file57 因果は繋がり、動き出す
キクマとバートンたちは待合室に移って、矯正長の話しに聞き入る余り時間の経過を忘れていた。時刻は午後5時を過ぎ、軽く三時間は矯正長の熱弁を聞いていただろう。
「で、二人は男の下に戻ったのですね」
バートンは訊ねた。
「はい。アリシアと子供はお世話になったお二人に事実を話すことなく、その翌日の早朝に旅立ったようです」
カレンの名前が矯正長の口から出てきたとき、バートンは口には出さないが驚いた。カレン・テイラーはバートンの育ての親だった。
同姓同名の人物だと思うようにしていたが、話を聞く限りカレンその人であると疑いようがない。まさかカレンがキプス少年に出会っているとは、因果だろう。
「だけど、そんな親切な人たちならアリシアさん達を留めたでしょう?」
他人事ではなくなった話に、バートンは強く惹かれた。
カレンとアレンなら、絶対に引き留めたはずだ。
「『旦那さんがいなくなった今、これ以上お世話になるわけにはいきません』とアリシアは言ったそうですが、アレンさんは『主人が亡くなって、寂しくなっちゃったんだから、このままこの家で暮らしてもいいのよ』と言われたと」
「だけど、アリシアさんは断った?」
「はい。何度も引き留められたけれど、アリシアは振り切りました」
「その後、テイラー家との繋がりは?」
「アリシアは男に言われるがまま、引っ越したと言っていました。テイラー家の人々と二度と出会うことのないどこか遠くへ越したのでしょう。そのことを想うとその後の繋がりはないと思います」
「で、その後のアリシアさん達はどうなったのでしょう?」
先の展開は知っているものの訊ねずにはいられなかった。
「その後アリシアは男の暴力にも弱音を上げることなく、耐え続けました。逃げようと思う気持ちなど抱きようはずもありません。ただただ、男の暴力が終わる日を待ち続ける日々。
どれだけ心の強い女性だったとは言え、精神の限界ということはあります。少量の毒でも溜まれば命を脅かすように、男の存在はアリシアにとっての毒でした」
そして、アリシアは……耐えられなくなった。
「男の脅威は一向に終わる気配を見せない。アリシアは考えたのでしょう。この苦しみを終わらせなければ、とでも。テイラー家から連れ戻され四年ほど過ぎたある日、アリシアはキッチンにあったナイフを手に、眠っていた男を殺害したのです」
ずっと押し黙ったまま話を聞いていたキクマはやっと口を開いた。
「そして、ここに連れて来られた、と」
「そうです。裁判で懲役十年の判決を受けました。十年以上も男から暴力を振るわれ、精神的に追い詰められていたことが考慮されかなり減刑されたのです」
「で、アリシアさんの子供はどうなったんです?」
「施設に預けられました。出所したら必ず迎えに行くと約束して」
「どこの施設だったかは聞いていませんか?」
バートンの質問に矯正長は頭を悩ませる格好をする。
「確かに聞きました。確か……何という施設だったでしょうか……」
腕を抱え矯正長は目をつむって考えた。
キクマとバートンは気長に待つ気持ちでいたが、「思い出しました」と間もなく矯正長は顔を上げた。
「ルベニア教会というところでした。間違いありません」
バートンは我が耳を疑った。
ルベニア教会とは幼いころバートンが入っていた教会の名前だ。
「ルベニア教会ですか」
言葉を継いだのはキクマ。
「ええ、ご存じで?」
「ちょっと知っているだけです」
キクマもルベニア教会のことを知っているのは意外だった。
バートンはサエモンに助けられた。サエモンの知り合いのキクマがルベニア教会のことを知っていても不思議ではないではない。
「アリシアは服役を終えて、ルベニア教会に子供を迎えに行ったのですね」
「十年間彼女は罪を償いました。もう彼女を苦しめる暴君もこの世には居ません。本当に彼女は自由になったのです。私は出所するときのアリシアの輝かしく美しい顔を今でも覚えています」
そう語る矯正長の声は後半に差し掛かるにつれ、震えていた。
異常を感じたバートンは彼の顔をうかがうと、涙ぐんでいる矯正長の顔が目に入った。
「けれど、そのどういうわけかルベニア教会で預かってもらっていたはずの子供はいなくなっていたのだと、私のもとに手紙が届きました」
矯正長の話をここまで聞いてわかったことは、ルベニア教会に預けられてたキプスはどういうわけか、教会を抜け出し生き別れになってしまったというわけだ。
そしてバートンの頭に昔のある記憶が思い出された。
教会を勝手に抜け出したことが神父にバレてしまい、バートンと仲間たちは地下の懲罰房に入れられたときのことを。その懲罰房の壁には文章が刻まれていた。
どのような文章だったかは思い出せないが、その文章を書いた子供は森に逃げ出したと聞いた。タダイ神父はその子供を悪魔の子供と言った。
同じ寮に入所していた子供を殺して……森に逃げ出したと。
バートンは確信した。その逃げ出した子供とはキプスだと。キプスはルベニア教会を逃げ出した後、生き残った。
「子供の行方がわからなくなった後、アリシアさんはどうされたんですか?」
バートンの両二の腕に鳥肌が駆け走った。カレンの話といい、ルベニア教会の話といい、まるで因果で繋がっているかのように自分とキプスは知らないところで繋がっていた。
「子供を捜しながら、ベルグーの街で仕事をしていると手紙が来ましたが、それから先のことは知りません。手紙のやり取りも、その知らせを最後に途絶えてしまいましたから」
「どのような仕事をされていたのでしょう。聞いていませんか?」
「綿織物の工場で働いていると書かれていましたが、詳しくはわかりません」
「いえ、十分です」
キクマは組んでいた足を解き、背筋を正して矯正長に改めて向き直った。
「詳しいお話ありがとうございました。とても参考になりました。アリシアさんを見つけ出したときには、必ず連絡させてもらいます」
矯正長は微笑んで、「お願いします」と静かに答えた。
この人はアリシアのことが本当に好きだったのだ。
看守と囚人、報われない恋だった――。