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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
終章 完結編 人に焦がれた獣のソナタ……
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file70 守る、蝶

 この夫人の顔を見ると、不思議なことに張っていた緊張の糸が緩む。

 夫人がその太陽のような微笑みを浮かべると、つられてこっちまで顔がほころんでしまう。


「あら、誰かと思えば、今日は珍しい人が立て続けに来るものね。いったい、どうしたんですか刑事さん? またまた事件ですか? この村も物騒になったものですね~」


 夫人は頬に手を添えて、井戸端会議をするおばさんのように言った。


「お話を訊きたくて参りました。ご迷惑でなければ、少々お話を訊かせてもらってもよろしいでしょうか?」


「ええ、別に構いませんよ。だけど今主人は――」


 夫人が言葉を継いでいたとき、バートンは割り込んで、「いえ、今日はヴァネッサ夫人に話を聞きたくて来たんです」と説明した。


「私にですか? 別に構いませんけど、何もお話しできるようなことありませんよ」


「いえ、夫人でなければ、知らないことです」


「私がですか? 私それほど頭よくありませんから、答えられるかどうか……」


 夫人のペースに飲まれて、なかなか前に進まない……。


「いえ、夫人でないと知らないことです。お邪魔してもいいでしょうか?」


 しかし夫人は一度室内をうかがって、「ごめんなさい。今ちょっとお客様が来ているので、その人が返ってからでいいでしょうか」と申し訳なさそうに頭を下げた。


 お客様?


「いえ、でしたら、ここでお話をしましょう。すぐに終わります。アリシア・ケイトという女性を夫人は知っておられるでしょうか?」


 バートンが夫人の顔色をうかがいながら、言葉のメリハリを付けて訊ねてみると、「アリシア・ケイト」とポカンとした顔で夫人はつぶやき返した。


 その表情からは何も読み取れない。

 知人の名前を聞いたときのような表情にも思われるし、知らない人の名前を聞いて、考えているときのような表情にも取れる。つまり、わからない。


「実はですね。ある事情でアリシア・ケイトという女性を捜しているんです」


 キプスの依頼だということは伏せておいた方がいいとバートンは考えた。村の人々を恐怖に陥れた男のことを想い出させない方がいい。


「それで、アリシアさんの足取りを追って、色々な町を回り、オーリヤックという町にたどり着いたんです。オーリヤックの町で知り合った大家さんが、ヴァネッサ・ビルマという方とアリシアさんが同居していたと聞いたもので……。同姓同名の別人なら手づまりなのですが……」


「ええ、アリシアさんですよね。知っていますよ」


 やはり同姓同名の人だったのか……と諦めかけていたときだった。

 夫人は世間話でもするような気安さで答えたものだから、「そうですか……やはり同姓同名の人でしたか……。こんな偶然もあるんですね……」とバートンは肩を落としたのだった。


「本当かッ!」


 と、バートンを押しのけて這い出てきたのはキクマ。

 夫人は目をまん丸にして、「え、ええ」とキクマの圧に押されて一歩引いた。


 バートンも先入観で聞き間違えていた言葉を、やっと理解して、「本当ですかッ!」とキクマを押しのける勢いで夫人に詰め寄る。


 ガラの悪い日系人とのっぽの陰気な男に詰め寄られて、さすがの夫人も苦笑い気味だった。


「え、ええ、私のお友達です」


「と、言うことは今も生きている、ということですよねッ」


 必然的に語気が強くなっていることに、バートンは気付いていない。

 これでは脅しているようなものだ。


「え……まあ、生きていますよ」


「どこですかッ!」


 夫人は一歩一歩後下がりをしている。


「教えることはできません」


 夫人の回答に二人の男は、鳩が豆鉄砲を食ったような阿呆面になる。予想外の回答だった。てっきり、夫人のことだから「ええ、いいですよ」と(みずか)ら進んで教えてくれるものと思っていた。


「どうしてですか、夫人」


 キクマは玄関に踏み込んでいたつま先を後退させて、落ち着き払って訊ねると、「彼女の意向だからです」と今までのひょうきんな声とは打って変わって、芯の通った口調で答えた。


「ど……」バートンは一度息を飲み込み、改めて「どうしてですか……?」と訊ねる。


「彼女は今まで辛いことがあり、自分の存在を隠しています。もう、彼女と言う存在はこの世にありません。だから、そっとしてあげてください」


「ですが、生きているのですね」


 生きているということがわかっただけで、大収穫なのだが真実を知る人物が目の前にいるのに引き下がることなどできようか?


「お願いします……教えてください……」


「無理なのです。いくら警察の方だからと、強制はできないはずです」


 フワフワとして掴みどころのなかった夫人の口調は、液体から固体に転じたかのように固いものだった。


「そうですが……」


 隠していてもしょうがない。

 言ってしまおうか、とバートンは思った。

 いくらキプスの頼みだとは言え、元村仲間なのだから無下にはしないのでは?


「僕たちは」


 とバートンが言いかけたとき、「聞き覚えのある声だと思えば、あなた達でしたか」と館の中からどこかで聞いた、いや昨日も聞いた声が聞こえてきて、バートンは我が耳を疑った。


 どうして今この状況で、あの人物の声が聞こえてくるのだろう?

 空耳か? と決めつけたらまた、「どうして、あなた達がここに来ているのですか?」と真正面に音源となる人物が立ったものだから疑う由もなかった。


「それはこっちの台詞ですよ……」


 バートンはお化け(ゴースト)でも見るかの如く、廊下を進んで来る人物を見た。キクマは鼻に皺を寄せて、因縁の相手でも見るような険しい顔をしていた。


「どうして、あなたがここにいるんですか……サエモンさん……?」


 何の因果か、夫人の言っていた客人とはサエモンのことであった――。

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