file63 一世一代の博打
いつも以上に賑やかな食事が終わり、セレナは後片づけをはじめた。
子供たちも洗い終えた食器を拭き、棚に片付けるのを手伝った。
セレナのしつけがしっかりしているおかげで、子供たちは進んで手伝いをしてくれる。セレナ様様だった。
「本当に俺は何もしなくていいのか?」
キッチンで仕事をしているセレナたちを見ながら、チャップは申し訳なさそうに言った。
「ああ、お客様なんだから。それにおまえ昔から家事を手伝ったことがあったか?」
「いや、ないな」
チャップとバートンはお互いに顔を見合わせて笑い合った。
「酒飲むか?」
バートンが訊ねると、「酒か? おまえ、酒は殆ど飲まないんじゃないのか?」とチャップは首をかしげた。
「普段は飲まないけど、ごくたまにセレナと晩酌をかわすことはあるぞ。まあ、ごくたまにだけどな」
「そうなのか。そうだな、じゃあもらってもいいか」
バートンはキッチンに立つセレナに頼み、ワインとビールを持ってこさせた。
「セレナも飲むか?」
チャップは訊くが、「あたしはいい」と断った。
バートンはビールを注いでやる。
黄金色の液体がガラスコップ底に当たり、白い泡が立ち込める。
チャップのコップギリギリまでビールを注いで、バートンは自分のコップに白ワインを注いだ。
赤ワインより、白ワインの方が飲みやすくて好きだった。
食器片づけを終えた子供たちは、リビングに戻ってきてバートンたちが晩酌をするとなりで勉強をはじめた。
テーブル半分が教科書で埋まる。
セレナは付きっ切りで勉強を教えた。
もともと子供たちに勉強を教えるのが上手いから、サムとケイリーの成績は良かった。
バートンは昔から勉強が嫌いで、子供に教えられることはない。
何から何までセレナ様様だ。
そんな微笑ましい光景を眺めながら、バートンは久しぶりにワインを飲んだ。一時間ほど勉強をして午後九時。子供たちのあくびが多くなったころだ。
「それじゃあ、あたしは子供たちを寝かせるから」
言ってセレナは立ち上がる。
「ああ、悪いね」
セレナはサムとケイリーの肩に手を添えて、二階に上がった。
子供たちに合わせてバートンも十時くらいには寝るようにしているが、今日はとことんチャップに付き合うつもりでいた。
セレナたちが消えて、十分ほど過ぎ、リビングは静かになった。
時計の秒針の音と、グラスに酒を注ぐ音しかしない。
「なあ」
チャップはビールを一気に煽った勢いで切り出した。
チャップの表情は暗い。
自然とバートンも声のトーンを落として訊き返す。
「何だよ?」
「最近ミロルの見舞いに行ったか?」
「ああ、行った。そのときにカノンに出会ったよ」
「そうか、カノンも来てたか。だとしたら話は早いかもな。その話をするためにおまえに会いに寄ったんだ」
チャップはコップの底にわずかに残った泡を見つめて、「じゃあ、話を聞いたか?」と顔を上げてバートンを見つめた。
「話……?」
バートンは何の話だと一旦考えたが、すぐに思い当たった。
「ああ……聞いた」
開け放たれたとびらから見える階段を一瞥して、「おまえはどう思う?」とチャップは迷いに満ちた低い声で言った。
「獣の力を移植するって話か?」
二階には聞こえるはずがないとわかっているのに、自然とバートンの声は低い。
「俺もカノンから話を聞いたときは驚いたけど、ごくわずかな可能性があるなら試してみてもいいんじゃないかって、思うんだ。ミロルが昏睡状態になってもう二十年が過ぎた……。
サエモンさんは約束を守って今も延命治療を続けている……。だけど、どっちが正しいのかわからなくなったんだ……」
コップを両手で抱き込むようにして、チャップは顔を伏せた。
こんなに暗いチャップをバートンははじめてみた。
何があろうとチャップは明るく、最後まで諦めることなくみんなを導いてくれた。だが今のチャップにそのときの面影はない……。
「このまま一生眠っているだけで、生きていることになるのか……?」
バートンは答えに困った。
軽々しく返してはいけない質問だから。
「何が正解なんてわからない……。世の中には意識がなくても、生きている人がいる……。意識が戻らなくても生きていて欲しいと願っている人たちがいる」
バートンは気持ちを紛らわせるように、グラスに残った白ワインを一気に煽った。もともと酒に強い方ではないバートンは、一杯目ですでにほろ酔い状態になっていた。
「ミロルはどう思うんだろうな? あのままずっと管を繋がれたまま、生きたいと思うかな……?」
「本人に聞いてみないとわからないよ。だけど、例え本人が死を望んだとしても治療を辞めることは安楽死になる……」
チャップは瓶からビールを注いで、飲む。言いにくい発言をアルコールの力を借りて言おうとするかのように、バートンには見えた。
「ミロルには血の繋がった家族はいない。だけど俺たちがいる。俺たちは家族だ。あの日あの時、俺たちは家族の契りを交わした」
「ああ」
バートンは昔のことを思い出す。
道端で野垂れ死にしかけているところを男に助けられ、人間は捨てたものではないと気づかせてくれた。そのときに男が自分に与えたパンがその後の人生のすべてを変えた。
そのパンをチャップ、セレナ、アノン、カノン、ミロル、そして自分で分け合い家族の契りを交わした。あの日から、みんなは強い絆で結ばれ家族になった。
「俺たちが決めてやるべきなんじゃないか?」
「ああ」
「俺はカノンの言うように試してみるべきだと思うんだ。このまま待っているだけじゃミロルは目覚めない。その力を移植することで回復するのなら、試してみるべきだと思うんだ」
「だけど禁忌だ……。サエモンさん達が言っていたように、獣の力はこの世に蘇らせちゃいけないんだよ」
「力っていうの使う人間によって、良いようにも、悪いようにもできるんじゃねえか? 力は力だ。力そのものが悪いんじゃない。悪用するも善用するも結局は人間なんだよ」
悪用するも善用するも人間次第。
確かにその通りだと思う。
「その力を医療に活用できれば命を奪うのではなく、救うことができるんだ。技術の発達は多くの人の命を奪うが、また救うこともできるんだ。人間次第なんだよ。試してみる価値はあるんじゃないか?」
チャップは酒に酔っているにもかかわらず、目に宿る意志は揺らいでいなかった。試してみる価値はある。
「僕もそう思う。だが、サエモンさんを説得するのは並大抵のことではないぞ……」
「サエモンさんを説得することができる唯一の鍵を俺たちは持っているじゃないか」
「鍵……?」
「ああ、獣の力の知識だ。サエモンさん達はこの禁断の知識を封印するためにジェノベーゼファミリーが極秘に行っていた研究を突き止め、再び封印した。つまり、今この力の存在を知っているのはごく一部の人間だけだ」
最悪の考えがバートンの頭に浮かんだ。
まさか、そのことを脅しの材料に使うつもりではないだろうか……?
「どういうことかわかるか? この力の知識を他の国に売られたくなければ、俺たちに協力するように脅すんだ」
そのまさかだった……チャップはサエモンたちを脅すつもりだ。
一国を相手にするようなものではないか。
勝敗は火を見るよりも明らかだ。
だが、試してみなければ状況は変わらない。これは一世一代の博打だ――。