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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
終章 完結編 人に焦がれた獣のソナタ……
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file77 二十年の時を超え、三十数年の時を超え

 半生をかけて捜し続けた我が子の正体を耳にしても、モーガンでありアリシアでもある女性は表情を微動だにさせず、深い眠りの中にいた。


 語りかけ続けたが、目覚めない。

 そのときだった、病室のドアノブがひねられる音を聴いた。

 バートンは口をつぐんで、音の方に視線をやった。

 とびらのきしむ微かな音と共に、踵を打つ音が近づいてくる。


「モーガンさん、どうですか」


 という声と共に白いカーテンが引かれ、バートンたちと目が合う。


「あ、ごめんなさい。誰かが来ていらっしゃるとは知りませんでした。出直します」


 パイプ椅子に座ったキクマとバートンを見て、白衣を着た四十代後半ほどに見える男性は慌ててカーテンを閉めた。


「あ、先生ですか?」


 バートンを立ち去ろうとする白衣の男性を、慌てて呼び止めた。

 男性は振り返り、「はい。モーガンさんの主治医です」と答えた。


「モーガンさんのご容体はどうなのでしょうか? 目覚める見込みは……?」


 主治医は答えずらそうに顔を曇らせた。


「言いずらいのですが……このまま目覚めないかもしれません……目覚めたとしても、脳梗塞ですので……後遺症が残るかと……」


 予想していた答えだが、医者から言われるとショックは大きい。


「どうにか、治療することはできないのですか?」


「今の医術では、厳しいですね。モーガンさんの治癒力を信じて見守るしかできません」


「そうですよね……。教えていただきありがとうございました」


「力になれなくて、申し訳ありません……」


 主治医が去って、十分ほどのちにバートンたちも病院を後にした。

 何から何まで上手く行かいものだと思う。やっと、キプスの母親を突き止めたというのに、今度は母親の方が昏睡状態とは……。これでは、どちらも報われない。


「これから、どうしますか?」


 来るときに通った凹凸(おうとつ)の激しい山道を通っているとき、キクマに訊ねた。だが、返事はない……。構わずに、続ける。


「聞きそびれていたのですが、どうして警部はキプスさんの頼みを引き受ける気になったのですか? あれほど、嫌っておられたのに」


 キクマを横目にうかがい、そろりと言った。


「もしかして、警部が以前名前を出された、キクナ、という女性と関係が?」


 バートンをキクマの表情を横目にうかがいながら続ける。


「そのキクナって、警部が昔付き合われていた女性ですか? その女性をジョン・ドゥに殺された、とか」


 無視されると思っていたが、「違う」と否定の言葉が返ってきて、バートンを驚いた。


「キクナは俺の妹だった。妹はある事情から家を出て行ってな、しばらく音信不通だったんだ。家を飛び出して、五年だったか? そのあたりはハッキリ憶えていねえが、ある日トゥールーズでバッタリ出くわした」


 キクマは窓辺に頬杖をついた状態で、窓に映った自分に語り聞かすように続けた。


「そのときのことはよく憶えている。どんな服を着ていたのかも、何を持っていたのかも。キクナは紙袋を持っていた。何を買っていたのかは憶えていないが。あいつには男がいるようだった。俺にはわかる」


「刑事の勘ってやつですか」


「違う、兄としての勘だ。付き合っていた男は、あの殺人鬼だった」


 バートンは驚きでハンドルを切りそうになるが、何とか堪える。

 キクマは何を言っているんだ? 

 付き合っていた男がキプス?

 それで、あのとき、キクマはキクナという女を知っているか? とキプスに訊いていたのか?


「だけど、キプスさんはそのような女性は知らないと、言っておられたじゃないですか?」


「嘘だったんだよ。この前、もう一度問うたとき、あいつは打ち明けたよ。自分がキクナを殺したとな」


 言葉の語尾が怒りで厳しくなる。


「あいつは妹を殺し、その死体をどこかに埋葬したのさッ。何で妹が殺されなきゃならなかったのかッ。あいつは正義感の強いやさしい奴だったんだッ。何で……何で殺されなきゃならなかったんだ……」


 キクマはウインドウを殴った。

 これほどに心情を吐露するキクマをバートンは初めてみたかもしれない。今まで何があろうとも、弱音など吐かなかったキクマが、だ。


「つまり、キプスさんはそのキクナ、という女性の埋葬場所を知る唯一の人物というわけですね」


 そうか、それでキプスの頼みを聞いているのか、とバートンは納得した。二十年前、トゥールーズの街にキクマの妹がいた。


 だとすると自分は出会っているかもしれないのだ。

 バートンはそんなことを考えると、一人のアジア系の顔立ちをした女を想い出した。確か、あれは……落とし物を拾ってやったことで、お礼にお茶をおごってもらったのだったか?


 あの女性も東洋人だった。

 もしかすると、あの女性がキクマのいうキクナだったのではないだろうか、なんてことを考えるが、確率的に考えられない。海で失くした、指輪を見つけるに等しい確率だ。


 広大な街で見ず知らずのたった一人の女性に遭遇するなど、どれほどの確率だというのか。


「警部が躍起になっているわけがやっとわかりました。交換条件として、自身の名前を教えろと言ってきたわけですね」


 キクマは鼻を鳴らして、「別に躍起になってねえよ。もう心のけじめはついていることだ」と言っているが、今さっきの語り口を聞く限りそうは思えなかった。


「そうとわかれば、僕はとことん協力しますよ」


「協力する? おまえにモーガンが治せるって言うのか?」


「いえ、治せません。だけど、キプスさんの名前を知っているかもしれない、人なら知っています」


「どういうことだ?」


 キクマは食いついた。

 バートンは少しじらしてやろうか、と思ったがそのようなことをしたら後が怖いので、「矯正長殿の話しに僕の知っている人の名前が出てきたんです。同姓同名でなければ、ですけど」と笑みを浮かべて答えた。


 キクマはわけがわからん、という顔でバートンの横顔をうかがった。


「若かりしアリシアさんが男から逃げ出したとき、助けてくれた老夫婦の話があったでしょ。そして、その老夫婦はアレンと言う自分たちの娘にアリシアさんを助けるように頼んだ」


 それがどうしたんだ、と言う目を横目にうかがいながらバートンは因果の繋がりに神秘性を感じていた。


「そのアレンにはカレンという娘がいます。そのカレン・テイラーこそが、僕の義母(はは)ですよ」


 キプスの名前を知るかもしれない唯一の女性がもう一人だけいる。バートンの育ての親であり、我が子のように愛情を注いでくれた強く美しい義母だった。

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