file80 上司の上司
「おまえがサエモンに保護されたって言う子供か……?」
キクマはマフィアのようにドスの効いた目を、ウサギやリスのようにクリリと見開いた。
「何がですか?」
「昔、あいつから聞いたことがある。ルベニア教会で子供を保護した、と。おまえはその保護された子供なのか?」
どうやらサエモンはキクマに何も話していないらしい。
サエモンの計らいで、バートンは特殊捜査係に配属されたのだが。
そのことは言うな、と釘を刺されているので、バートン今まで言っていなかった。
「そうです。僕がその保護された子供です。僕の他にも、僕の仲間も保護されました」
「おまえの他に保護された子供も、その細胞を持っているのか?」
「いえ、僕以外は持っていません。僕以外に適合した子供はいなかったんです。何でもその細胞と適合できるのは、ごく一部の人間なのだそうです」
「ああ、知ってるよ。俺の上司だったウイックって男もその細胞を持っていたそうだ」
この前話していた警部の元上司も……獣の細胞を……?
それは……どういうことだ……?
キクマの元上司も……実験台にされたのか……?
「だけど、子供じゃないと適合率が低いんじゃ……」
「ああ、だが、あの男は大人になってから飯を食うために軍隊に入り、そこで実験体になったそうだ」
つまり、大人でも適合の可能性はゼロではないということになるのか?
それは、希望のある話に聞こえた。
「警部」
バートンはハンドルに落としていた視線を、キクマに向けた。
「何だよ?」
「そのウイックという方は、ご健在でしょうか?」
キクマは探りを入れるようにバートンの目を覗き込み、「知ってどうする?」と訊き返した。
「そのウイックという方に会って、その獣の細胞の話を聞きたいんです」
「健在も何も、ピンピンしてやがるよ」
「近々そのウイックという方に会わせてもらえますか?」
キクマはしばらく思案していたが、「おまえをウイックに会せることで、モーガンを目覚めさせる活路は開けるのか?」とバートンの覚悟を試すような口調で問うた。
「わかりません。だけど、もしかすると何かを聞けるかもしれません」
「何かって何だ?」
「わかりません……。けど、何かは、何かです」
キクマは鼻を鳴らして、そっぽを向いた。
やっぱり、駄目か……と諦めかけたとき、予想外の言葉が返って来た。
「わかった。一週間後は暇か?」
「大丈夫です」
「なら、会せてやる。その代わり遅刻するなよ」
一週間後、キクマの元上司に会う。
いったいどんな人物だったのだろうか?
キクマの話を聞く限り、いい印象は受けなかった。
*
その日はこれいって仕事も回されることなく、家に帰った。
まず、子供たちに話さなければならないことがある。
「ケイリー、サム。一週間後、前に言っていたイスカって子供に会いに行こうと思っていたけど……、用事ができて無理になっちゃったんだ」
「え~……」
話を聞くなりケイリーは目に見えて落胆の意を示した。
「ごめんな。近い内には連れて行ってやるから」
バートンが頭を下げると、「わかった。約束だからね」とケイリーは釘を刺すように言った。
「ああ、約束だ」
*
一週間はすぐに来た。
実際なら子供たちと楽しくドライブをしているはずだったが、となりに座っているのはむすっとした顔のおっさん……。まあ、自分が望んだことなのだから、文句は言えない。
車を運転すること早二時間近くが経っていた。
キクマに支持されるまま、車を進めると民家の殆どない田舎の畔道のようなところを走っている。周囲見渡す限り麦畑。キクマはもう少しで着く、と言っているが疑わしい。
こんなところに住んでいる人がいるのか?
だとすれば世捨て人だ、と思ってから間もなくだった。田舎道の中間にポツン一軒家が建ってた。唐突に現れた感じで、魔物にでも化かされたのではないだろうか? と本気で心配になったくらいだ。
「ここですか?」
「だから言ってんだろうが」
「いや、まさかこんな田舎道に一軒だけ家があるなんて思わないでしょ」
キクマはバートンの話しに耳を傾けずに、車を降りた。
小さな家だった。木を組み合わせて作ったログハウスのような外見だ。周囲に家はなく、どこまでも続く田舎道と麦畑があるのみ。この道を真っすぐに進んだ先に、町があるのだろうが、不便極まりない家だと思った。
キクマはノックをすることなく、とびらを開けた。
鍵が掛かっていなかったようで、あっけないほどに簡単に開いた。まるで自分の家に入るかのような気安さで、キクマは中に足を踏み入れる。
「あの……警部勝手に入っていいんですか……」
バートンは敷居の手前で立ち止まって、呼び止めるが、当のキクマはずんずんと中に入って行く。
「おいッ! ウイックッ! いねえのか」
キクマは家中に響き渡る、重い声を張り上げたとき、「どこのどいつだッ」とバートンの背後からしゃがれた声が飛んできた。
バートンは飛び上がり、前のめりに倒れてしまう。
「何だよ。外にいたのか」
「てめえこそ、何だよ。来るなら連絡くらいしとけ」
キクマの元上司ウイックは、玄関に倒れたバートンを手に持っていた散弾銃でつつきながら、「こいつは誰だ? さっさとどけよ。中に入れねえじゃねえか」と唾でも吐き捨てるかのように言ったのだ。
「あ、申し訳ありません……。驚いてしまって……」
バートンは慌てて立ち上がって、道を開けた。
「おまえ、あの馬鹿の部下か?」
と皺とシミの目立つ顔をバートンに近づけて訊ねる。
年齢は八十代以上だろうか? だが老いは感じられず、とてつもない威圧感と若々しさがある。まるで年寄りの体に若者の魂が入っているかのようだ。
「は、はい……。はじめまして」
まじまじと見つめられるので、バートンは緊張にこわばった声を上げた。蛇に睨まれた蛙のように、動くことができない。
「近頃の奴はやわやわしてんな」
言い置いて、ウイックは家の中に入る。
足腰はしっかりとしているようで、危なっかしさは全然ない。
どちらかというと、自分の方が老人気質だ、と思うバートン。
「どこ行ってたんだ?」
「畑だ。家に戻ってみれば、知らねえ男がいるからよ。危うく撃つところだったぜ」
ウイックは手に持っていた散弾銃をキクマに構えて、「バンッ! てな」と冗談に思えない冗談を言った。
「で、おまえが訊ねて来るなんざ、何年ぶりだよ。何だ? 用事もないのに訊ねて来るはずもねえよな」
「話しが早くて助かる」
キクマは座っていいと言われる前に、リビングにあった背もたれのない椅子に腰を下していた。
「茶なんて出さねえぜ」
「ああ、いらねえよ」
ウイックは玄関前で突っ立っているバートンの方に向き直り、「おまえも、そこでボーっと突っ立ってねえで入ってこいよ」とめんどくさそうに言った。
「あ、はい。失礼します」
恐る恐る中に入って、椅子に座らせてもらう。
「用件だけ先に言え、何が目的なんだ?」
「おまえ、昔言っていたよな。軍に入って実験体になった、と」
ウイックの表情が瞬きをする一瞬で、厳しく変貌した。
「その実験のことを詳しく聞きに来たんだ」
ウイックの睨みつけるような厳しい表情に怯むことなく、キクマは言い切った。マフィアとマフィアのにらみ合いに、バートンの入れる余地はなかった――。