file51 親の心を知らぬ子供たち
カレンは子供と手を繋ぎ、町を歩いていた。
別段用事があって、歩いているわけではなかった。
気分転換をしたかったのももちろんあるが、何よりこの子を外に連れ出してあげたかった。ここ一か月、家の中から出られず遊び盛りの子供には辛かっただろう。
アリシアの境遇は話に聞いて自分なりに理解しているつもりだ。
アリシアに手を上げていた、という男をカレンは許せない、と同時にどうして警察に助けを求めないのか理解できなかった。
「ねえ。カレン。どこ行くの?」
子供の問い掛けでカレンは物思いから覚めた。
「どこに行きましょうか。行きたいところはありますか?」
子供は考える素振りをして、しばらく悩んでいたけれど「わかんない」と首を振った。
「では、繁華街の方に行ってみましょうか。この町は交易が盛んですから、色々な出店がありますよ」
「うん」
カレンは繁華街の方へ子供を誘導した。
五、六歳の子供とカレンでは歩幅が違い、歩いて十五分ほどの道のりも倍近くかかった。
繁華街に近づくにつれて、人の数も増えていった。
子供とはぐれないように手を握りしめる。それほど大きくない町だが、はぐれてしまったら見つけるのは困難だろう。
「何か食べたい物とかありますか? あったら、遠慮せずに言ってください」
出店の前を通り過ぎながら、カレンは訊ねた。
「あれが食べたい」
そう言って子供が指さした店は、フランクフルトを売っている店だった。フランクフルトを焼く香ばしい匂いが、道行く人々の食欲を刺激している。
「買いに行きましょう」
カレンは店主にフランクフルトを二本頼んだ。
棒の部分を紙袋で包まれた、二本のフランクフルトと引き換えるようにお金を店主の手の上に置いて、受け取った。カレンは一本を子供に渡し、再び手をとる。
「あそこに座りましょう」
言って道端の一角に置かれている椅子に座った。マスタードとケチャップのかかった太いフランクフルトを、子供は小さな口を限界まで開けてかぶりついた。
「いっぺんに口に入れると喉に詰めますよ」
言いながらカレンもフランクフルトを食べる。昼食を食べた後だが、不思議と食べられた。
道行く人々の雑多を聞きながら、フランクフルトを食べる二人。外で何かを食べるなど、いつぶりだろうか?
食べたい物があれば大抵は自分で作れるカレンは、外で遊び食いをするということをしたことがなかった。友達と食べ歩く、ということもしたことがない。
こうして食べるのは、また違った美味しさと楽しさがあるのだな。
脂っこい物を食べた後には、何か甘いものが欲しくなってしまう。
「シャーベットでも食べますか?」
カレンは子供に提案を持ち掛けると、すぐに「食べる」という言葉が返ってきた。
こうして町を歩きながら色々な物を食べ歩きするのも悪くない、ということをカレンははじめてわかった気がした。
同い年の女の子たちとはそりが合わず、カレンはいつも一人で過ごしていた。他の子たちが色々な所に遊びに行っているときでも、いつも一人で勉強をしたり、本を読んだり、一人の時間を過ごしていた。
周りの子たちは恋愛をして、青春を謳歌していたが、羨ましいとは思わない。カレンは不思議と男の子たちからはモテた。
今までも五人以上から告白されたことがある。だが、その誰とも付き合わなかった。仕舞に近寄りがたい存在へとなっていき、誰もカレンに話しかけようとする人もいなくなってしまったのだ。
それでも別段寂しいとは思わなかっし、不自由とも思わない。
カレンには夢があったから、父親のように国を守る職業につくという夢があったから、カレンは青春を犠牲にしてでも勉強に打ち込んだ。
きっと、この先自分は誰とも付き合わないし、結婚もしないだろうという確信があった。子供も欲しいと思わなかったが、この子と共に過ごしていると、子供って良いな、と思ってしまう自分がいることに少々驚いた。
子供か……自分に子供がいたら、どうなるのだろう? と。
そんなことを考えながら、カレンは出店でシャーベットを二つ注文した。
「何の味がいいですか?」
ガラスケースの中には、カラフルなシャーベットが入ったバケツのような容器が並べられていた。
「これ」
子供がそう指さしたのは、赤色のシャーベットだった。イチゴやベリーを混ぜたものだろうと思う。カレンは紫のシャーベットを注文した。
「その味なあに?」
「これはぶどうです。食べっこしましょう」
言って子供にぶどうシャーベットを差し出すカレン。
その代わりに、イチゴシャーベットを渡された。
冷たく爽やかなシャーベットがフランクフルトで脂ぎった口の中を爽やかにした。
「美味しいですね」
訊ねると子供はうん、とうなずいた。
食べ終えたシャーベットの容器を持て余しながら、二人は行く当てもなく散歩を続けた。
「この先に広場があります。そこで少し休みましょうか」
町の中央には広場があり、蜘蛛の巣のように各地に道が伸びている。日曜日などになると、大道芸人がやってきて芸を披露していることもある。
広場の中央には噴水があり、二人はその噴水の縁石の上に腰かけた。
たまにはこういう日があってもいいものだ、と噴水の冷気を背後に感じながら思っていたときだった。綺麗なままでは終わらないのが、この世界の常だった。
「きみ一人?」
二人組の男がカレンの前にあらわれたのだ。
歩き方も荒々しく、肩をオーバーに振っただらしない歩き方で、見るからにごろつきだとわかる。カレンは無視した。
「その子、もしかしてきみの子? えらい若いお母さんだね」
歳は三十代に達しているだろうに、しゃべり方に知性はなく、軽かった。カレンが一番嫌いなタイプの男たちだ。
「ねえ、無視は連れねえじゃねえか、え」
言って、二人の男はカレンと子供を挟むように両隣に座った。
カレンは立ち上がり、子供の手を引いてその場から立ち去ろうとすると、「逃げることはないだろ」と回り込み道を塞いだ。
男たちに絡まれているのに、誰も助けに入ろうという人たちはいなかった。子どもはカレンの手を強く握りしめて、恐怖を称えている。
「その子供は家に帰して、俺たちと遊ぼうぜ」
「どっか行けっ!」
無視を貫こうとしていたとき、子供が男二人に言い放ち、カレンは冷や汗を浮かべた。
「は? 何このガキ。先に家に帰ってろって。ママは俺たちと遊んで帰るんだからな」
言って男はカレンの開いている方の手をつかみ、無理やり引っ張った。
「やめろっ! どっか行けっ!」
子供はカレンの手を放し、男に立ち向かった。しかし成人男性に小さな子供が敵うはずがない。男の足に殴りかかった子供を、蠅でも払いのけるかのように蹴り飛ばした。
それほど強く蹴飛ばしたわけではなかっただろうが、子供は盛大に尻もちをついた。
「おい、ちょっと待て――」
すると、背後で様子をうかがっていたもう一人の男が、子供の顔をまじまじと見つめて、顔をしかめた。
「おい、このガキ――」
男が言いかけたとき、カレンは男につかまれていた手をくるりと回転させて、逆手に男の手をつかみ返した。何が起きたのかもわからないまま、「イテテテ……」と痛みを訴える男。
冷静に冷静に自分の心に言い聞かせていたが、子供に手を上げたことでカレンは激怒した。
「今すぐこの場から立ち去ってください。さもなくば、この手を折ります。冗談ではありませんよ。私は本気です」
カレンは少しづつ力を込めて、男の手を捻ってゆく。
腕と体を反らせて、男は何とか耐えている様子だった。
「折られたくなければ、手を頭の上にあげて、背後を向き、振り返ることなく歩きなさい」
カレンは冗談ではないのだと見せつけるために、更に男の腕を捻る。
「イ、イデデデッ……わ、わかった。わかったよ……言う通りにする、だから手を放してくれッ……」
「そっちの彼はどうなのですか?」
「クレッド……頼む……いうことを聞いてくれ……このままじゃ、腕を折られちまう……」
荒くれ者の名だろう。クレッドと呼ばれた男は、納得のいかないように顔をしかめた。
「おい、そのガキ――」
クレッドが再び何かを言いかけるが、手を捻られた男の悲鳴がかき消した。
「く、クレッドッ! 頼む、この女本気だッ」
男の声には断末魔にも似た、鬼気迫るものがあった。
クレッドは舌打ちをして、渋々頭の上に手を上げて、ゆっくりと振り返った。
続けて、カレンは男を睨み上げて、クレッドと同じようにするのだと仕向ける。カレンに手を捻られたまま、男は背後を向いた。
「そのまま、振り返らずに歩きなさい。先にあなたから」
カレンはクレッドに命ずる。
クレッドが十歩ほど西部劇のガンマンのように進んでから、「次はあたなです」言って、最後に強く手を捻り上げてカレンの命に逆らおうとする感情を消滅させた。
「イデデ……わ、わかった、わかったよ」
男は背後を気にしながら、ゆっくりと七歩ほど進んだ後、振り返ったが、そこにはもうカレンと子供の姿はなかった――。