file69 天然と石頭
怒らないって言ったのに……。
バートンは昨夜から気持ちが沈んでいた。昨夜、サエモンにすべてを話した。すべてを聞き終えるまでは、何も言わなかったが、「どうですか?」と訊ねると、『そんなことできるわけないでしょッ!』と一喝されてしまったのだ。
『こんな時間に電話をしてきたと思えば。いったい、何を考えているのですかッ! そんな非現実的なこと本当に成功するとでも思っているのですか?』
「試してみなければわからないじゃないですか……。昔、僕がみぞおちを撃たれたとき、わずか数日で傷口は塞がった。あの再生力さへあれば、ミロルの脳も回復するかも……」
バートンは家族に聞かれないように、二階をうかがう。セレナと子供たちはさっき寝室に行った。聞こえる心配はないだろうが、最小限声を潜めて説得を続ける。
『UB細胞を他者に移植するなんて、できるわけないでしょッ』
獣の力のことをサエモンたちはUB細胞と呼んでいた。
UBとはウルトラビーストの略だ。
「だけど、試してみなければわからないんじゃないですか? このまま、何もしなければ、ミロルは眠ったままです……。そんなの……」
『あなたは植物状態の人たちは死んだも同然だというのですね』
「いえ、そんなことを言っているわけではありません……。植物状態でも生きていて欲しいと思う家族もいますッ。けれど、目覚めるのなら、目覚めて欲しいと家族みんなは思っているんです。
もし、目覚める可能性があるのなら試してみたいんです。これは家族みんなの意志です」
『あなた達は家族ではないでしょ。あなた達にミロルくんの命を左右する資格はない』
違う違う違う違う違う、違うッ。
「僕たちは家族ですッ。血が繋がっていなくとも、家族なんです」
つい大声を出してしまい、バートンは恐る恐る階段をうかがった。
大丈夫、起きてはいないだろう。
『そうでしたね。ごめんなさい、言い過ぎました。だけど、その考えは捨ててください。憶えていないとは言え、あなたならわかってくれるでしょ。もう二度とあのような怪物を生みだしてはならないと。人間には扱えない技術なのですから』
「それは……わかっています。……今回だけです……試してみる価値はあると思うんです……」
バートンが振り絞るようにそういったとき、二階からケイリーが下りてきた。
「パパ大声出して、どうしたの? 電話してるの? 電話相手だあれ」
「仕事仲間だよ。それより、どうしたんだ?」
と引きつった笑みを浮かべながら言い訳をするが、「トイレ」と眠そうだった目を見開き、「浮気とかじゃない」とバートンの心を見透かすかのような目で言った。
「何を言ってるんだ。そんな言葉どこで覚えたんだ? そんなんじゃない。僕はママ一筋だよ。今大事な話をしているから、早くトイレ行って寝なさい」
納得いかないという顔でケイリーはトイレに入ったが聞き耳を立てているとわかる。
これはおかしなことしゃべれないな……と心の中でため息をついて、「子供が怪しんでいるので、また明日かけ直します」と渋々言った。
『何度かけられたとしても、答えは決まっています。そんな要求受けられるわけありません』
バートンは聞こえないふりをして、受話器を掛けた。
「慌てて切ったよね。やっぱり怪しい~」
ケイリーはトイレのとびらを開け放ち、廊下に躍り出、バートンを指差しながら言った。
「コラ。人に指を指しちゃいけません」
バートンはケイリーの手をとって、「パパも寝るから」と手を引く。
子供たちにはカレンの養子になってからの話はしても、ストリートチルドレン時代のことは話していなかった。
自分たちがどのような暮らしをしていたのかも、話していない。
人の物を盗んでそれを売っていたなど、話せない……。
いつか、すべてを話せる日が来るといいな、と思う今日この頃だった。
「ママに言いつけるよ」
「だから、そんな電話じゃないの」
「じゃあどんな電話なの? 長かったじゃない」
「もし浮気だったら、そんな長い時間堂々とかけられないだろ。仕事の話。だから話せないの」
それでも疑わし気に目を細めるケイリー。
「そんなのズルいわよ」
「ズルくない」
ケイリーはバートンの手から逃れようとする。
「暴れるな」
「トイレよ。まだしてない」
バートンはあからさまなため息をついた。
「やっぱり聞き耳を立ててたんじゃないか」
ケイリーはいたずらっぽく舌を出して、今躍り出てきたばかりのトイレに駆け足で駆けこんだ。
というわけで、あの剣幕ではまったく話を聞いてくれそうにない。
昨日は色々とサエモンを説得する策を考えていて、眠れなかった。
「いつにもなく眠そうじゃねえか?」
キクマは助手席でふんぞり返った格好のまま、横目にバートンを見て訊ねた。
「そうですか?」
と言ってまた大きなあくびを涙と共に押し出した。
「サエモンに会うんじゃなかったのかよ?」
「会うつもりでしたよ。だけど、用事があるので駄目だと言われました」
「まあ、あいつも何かと忙しいからな」
と、実のない話を適当に三時間ほど続けて、ランゴー村付近にやって来ていた。ランゴー村に来るのはあの事件以来だ。二か月ぶりくらいだろうか?
イスカはどうしているだろう、とバートンは気になっていた。
傷ついた心は少しでも癒えているだろうか?
お土産でも買っておくんだったな、とバートンは今更ながら後悔した。
ランゴー村にやって来たのはイスカに会うためではなく(それもあるが)。ヴァネッサ夫人に話を聞くためだ。
オーリヤックの町の大家の話では、ヴァネッサという女性とアリシアは同居していたという。
同姓同名の人物かもしれないが、そうそう同姓同名の人物がいるわけもない。つまり、二人が知っているヴァネッサ夫人と同一人物の可能性が高いのだ。
村の入り口に車を止めて、バートンたちは車から降りた。
村の入り口には知らない車が止まってあるが、この村の人の車だろうか? 老人がほとんどで若者はいない。子どももイスカしかいないのだ。こんな高価そうな車に乗るような人物、この村にいるのだろうか?
この村の老人たちの家族や親類でも帰ってきているのかもしれない。その解釈で納得して、バートンは村の中に足を踏み入れた。
以前来たときは夏の終りごろだったが、今は冬もまじかに迫っている。
あれほど茂っていた山の木々は寂しくやせ細り、落葉は散りはじめている。村も心なしかすたれたように見えなくもなかった。その寂しさを紛らわすかのように、カラフルな色の屋根が軒を連ねている。
広場へと続く一本道を歩きながら、バートンは人気を探した。だが外に出ている村人の影はなく、ひっそりとしている。まるで廃村だ。
村の中央には一本の川が通っており、まるでセーヌ川のように村を左右に別っている。小さな石橋を渡った先には、昔ジェヴォーダン地方で騒がれていたという怪物を倒したという英雄の記念碑が建ってた。
バートンは記念碑を一瞥して、目標を見据えた。
この記念碑に描かれている英雄の子孫の家。村長の館。城のように大きいわけではないが、この村では頭一つ抜きんでて立派な館だった。
バートンはジンバ村長邸の玄関先に立ち、ノッカーをにぎった。
二階の窓が開いているところを見ると、留守ではないようだ。
一回、二回、三回、ノッカーを鳴らしたところで、「はいはいはい。今開けま~す」というせわしない少女のような声がくぐもって聞こえた。
「はい、どちら様?」
とびらが開くと木陰から顔を覗かせるリスを彷彿とさせる、五十代半ばほどに見える夫人が姿をあらわした。
「お久しぶりです。ヴァネッサ夫人――お元気でしたか」
この村にやって来たも目的はこのヴァネッサ夫人に話を訊くためだった――。