file62 家族のように過ごした男女
背中まである長い髪をゴムで束ねポニーテールにしたセレナは、エプロンで手を拭きながらリビングに入ってきた。
「丁度よかった。今料理できたところよ」
「いいタイミングで帰ってきたな」
チャップは茶化し口調でバートンに言った。
「本当にそうだな」
セレナはエプロンを空中で器用にたたんで、キッチンのテーブル椅子に掛け、「運ぶの手伝って」と子供たちに言った。
サムが先に動き、後を追うようにケイリーもキッチンに急いだ。
おぼつかない足取りで、サムとケイリーは料理を運んでくる。
バートンは冷や冷やとその光景を眺めていた。
つまづいて食器をひっくり返したりしないだろうか?
自分が運んだ方がいいんじゃないか?
と思ったが、できることはさせなければ、過保護すぎてはよくない――バートンは手を出さない決意をした。ときには見守ることも大切だ……ときには……。
「ありがとう、二人とも」
セレナは子供たちにお礼を言って、席についた。
バートンが危惧していたことは起きなかった。
食器をひっくり返し、せっかくの料理を台無しにしてしまうことだ。
「それじゃあ、食べましょうか」
セレナは言って、食前の祈りを捧げた。昔からセレナは食前の祈りと食後の祈りを欠かしたことはない。それは今も変わらなかった。
「セレナの料理は本当にうまいよな」
チャップは食べ物をリスのように溜め込んだ状態で言った。
「だけど、おまえらが結婚するなんて本当に意外だったよ」
「そうか」
「ああ、誰も想像してなかったと思うぜ。結婚を知らされるまで、おまえらが付き合っているなんて、俺も知らなかったからな。おまえらが先に結婚して、アノンも去年結婚したし、してねえのは俺とカノンだけになったな」
チャップはため息をついて、頬杖をついた。
「チャップ。おまえも彼女に早く想いを伝えたらいいじゃないか」
からかい気味に言うと、「それができれば苦労してねえって」と珍しく弱音を吐いた。
空気が重くなり、バートンは苦笑して食事を続ける。
「二人の馴れ初めを訊かせてくれよ」
「子供の前でするような話しじゃないって」
バートンは照れ隠しに料理を食べる手を止めなかった。
「聞きたい、聞きたい、聞きたぁ~いッ!」
ケイリーは椅子から立ち上がって、駄々をこねるように地団駄を踏んだ。
「いいじゃない、あなた。聞かせてあげなさいよ」
セレナはからかうように微笑んで、バートンに言った。
バートンは頬を赤らめる。
「いや……さすがに恥ずかしいな……」
「話して、話して、話して」
ケイリーはバートンの下に歩み寄って、乱暴に肩を揺さぶった。
両親の馴れ初めなんて聞いて何が面白いのだろう? とバートンは思ったが渋々、「わかったよ。話す、話せばいいんだろ」と了承した。
「どっちが先に惚れたんだ?」
チャップが言うと、セレナはバートンの顔を見て微笑んだ。
バートンは余りの恥ずかしさに眼をそらせ、「僕だよ」と答えた。
「いつ惚れたんだ? いつから惚れてたんだ?」
バートンはフォークを置いて、頭を捻った。
いつからだっただろうか? いつからセレナのことを好きになったのか想い出せなかった。だが、はじめてデートに誘ったときのことは憶えている。あれは二十一歳のときのことだった。
「ごめん想い出せない。だけど、はじめてデートに誘ったのは二十一歳のときだよ。そうだったよな?」
バートンはセレナに確認を取ると、「そうよ」と料理を口に運びながら涼しい顔で答えた。
「セレナはチャップのことが好きだと思ってたんだよ」
「セレナが俺をか?」
チャップは自分を指さして、驚いて見せた。
「何でそう思ってたんだよ?」
「いや……だって僕が知り合う前から、ずっと一緒にいたし……その……見た感じそう思ったんだよ……だけど、な……その……」
「セレナ、俺のこと好きだったのか?」
チャップは世間話でもするかのような気安さで、セレナに訊ねた。
やっぱり、子供の前でする話ではなかったとバートンは後悔したが、後悔先に立たずだ。
「好きだったけど」
セレナも世間話をするかのような気安さで応じた。
「だけど、それは家族としての好きなの。好きにも色々な種類がって、あたしは兄のようにあなたを慕っていた。異性としての好きと言う感情ではなかった」
セレナは子供の前でも平然として話した。
聞いている方が恥ずかしくなる……。
「あたしはみんな好きだった。カノンも、アノンも、ミロルも、チャップも、バートンあなたも。家族だと思ってた」
セレナはバートンの顔を見て続けた。
「酷い暮らしだったけど、家族みんなでいられるだけで幸せだったのよ」
言って場の空気がしんみりとなった。
「だけど、二人は結ばれたわけだろ。そのときどんな気持ちだったんだよ?」
「想像もしたことなかったから、ビックリしたわよ。あたしに好意を寄せてくれていたなんて、考えもしなかったもの」
妻の本音を聞けるのは嬉しかったが、やはり恥ずかしい。
好奇心が勝るか? 羞恥心が勝るか?
結局好奇心が勝った。
「あたしは先生になるために、マリリア教会で手伝いをしながら、沢山勉強してた」
「頭よかったもんな」
「そんなときに、旦那から言われたの」
「おまえ、ずっとマリリア教会に通っていたのか?」
チャップはバートンに訊ねた。
十八歳を過ぎると、子供たちはマリリア教会を去らなければならない。十八歳からは、シスターたちが紹介してくれた仕事について、社会で生きる知識を積んでいくのだ。
チャップもカノンもアノンもみんなそうだった。
チトという女の子とその妹は恩返しをしたいから、とマリリア教会でシスターたちの手伝いをすることにしたらしい。
そして、セレナもマリリア教会に残り、シスターたちの手伝いをしていた。そのことを風の噂で聞いたバートンはセレナに会うために、マリリア教会に通い続けていたのだ。
つまり、そのときからセレナには好意を抱いていたことになる。
「教師になるために、睡眠時間も惜しみ勉強をしていたある日、ニックが言ったの『今度、どっかに遊びに行かないか?』って。あたしは勉強しなきゃいけないし、子供たちのお世話もしなきゃならなくて忙しかったから、断った。だけど、何度も何度も来るのよ。しつこくね」
仕舞にセレナはフォークを動かす手を止めて、バートンを見た。
「『どうして、あたしを誘うのよ?』ってあたしが訊いたら、『ずっと勉強ばかりしていたら息が詰まっちゃうじゃないか。最近怖い顔しているぞ』って言われたの」
セレナはクスりと笑った。
「それで自分が精神的に追い詰められていたことに気付いて、気分転換にニックと遊びに行くことにしたの。チトたちがその間、子供たちの遊び相手になってくれるっていうし。それから、たまに遊びに行くようになって――」
セレナが話しているときに、チャップが割り込んだ。
「それで恋愛感情が芽生えたのか」
「いえ、そのときも全然恋愛感情なんて抱かなかったわよ。ただ昔のように遊んでいるつもりだったの。だけど、ある日、出かけた帰り道でニックが言ったの、『僕と付き合ってくれますか……?』って。改まっちゃって」
ニックはこの場から立ち去りたい衝動にかられた。
改めて聞くととても恥ずかしい、穴があったら入りたい……。
「なんて答えたんだ?」
「ごめんなさい、って答えた。だけど、この人諦めなかったの。断ってからでも、諦めずに訊ねて来た。そんな日が一年近く続いたわね」
セレナは呆れ口調で言った。
「パパしつこ~い」
ケイリーはからかうように父を詰った。確かに今思えば、気持ち悪いほどにしつこかっただろう……バートンは反省した。
だが子供よ、僕がしつこくなければ、おまえは産まれなかったんだぞ、と心の中でケイリーに言うバートンであった。
「だけど、好きだと言われると不思議なもので、異性として考えていなかったのに、男として見るようになっちゃうものなのね。今まで家族のように思っていたから、付き合ってからも、そこら辺の恋人のようにはいかなかったけど」
付き合いはじめてからの方が、ぎこちなかった。
何をするにも、どこに行くにも、話をするにも、以前のようにはいかず戸惑ったものだ。
「ぎこちないなりに、付き合いはじめて二年目くらいだったかな。ニックが刑事の試験を受けて、サエモンさんの推薦もあって、刑事になったのは。あたしも教師になることができて、それからしばらくは会う時間を取れないでいた。
会えない日が二か月くらい続いて来ると、自分が彼のことをどれほど大切に想っていたかを知ることができた」
セレナはケイリーとサムを見て、「相手を好きになるって、一緒に過ごした時間が大きく左右するのよ。この人と一緒になったら楽しいだろうなとか、幸せになれるだろうな、とか相手のことをよく知っていないとわからないことじゃない。
長く一緒にいたからこそ、裏表のない人だということも知ることができた」と続けてバートンを見て、「あたしは彼のプロポーズを受けた」と微笑んだ。
「今となっては結婚して良かったと思ってる。教師として働くことができなくなっちゃったけど、こうして家族みんなで過ごせている今が一番幸せだし、自分の子供たちに勉強を教えてあげられるし」
セレナは言って子供たちの顔、バートンの顔、チャップの顔を順番に見据えて優しく微笑んだ。
「一緒に過ごした時間が愛を育むの、あたしはそう思う――」