう日本の血は薄れかかっている。

 血は薄れかかっているが、確かにアジア系の顔立ちをしており、ああアジア人だ、と誰が見てもわかる。歳はバートンよりも二十上で五十半ばになっていた。


 ベテラン警部。歳の割には、衰えは伺えず、歳を取るほどに磨かれる大人の男、というようなダンディーな雰囲気があった。


 若い頃よりも今の方が男として磨かれているのだろう、良い年の取り方をしたものだ、とバートンは常に思う。

 さぞ、若い頃はモテただろう。いや、今の方がモテるかもしれない。

 

 しかし、一向にキクマが女と一緒にいる光景を想像できなかった。いかつい顔をしているので、女の方が寄って来ないのだろうか?


「……何ですか、急に?」


 バートンはそういいながら、コーヒーをすすった。


「さっきから、呼んでいる」


 キクマはまるでマフィアのドンのように威厳のある声でいった。こんな仕事をしているよりも、この人はマフィアになった方がよく似合うだろう。

 

 今からでも遅くないのではないか。

 部下たちを引きつれ、豪華な革張りの椅子に足を組んでふんぞり返っている姿なら容易に想像できる。


 そんな警部に臆することなくバートンは、くたびれた態度を崩さずに答える。


「そうだったんですか、ごめんなさい。聞こえませんでした」


 すると、キクマ警部のこめかみに青筋が浮かぶのが見えた。

 正にドンのオーラを出している。バートンはこれ以上、怒らせてはまずいと思い、慌ててコーヒーをテーブルに置いて話題をふった。


「事件ですか?」


「だから、さっきから呼んどるんだ」


「……そうなんですか……聞こえませんでした……」


 バートンは革張りのソファーから、立ち上がり頭を掻く。


 バートンからは、キクマを見下げる形になる。

 バートンの身長は百七十五㎝より、少し高いぐらいだった、飛びきって長身という訳ではないが、低くもない、スーツが似合うくらいの身長だ。


「で、どんな事件ですか? 野良猫探しは嫌ですよ」


 バートンはおちゃらけていう。

 バートンたちがいる部署、特別捜査係、通称特殊係は通常の事件とは違う、変わった事件を回される。いわゆる怪事件だ。

 

 この署には厄介ごとはキクマに押し付けろ、という風潮があるからだ。それに付き合うバートンはいつも大変である。


 キクマは向かいのソファーに座り、バートンと向かい合った。

 何度も言うが、座る姿も威厳がある。

 バートンも、もう一度ソファに座り直し、話を待つ。向かい合っているだけで、気の弱い者ならプレシャーでつぶされるだろう。


「コーヒーでも入れましょうか……?」


「要らねえよ」と、キクマは短くいった。


 日本人の血が入っているでけあって、堅苦しい人だ、とバートンは思った。バートンはキクマ警部が話出すまで、コーヒーが入っていたカップを観察した。


 カップの、口を付けたところから、コーヒーが涙のように流れている。白いカップと相まって、ひときわ黒いコーヒーの色が際立っていた。


 上目遣いで、キクマを観察する。するともうすぐ話はじめることが分かった。長年の勘で、バートンはキクマが話はじめるタイミングが分かるようになっているのだ。


「山間にあるランゴーという村で連続殺人が起きている」


 キクマ警部は両腕を組んだ状態で語りだした。今までの温和な空気は消し飛び二人の間には、ピリピリとした空間が広がる。

 

 バートンはキクマの顔に視線を戻し。

 さっきまでの態度とは比べ物にならない、引き締まった声で答える。


「殺された? 殺人事件ですか」


「ああ、殺人だ、だが――犯人は人間じゃないかもしれん」


 キクマはソファーの手すりに体重を移しながらいう。

 人間じゃない、何を言っているんだ。

 

 この世界で一番人間を殺しているのが人間だ。

 殺人事件が起きたのであれば、犯人は人間と九十九パーセントの確率で決まっている。


 動物による犯行など珍しい、とバートンは思った。それに、獣による、事件ならなぜ自分たちが動かなくてはならないのか。


「人間じゃない? 人間じゃないってことは獣による犯行ですか?」


 キクマは体勢を正して、「ああ、歯形を採取したらイヌ科のものだったらしい」と鋭い目つきでいう。


「犯人は犬ってことですか? だったら、なぜ我々が動くんですか? 動くとしたらハンターでしょう」


「まだ犬とは決まっていない。俺も最初に持ち込まれたときはそう思ったが、その村の連中が奇妙なことを言ってたんでな」


 キクマ警部はテーブルの一点を見つめながら、何かを考える。


「奇妙なこと、とは何ですか……?」


 テーブルの一点に向けていた、視点をバートンに向けて、「ランゴー村の周辺では昔から、ある伝説があるそうだ」と、おどろおどろし気にいう。


 バートンは黙って、キクマの話を聞いた。キクマの話はこうだ。昔、ランゴー村の周辺では化け物がでるという噂があったそうだ。


 何人もの人が殺され、喰われた。

 村の人々は恐怖し、震えた。

 次は自分が殺されるのではないか、と恐れた村人たちは力を合わせて、その怪物を退治することにした。


 数日間にも及ぶ山狩りの末、ようやく巨大な狼を退治した。それからしばらくは、平和な時が続いた。しかし、恐怖は終わらなかった。


 新たな犠牲者がでたのだ。獣たちは人間の肉の味を知ってしまったからか、それとも犯人が他にいたからなのか、分からないが、それからも殺人は続いた。


 犯人を捕まえることができずに、年月が流れた。


「その伝説がどうしたんですか? たかが伝説でしょ、実際にあったことでもなし?」


 バートンは胡散臭そうに問い返した。

 狼人間などの話は信じても、バートンは幽霊や、怪事件など信じない人間なのだ。


「いや、実際にあった事件らしい。――今回の事件はその伝説に似過ぎてりゃあしねえか」


「何が言いたいんですか? 今から更に殺人が起きるって言いたいんですか」


「ああ、犯人は伝説に似せて、殺人を犯しているサイコ野郎の可能性もある。――昔、似たような事件があったんだ。その犯人は結局捕まらずに、今も逃走中だ。その事件を担当していたのが、当時三十代だった俺なんだ」


「警部が担当していた、事件だったんですか! 驚きです。警部が捕まえられなかった、犯人がいたんですね。――だけど、犯人は獣なんでしょ」


 キクマ警部は鋭い眼光をバートンに向けて、言い放った。


「最近(ちまた)で騒がれている、獣に襲われたっていう事件は今回の事件と同一犯の可能性があるとしたら」


 キクマは至って、真剣だ。

 それ以上、バートンは否定する気もない。

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