file26 『イスカの捜索』
木の葉から落ちる朝露の雫が、頬をぬらし私は目覚めた。一、二度かすむ目をパチパチさせ、三度目で視界が明けた。肌をなでる風は冷たく、冬の到来を知らせる。
私はまだ自分が生きているのか、確認するように。五体満足か、確認するように指を動かす。すると温かいなにかに触れた。
私は視線を自分の右手に向けた。
そこには白いなにかが、私の指を嗅いでいた。驚きはしなかった、いや、驚く力がなかった。もし、叫ぶ力がまだあったら、驚き、叫んでいたかも知れない。
けれど、そのような力はすでに尽きていた。
私はその温かいものを両手で抱え上げ、抱いた。
「おまえはどこから来たんだ?」
すると、長い耳をピック、と動かし、鼻をひくひくさせ、そいつは私を見た。
ウサギだ。白い、くりくりとした眼のウサギだ。珍しいものでも見るような目で、私を見つめている。
私はウサギを抱きしめ暖を取る。小さいけれど動いている、小さいけれど命がある、ウサギの温かさを全身で感じた。
息を一旦整えて、キスカは説明する。
「……け、今朝から……いないんです……」
バートンの頭に嫌な考えが浮かんだ。
今日、森狩りが行われるのをイスカも知っていたはずだ。
森狩りが始まったのは十時を過ぎたころ。そして今は十二時を回っている。イスカは今朝からいないという。つまり、警察より早く山に入っていることになる。
「今朝からというと、正確には何時ごろでしょうか……?」
バートンは低い重々しい声で動揺して、辺りを見渡しているキスカに訊いた。
キスカはオロオロと揺れる瞳孔で、バートンを見返し、「え、は、はい、私が起きたのは六時半です。そのときにはすでに、イスカはベッドから消えていて……先に起きているものだと思って、リビングに行ったけど、いなくて……。家の中を探し回ったけど。どこにも、いなくて……」嗚咽を吐きそうなのを堪えているかのような声でいう。
「家の周りにもいないし、パニックになっちゃって……昼ごはんの時間になれば帰ってくると、自分を落ち着かせたんです。けど、昼になっても帰って来ないし……どうすれば……」
語尾を震わせ、今にも泣き出しそうな、弱々しい声でキスカは必死に説明する。予感的中とはこのことだった。イスカの居場所はあそこしか、ないのではないか。
「イスカちゃんがどこにいるか、心当たりがあります……」
うつむいていた、キスカは呆然とする目を見開き、バートンに視線を送った。
「ほ、本当ですか!」
バートンの話がまるで神の預言だといわんばかりの、態度でキスカはいった。
「え、ええ、心当たりはあります」
ハッキリ宣言した。
キスカは打ち震える。
「ど、どこですか……?」
すがりつきそうな勢いで、イスカはバートンに近づき、目は血走り、鬼気迫る覇気が伝わる。
「森です……前にあの子と約束してたんです。狼たちは犯人じゃない、これ以上あの子たちを殺さないでって……言われたんです。もしかしたら、僕に裏切られた、と……思って一人で警察たちを止めようとし、森に入ったのかも知れません……」
「つ、つまり、イスカは森の中、ということですか……」
バートンは言い渋りながら、「かも知れません……」と、いった。
本当に森の中にいるとしたら、早く捜索しなければ、手遅れになってしまう。
あの、深い森の深淵に迷い込んでしまったら、見つけられなくなってしまうかもしれない。
「探しに行きましょう!」
キスカは両手を握りしめ、歯を食いしばり、押し倒さんばかりにバートンに近寄った。
「探しましょう」
と、応じたものの、あんな深い森の中をどう探せと、いうんだ。
下手に森に入り動き回れば、自分たちが遭難しかねない。
キプスに付いてきてもらうか、と思い周囲を見渡すがキプスの姿はどこにも見当たらない。村の者たちに担ぎ上げられ、どこかへ消えてしまったあとだった。
一足遅かった。
そのとき、バートンは閃いた。
モノ探しの達人。トレーニングされつくされた、精鋭。精悍で高い身体能力、嗅覚を兼ね備えた人間のパートナー、警察犬を使えばいいじゃないか!
閃きは即座に行動に変わる、バートンは雑談中の警官に駆け寄り、「犬を一匹貸してもらえませんか?」とせがんだ。
警官は何言ってんだ、こいつ、というような困惑気味な態度で、「僕だけの判断ではどうとも……」と、サエモンの方に救いを求める。
サエモンは警官の視線に気づくと、逆にぎこちないくらいに背筋の伸び切った、姿勢でこちらに向かってきた。
「どうして、犬を貸してほしいのですか」
自分よりも格下の相手にでも、丁寧口調で話す、サエモンはとっつきやすいようで、とっつきにくい。
サエモンの身長は殆ど、バートンと変わらない。百七十五センチはある。
しかし、芯の細い体のせいで、バートンの方が大きく見えた。
バートンも怯んではいられない、キスカから聞いた情報を包み隠さず、サエモンに知らせた。
「子供がいなくなったんです。お願いします! 早く探さないと、手遅れになる……!」
疑り深いサエモンのことだ、すんなりと貸してくれるはずがないことは分かっている。しかし、今度ばかりはどんなに嫌味を言われようと、断られようと引く訳にはいかない。
「良いでしょう」
バートンは耳を疑った。こんなにあっさりと了承してくれるとは、思っていなかったのだ。この、瞬間ほどこいつを良い奴と思ったことはない。
何から、何までいけ好かない奴だと思っていたが、仕事熱心なだけで、仕事以外のことなら、話せば通じる奴なのかもしれない、たぶん。
「本当ですか! だったら早く!」
そう言うと、サエモンは首の高さ水平に人差し指を立てて、人差し指だけを軽く振って見せた。
何をやっているんだ、とバートンは見つめていると、後方から鎖につながれた、シェパードを引きつれて、警官がやってきた。
「この、犬を貸してあげましょう」
サエモンの腰までの体高がある、シェパードで、くりっとした瞳はバートンを見つめてる。
背骨のラインは黒い毛皮で覆われ、足から腹回りにかけては明るい茶色がかった模様だった。
シェパードがバートンの下に近寄ってくる。
その瞬間、昨日の恐怖が一瞬バートンの頭に蘇った。恐怖で固まっているバートンに、チャリチャリ鳴る鎖を手渡す。
「あ……ありがとうございます……」
「五時まではこの村にいるので、それまでには返してください」
条件付きか、無償で貸してくれるほど甘くはないだろう。
夕方まで、いま、昼を少し過ぎた頃だ、五時まであと、四時間ほどだ。シェパードの嗅覚にかかれば、見つけられない、者はない。
四時間もあれば、十分だった。
「分かりました、五時までですね。了解です」
バートンは早速、キスカにイスカのにおいが付いている物を、持ってこさせた。キスカが持ってきた物はイスカの服だ。
シルクのような柔らかい、手触りをした純白の上着だった。それをシェパードの鼻に近づける。
クンクンと、擬音が聞こえてきそうなほど、鼻をひくつかせ、「ワン!」と吠えた。覚えた、という合図らしい。
「僕たちが、探してきますから、キスカさんは村で待っていてください。もし、イスカちゃんが帰ってきたとき、行き違いになったら、困りますから」
「で、でも……」
食いつくキスカを何とか制し、バートンとキクマで捜索を開始することに決まった。
キクマは露骨に嫌そうな顔をしたが、子供が行方不明なのだから、捜査に協力しない訳にはいかない。渋々キクマはバートンに続くのだった――。




