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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
終章 完結編 人に焦がれた獣のソナタ……
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file49 やっと手に入れた幸せ

 今までおちゃらけていたアレンは、真剣な表情でアリシアに向き合っていた。場の空気が変わり、アリシアは背筋を正す。


「あ、ごめんね。楽にしていいのよ。そんなに改まった話でもないから。ただ、これから一緒に暮らす以上はアリシアにもしてもらいたいことがあるだけ。いい?」


「はい。私にできることなら、何でもします」


「家事は曜日ごとの交代制ね」


「交代制ではなく、私が家事の全般をします」


「そこまでする必要はないわ。交代制でいいの」


「その他には? 何でも言ってください」


 アリシアが意気込みを新たにして、訊ねるとアレンは「うん~」と唸って、「それだけよ」と続けた。


「え?」


 アリシアはあっけに取られた。

 家事だけ?


「いえ、そんな訳にはいきません……。しばらくお世話になる以上、何でもします。言いつけてください」


「と、言われてもね。本当に何もないのよ」


 ひねり出すようにまた唸って、アレンはパンと手をたたいた。


「そしたら、カレンの話し相手になってあげてよ。あの子あんまり人と関わろうとしないから。

 もう二十歳にもなるって言うのに、男の子一人たりとも連れてきたことないのよ。あの子美人だから、モテると思うんだけどね」


 そのときだった、キッチンから足音もなくカレンが現れた。


「何を話しているんですか?」


「え、いや何でもないのよ……」


 アレンは慌てて、「ねえ」とアリシアにも確認をとった。


「え、はい……」


 つられて返事をしてしまったが、別に知られて困るような話しをしていないことに気付いた。


「アリシア様、好物は何ですか?」


 白いフリルが肩についたエプロンを着込んだカレンは、アリシアに訊ねた。


「好物?」


「はい。食べたい物を言ってもらえれば、何でも作りますよ」


「いえ、何でもいいですよ」


 カレンとの話し方にアリシアは迷う。敬語で話すべきなのか、それとも砕けた話し方にした方がいいのか? お世話になっている身としては、敬語を使うべきだろう。


「遠慮しなくていいのですよ。好きな物を申してくれれば、大抵の物は作れますから」


「ありがとうございます。だけど、思いつくものがないので、お心遣い本当にありがとうございます」


「そうですか……」


 カレンは整った眉を歪ませて、「では、その子の好物は?」と我が子を手のひらで示してみせた。


「え? 好物ですか」


 そう言われてみて、パッと思いつくものがないことにアリシアは驚いた。この子の母親なのに、この子の好物を知らないのだ……。


 返事を返さないアリシアを不審がって、カノンは小首を傾げた。


「どうされました。気分がすぐれないようでしたら、部屋で休んでおられた方がよろしいですよ」


「あ……いえ、違うんです。母親だというのに、我が子の好物も知らなくて……」


 アリシアは自分に絶望した。

 どんなに辛くとも、色々な料理を作って、子供に食べさせることだけは怠らないようにしていたが、何が好きなのか、嫌いなのか、それどころか我が子と殆ど会話らしい会話を交わしたことがないことに今更ながら気が付いた。


 今思えば、あの日の夜。星空を見上げて、色々な話をしたことがはじめてのことだった。それ以前は、殆ど普通の親子の他愛無い話というものをしていない……。


 愛情だけは人一倍注いでいたつもりだが、それは世間一般の母親が行っていることと、いやそれにも劣る程度しか我が子を見てやれていなかったのだ……。


「そんなに気にすることないよ」


 強く言ってアレンは立ち上がり、アリシアの下に歩み寄った。

 

「あたしなんて、未だに我が子が何を考えてるんだかわからないもの。カレンは子供のときから、自分のこと余り話さない子だったから、何が好きなのか、嫌いなのか、自慢じゃないけど知らないわよ。そんなことを気にしたこともないし。あたしと比べたら、そんなことを気にするアリシアはよくできた母親だよ」


 そう言いながら、アリシアの肩に手を置いて、優しくタンタンと赤ちゃんをあやすようにアレンはたたいた。


「お母さんは子供のことを知ろうとしなさ過ぎるのです」


 カレンは皮肉るように言い、素っとん狂な感じにアリシアは引きつっていた顔をほころばせた。


 アリシアは我が子に食べたい物があるか訪ねてみると、「ハンバーグが食べたい」と答えた。


 そう言えば以前ハンバーグを作ってあげたとき、いつもは無表情だった顔がそのときだけはほころんでいたように見えたのは気のせいではなかったのかもしれない。


「良いですよ。お昼は豪勢にハンバーグにしましょう」


 カレンは言って、後ろで結んでいたエプロンの紐をほどきながら言った。


「肉を買ってきます」


 今脱いだばかりのエプロンを空中で綺麗にたたんで、椅子の上に置く。


「いってらっしゃ~い」


 カレンが家を出ていったことを確認してから、改めてアリシアに向き直った。


「あの子、硬いでしょ。もうちょっと年相応の可愛らしさを見せれば、絶対モテると思うんだけどなぁ~」


「あの年で物おじせずに話せるのはすごいと思います。女の私から見ても、綺麗で冷静で見惚れてしまいますもの。きっと彼女にメロメロの男の子は多いと思いますよ。たぶん、今は恋愛よりも他に目標があるのではないですか?」


「目標ねえ。あの子があんな生真面目な性格になったのは、お父さんが影響しているのよ」


 アレンは膝の上で頬杖をついて、考え深げに切り出した。


「ヴィッツさんがですか?」


「あ、違う違う、あの子のお父さん。あたしの旦那。旦那は警官でね。あたしとは性格が正反対。そんな父親にしつけられちゃったからなのか、あんな生真面目な性格になっちゃったのよね」


「お父様は今どこに?」


「仕事に行ってる。仕事仕事でいつも帰りが遅いの」


「アレンさん達を養うために、必死なんですよ」


 アレンは、「そうね」と笑った。


「そんな父親をもっちゃったから、あの子も硬い人間になっちゃったのね。だから友達いないのよ。いっつも部屋にこもって勉強ばかりしているの。もし良ければ、あの子の遊び相手になってあげて、それがあたしからのお願い」


「私は別に構いませんけど、あの子とは年も離れていますし……話が合うかどうか……」


「大丈夫よ。その子がいるから」


 言ってアレンは我が子に視線をやった。


「あの子ああ見えて、子供好きなの。だから、その子とつるませておけば、ちょっとは子供らしい女の子になってくれると期待しているんだけど」


「はい。遊び相手になってくれるのなら、この子も喜ぶと思います」


 アレンとの話に打ち込むあまり、カレンが帰ってきているとに気付かなかった。カレンは帰ってくるなり、キッチンに引っ込んで昼食の支度をはじめていた。


 アリシアも手伝おうとしたが、当番ではないと断られた。

 時計の針が十二時を差し示すころには、テーブルの上にデミグラスソースをかけられた大きなハンバーグが並んでいた。


 カレンはとても料理が上手で、まるでプロが作ったハンバーグのように、ナイフを突き立てるだけで噴水のように肉汁が溢れ出た。


 こんなに楽しいひと時を送れるのは夢のようだった。

 この暮らしを守るためなら、私は何でもする。アリシアはそう思った――。

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