表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
終章 完結編 人に焦がれた獣のソナタ……
287/323

file72 繋がる世界の因果律

「それはどういうことですか?」


 ヴァネッサは怪訝に顔をしかめて、物憂げな態度を崩さずにキクマに問い返した。


「今刑務所に収容されているキプスさんに、この前会ってきたんです」


 キクマは話すつもりなのだ。

 だがそれはかえって逆効果にならないだろうか……?

 ヴァネッサとも親交があった、村の人たちを殺した真犯人なのだ。


 そんな人物の頼みなど聞きたくない、と思うのが普通ではないだろうか。少なくとも自分ならそんな人物の頼みを聞きたくない、と思うバートンだった。


「そして、キプスさんに頼まれました。アリシアという女性を捜して欲しい、と。まさか、こんな身近に手がかりを知る人がいるなど、キプスさんも想像すらしていなかったでしょうけどね」


 キクマは空気をかみ殺すようにして自嘲的に笑った。

 

「キプスさんが……。どういうことですか……?」


 繋がりようのなかった思考の混沌(カオス)が、夫人の中で今一つにまとまろうとしていた。


「もしかして……キプスさんは……」


「アリシアさんから聞いているでしょ。息子を捜しているのだと。そうです、夫人が今頭の中に思い浮かべていることです。キプスさんはアリシアさんが捜していた実の息子なんですよ」


 キクマは最後まで温存していた逆転の切り札を今出した。


「まさか……そんな……そんなことって……」


 夫人は目に見えてわかるほどに、困惑している。

 バートンも同じだった。アリシアの足取りを辿る内に、再びこの村に訪れるなど夢にも思っていなかったのだ。思考の整理がつくまで、しばらくかかった。


「困惑されているのはわかります。少し、心の整理をしてくれて結構です。何時間だろうと待ちます」


 キクマは声を落として、ぐずる子供を慰めるような慈愛に満ちた声で夫人に言った。夫人はしばらく俯いて物思いに沈んでいたが、再び顔を上げたときには早くも吹っ切れたのか、表情に変化が起きていた。


「その話は本当なんですね?」


「神に誓って、嘘など申していません」


 キクマは夫人の目を真正面から見つめて言い切った。


「だとすれば、なおのこと教えることなどできません。キプスさんを酷く言うつもりは毛頭ありませんが、彼の行ったことを思うと……。我が子が人殺しだと知ったら……どれだけ彼女が傷つくことか……」


「けれど、アリシアさんは何十年もずっと子供に逢いたがっていた。このまま、一生死んでいるのか、生きているのかわからない子供を想い続けるのも酷な話ですよ」


 キクマは強制するのではなく、あくまで夫人に判断をゆだねるつもりだった。もし、夫人が教えないというなら、それも受け入れるつもりだ。


 キクナのことはもう十年も昔に心の整理を終えていた。

 死んでいるのだともわかった。

 墓のありかを知ったところで、生きている者の慰めにしかならないのだから。知ったところで、今更何ができるというのか。


 夫人には似つかわしくない深刻な顔でしばらく考えていたが、顔を上げて切り出した。


「わかりました。アリシアさんの居場所を教えましょう。その代わり、彼女を再び傷つけるような言動は慎んでください。彼女は今までにあなた達が想像もできないほど苦しんできました」


 話で聞いた以外のことは何も知らないが、それでもアリシアがどれほどの境遇に遭って来たのかを二人は理解していた。


「彼女はできることなら、辛い過去を忘れたがっていた。だから、過去を捨てたのです。だけど、ただ一つ捨てられなかったもの、それはお腹を痛めて生んだ我が子。彼女はずっといなくなった子供を捜していました」


「アリシアさんの足取りを追う中で、色々な人に話を聞きました。私には子供がいないので、子供に会えない親の気持ちはわかりませんが、家族に会いたい、という気持ちは痛いほどわかります。私にも妹がいましたが、もう二度と顔を見ることもできません……」


 普段自分のことを語らないキクマは、夫人の気持ちに共感する態度を見せた。


「彼女は誰にも自分の過去を詮索されぬように、名前を変えたのです」


 アリシアは間を置き、一度大きく深呼吸して、アリシアの居場所を二人に告げた。二人はしばらくの間、開いた口が塞がらないという例えがしっくりくるような状態で、押し黙ってしまった。


 すべては村からはじまり、村で完結していた。

 夫人が告げた人物に二人はすでに出会っているのだ。


「私はあんた達を信用して、打ち明けました。後はご本人から聞いてください」


「本当にありがとうございます。必ず約束は守ります。彼女を再び傷つけるような真似はしません」


 バートンはテーブルすれすれに頭を下げた。


「最後に一つだけ質問したいことがあるのですが」


「何でしょうか?」


「どうして、夫人はオーリヤックの町のアパートになんてお住みになっていたのですか? そのころはすでにこの村にこの館を構えていらっしゃったのでしょう」


「ああ、今でこそおとなしくしていますが、私は昔から旅が好きで色々な所を転々としていたんです。気に入った町に数か月住んで、また違う町に移るという生活をしていました。

 主人もトゥールーズの街で仕事をしていて、この村にいなかったから好きに旅をすることができたんです。私たちには子供がいないから、好き勝手ができたんですよ。今は常に主人がいるので、好き勝手出来ないんですけど」

 

 夫人は口を手のひらで隠して、「ホホホ」と上品に笑った。


「そんな生活をしているときに立ち寄ったオーリヤックの町で彼女に出会って、意気投合したんです。お金もかかるから一緒に部屋を借りようという話を私が持ち掛けて、一緒に住むようになりました。

 そんなとき、町で彼女の噂が騒がれ出して……行き場所を失った彼女をこの村に呼んだんですよ」


 そして今に至っているというわけか。

 あまりに出来過ぎた話しに、二人は物語でも読み聞かされているような錯覚に囚われた。事実は小説よりも奇なり、という言葉があるが、正にそれだ。因果律というものは必ず存在しているということの証明。


「ありがとうございました。早速訊ねてみます」


 キクマはそう言って立ち上がり、「行くぞ」とバートンにも促したとき、夫人は「あ」と声を上げた。


「どうかされましたか?」


「ごめんなさい、うっかりしてて言い忘れていましたが、彼女半月前に入院されてこの村にはいないのです。だから、彼女の家に今向かっても留守ですよ」


「入院?」


「ここから北の方にあるロデズという町の病院に入院されたんです」


「どうして……? 容体は……?」


「その日からまだ会っていないので、何とも……。だけど……お悪いかと……」


  *


 キクマとバートンはジンバの家を後にした。まさか彼女が入院しているとは……。七十後半を過ぎているのだから、いつ体を壊してもおかしくなかったのだ。


 夫人が言うには突然倒れ、ロデズの病院に担ぎ込まれたそうだ。

 大したことなければいいが……。


 いったん署に引き返そうと思ったとき、バートンは思い出した。イスカの様子を見るために来たことを――。


 丁度イスカのことを思い出したときだった。


「おじさんッ!」と背後から聞き覚えのある声が降ってきた。


 この声は間違いない――「イスカちゃんッ」我が子より少し年上の少女を見つけるなり、バートンは手を振ったのだった――。 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ