file25 『獣の皮を被った悪魔』
私は深い深い眠りの中にいた。深い深い眠りから私は目覚めた。
肌を撫でる、北風が私をゆすり、起こした。
まぶたを開けると、私は大木の根に腰かけ眠っていたことを思い出す。
どれくらい眠っていたのだろう。数時間の気もするし、何日も眠っていた気がする。
そして、お腹が空いていることを自覚する。キリキリするほど空いている。このままでは倒れてしまうのではないかと、思うほど空いている。
なにか食べ物を探さなければ。
だけど、こんな森の中で何を食べればいいんだ。分からない、なにも分からない。何を食べ、これからどうすればいいのか、何も分からない。
仕方なく、私は草を食べた。青臭い、噛めば噛むほど、なんとも言えない青臭さが鼻を抜ける。
馬や、牛や、山羊や、羊や、ウサギや、ありとあらゆる草食動物はこんなものを食べているのか。どれだけ食べても腹に溜まらず、満腹感は得られない。
それどころか、腹をくだし体力を消費する始末だった。なにもする気が起きず、意識が遠のく。
そして、私は再び眠りに落ちた。
キメラの手足の付け根に部分に、ギザギザの縫い目がある。
明らかに、つなぎ合わせた痕だと分かる。サエモンはキメラを腹ばいにひっくり返し、腹をまさぐった。胴の太い腹は触るたびに、ぐにゅ、ぐにゅ、と腹の皮が上下した。
まさぐる内にキラリと光る、丸いイボのような物が見えた。バートンは、踵立ちの体勢顔を突き出し、サエモンの肩越しから覗き込んだ。
分かった、この、丸いイボのような物は――ボタンだ、と。
確信した。この、キメラは人間が作り出した、合成生物。人間が作り出した、きぐるみの毛皮だったのだ、と。
サエモンは眉の根一つ動かさず、ボタンを外していく。
その光景をここにいる誰もが見守った。キプスもキクマも他の警官たちも、もちろん、バートンも固唾を飲んで見守った。
この毛皮の中に入っている、人物が各地で騒がれている、獣による殺人事件の犯人かもしれないのだ。
そしてキクマがむかし、捕まえることができなかったという、シリアルキラーの可能性もある。
すべてのボタンが外され、メスで切り開かれたようにパックリと腹が開く。
数人の警官が駆け付けて、中の人物を引っ張り出すのを手伝った。ゆっくりと、引き出す。手足が引っかかり、なかなか出てこない。最終的に少し強引な力技で引きずり出した。
手足がだらりと不自然に曲がり、子供に投げられほったらかしにされた人形のようにも見える。
そして、そのきぐるみの中の人物を苔の生い茂る、地面に横たえた。バートンはサエモンの肩越しから、刮目した。
そのとき、バートンは目を疑った。
見開かれ、かつては生が宿っていた、瞳は濁った青色。
カビの生えた青いタイルのようで、健康的だった小麦色の肌は土色に成り果てていた。
毛皮の毛がよだれの滴った、口角にベトリ、とくっ付いている。広場で会ったときは旨そうにタバコを吸っていた、あのゴツゴツの指は硬直して、固まっていた。
「トローキンさん……」
バートンはその人物の名前をつぶやいた。
その毛皮の中から出てきた人物はバートンたちに怪物の伝説を教えてくれた、トローキンだった。
「キプスさん、この人物を知っていますか」
サエモンは驚きの余り、動くことができないでいるキプスに問うた。サエモンの声が右から左に抜けて意味をなさず、ただ猟銃を両手で握りしめているキプス。
サエモンはもう一度、さっきよりも大きな声で問う。
やっと、キプスは我に返り、「え、ええ」と、気の抜けた声で答えた。
「むかしから、狩りを一緒にしていた、仲間です……」するとキプスは猟銃を地面に落とし、「私は……私が……トローキンさんを……殺してしまった……」
震える声で、いった。キプスの顔を見ると涙が浮かんでいた。涙は頬を伝い、流れ、苔に消える。
「撃ったのはキプスさんだったんですか?」
今のキプスに聞くのは酷だろうと思い、バートンは横にいた警官に訊ねた。
「ええ、キプスさんがこの獣を見つけて、追いかけたんですよ。一発で仕留めました。さすが猟師さんです。結構、離れていたのに寸分の狂いもなく仕留めてくれました」
改めてトローキンの顔を見下げると、引きつった顔はまるで驚いているかのように見える。
自分が撃たれると思っていなかったのだろうか。殺され、まではしないだろう、と。
だけど、なぜ、トローキンは森に入っていたのか。今日森狩りが行われるのは村の誰もが知っていた。それなのに、森に入ったのだから、おかしな話だとバートンは思う。
気が付けば、遺体収納袋にトローキンを入れたあとだった。
*
犯人が分かったときの村人たちの反応は喜びとも、悲しみとも取れないものだった。トローキンは村の者に愛されていたようだ。
トローキンは人を殺すような人じゃない。
あの人はこんなことしない、村の者は必死にトローキンの無実を訴えたが、決定的な証拠が残っている以上、誰も強くは言えなかった。
毛皮をかぶったトローキンをキプスが射貫く姿を警察の誰もが見ている、決定的な証拠がある。
悲しむ者以上に、喜ぶ者が多いのには驚いた。
当然といえば当然だ。もう怪物に怯える日々は終わったのだから。
村の半分以上の人々がキプスを称賛し、担ぎ上げた。村の人々を救ったキプスは英雄だ、と騒ぎ回る。
ラッセルが死んだ今では、次期村長になってくれ、という者いる。記念碑を建てよう、という者まで現れる熱狂ぶりだった。
しばらくはこのお祭り騒ぎが続きそうだ。
しかし、これで本当にこの事件は終わったのだろうか。
伝説では、終わらなかった……。
バートンは何だか、歯に物が挟まったときのような気持ち悪さを感じずにはいられなかった。キクマお得意の刑事の勘。
その刑事の勘という信用のならない、超能力がまだこの事件は終わっていない、と告げていた。
こんな、勘が自分にもあるのかと不思議に思ったが、胸騒ぎのような物が消えないのだ。
そのときだった。このお祭り騒ぎの雰囲気と打って変わった、女の甲高い声が聞こえて来たのは。
初めは小さかった声が段々と、大きく聞こえだした。
イ――ス――カ――という声が途絶え途絶え聞こえてくる。
近づいて来る女の顔が識別できるまで、近づいた。その、近づいて来る女とはキスカだと分かる。
「はぁあぁ、イ、はぁあ、はぁあ、イ、イスカを……知りませんか……?」
息も絶え絶えに、キスカは言った。
肩を上下させながら、高揚した頬は薄く紅が射している。
不健康そうな顔いろをしていたが、今の運動で健康に色づいた。
「イスカちゃんがいなんいですか……?」
自分の胸騒ぎとはこれだったのか、とバートンはわかった気がした。
一体、イスカはどこへ行ったのか。
最悪な光景が、バートンの頭を駆け抜けた――。




