file76 伝える、酷
物騒な二人組の襲来に病院の受付に座っていた、看護婦はぎょっと目を見開いた。
「モーガンっていう老女が入院しているはずなんだが、どこの病室にいる?」
キクマは受付のカウンターに手を置いて、看護婦に問うた。
「も、モーガン様ですか……?」
看護婦はどう対応したらよいのかわからない、という困り果てた表情で、「少々お待ちください」と席を立った。
しばらくして先輩看護婦らしき、四十代後半くらいに見える看護婦が代わりに二人の相手を受け持つ。
「どのようなご用件でしょうか?」
明らかに警戒されている……。
自分が話を訊くんだった、とバートンは後悔した。
そりゃあ、手土産も持たずにむさくるしい男二人が雁首を揃えて現れたら警戒されて当然だ。
「モーガンっていうご老人が倒れたと聞いたんだ。その人の見舞いに来た。病室を教えてくれ」
「失礼ですが、あなた達は?」
キクマは突然、懐に手を突っ込みんだため、看護婦に警戒された。
何を取り出すつもりだ、といった引きつった表情だ。
「俺たちはこういうものだ」
多くを説明するまでもなく、手帳を見せれば大抵の人はすんなりと信じてくれる。
「警察の方? ですか……。どうしてまた?」
二人への警戒は多少なりとも、解けたみたいだが、余計に身構えられたのは確かだ。
「さっきも言ったが、モーガンさんが倒れたという話を訊いたのでね。見舞いに来たんだ」
「そうでしたか、疑って申し訳ありませんでした」
氷が解凍されるかの如く、時間が経つごとに看護婦の警戒も緩みはじめた。
看護婦は本当に申し訳なさそうに頭を下げた。
「いや、気にしなくていい。俺を見たら大抵の人間があんたみたいな反応をする」
と自嘲して、「で、どこだ?」と続けた。
「24号室です。立札がありますので、すぐにわかると思います。だけど……」
看護婦は何かを言い渋っている様子だった。
「どうした?」
「聞かれていないのですか……?」
「だから、何をだ?」
言いずらそうに顔をしかめて、看護婦は口を開いた。
「意識が戻っていないのですよ……」
「それは本当か?」
嘘などついたって何の得になる。
そんなことわかっていても、キクマは訊かずにはいられなかった。
「ここに運び込まれたときには……容態が悪化していまして……」
「原因はなんだ?」
「脳梗塞です……」
「そうか……。うちの親父は心筋梗塞だった……」
キクマは干渉に湿った声で言った。
「回復の見込みは?」
「今のところはわかりません……。様子を見るしか……」
煮え切らない答えを聞くと、モーガンの容態がどれほど酷いものなのか想像に難くなかった。
「ありがとう。様子を見に行ってくる」
「はい」
看護婦は頭を下げて、二人を見送った。
キクマは病棟のマークがある方に歩き出した。階段を上がって、病棟の通路に出ると、部屋番号が連なっている。
十号室の前の通路に出たので、数字が大きくなっている方に進み、順番に数えていく。時間から忘れ去られたかのように静かな病棟。
窓から差し込む温かな日の光。
病院特有の消毒液のような香り。
カツカツカツカツと二人の踵を打つ音だけが、静かな病棟に時の歩みをもたらした。
20、21、22、23、24まで来て、札を確認した。
間違いない、この病室だ。
あの元気だったモーガンがベッドで横になっているなど、想像したくはなかった。その姿を想像すると、必然的にミロルの姿と重なる……。
キクマはニ三回ノックした。どれだけ待とうと返事がなかったので、ドアノブを捻り、ゆっくりとドアを開けた。
一人部屋。白いカーテンでさえぎられた先に、モーガンがいる……。
二人は白いカーテンの前まで歩み寄り、「モーガンさん。お見舞いに来ました」と声をかけた。
だが、返事はなかった。
二人は覚悟を決めてカーテンを引いた。
白いシーツを羽織り、穏やかな顔で眠っている老女がそこにはいた。シーツの上に出された左腕にチューブが繋がれており、点滴液袋に伸びていた。
とても穏やかな寝顔は、死んでしまっているのではないだろうか、と心配になるほどだった。
「モーガンさん。お体はどうですか?」
バートンは返って来ないとわかっている質問をした。
「花でも買って来ればよかったですね。申し訳ありません、次に来るときは何か買ってきます」
バートンは言いながらベッドサイドに立てかけられていたパイプ椅子を二つ組み立て座った。
「実はですね」
バートンは語り続ける。
返事が返ってこない人に語りかけることに、バートンは慣れていた。何度語りかけようとも、ミロルの言葉は返ってこない。はじめは辛かったが、いつしか機械的に語ることにバートンは慣れてしまっていた。
「モーガンさん。あなたの子供」
そこで一端バートンは言葉を切った。
意識がないからと言って、本当に話していいものなのだろうか?
モーガンさんはいや、アリシアさんは我が子を捜し続けてきた。この歳になるまで、きっと今もだ。きっと、今も我が子の居場所を知りたがっている。
だが、子供は犯罪者。
会えないのは辛いが、このまま知らないままでいる方がいいのかもしれない。ここに来て、またもバートンは迷っている。だが、自分に置き換えるとやはり、どんな状況になっていようと会いたい、と思うだろう。
酷な現実を叩きつけるとしても、バートンは言う。
「モーガンさん、いやアリシアさん。あなたがずっと捜していた、子供を僕たちは知っています」
だが、モーガンに反応はない。
「あなたは今まで苦労してこられたそうですね。いなくなった子供を諦めずに、ずっと捜して来た。僕たちがしようとしていることは、酷な仕打ちになるかもしれない。
自分をあなたに置き換え、もし我が子が同じことになったとしても、僕は会いたいと思う。どんなに酷な仕打ちになるとしても言わせてください」
バートンは一度言葉を止めて、息を整えて続けた。
「あなたが捜してこられた子供は、キプスさんだったのです――」