file48 カレンとアレン
廊下方面のとびらからあらわれた若い女性に視線を向けて、「ああ、久しぶりだねカレン。元気にしてたか」とヴィッツは柔らかな声で言った。
カレン、歳のころは二十歳くらいに見える。
肩甲骨の下辺りまで、柔らかそうにウェーブした甘栗色の髪。
優しさと凛々しさを含んだ知的な眼。
引き締められた口元。
まだ若く危うさと、可愛らしさを残した顔立ち。
同じ女性から見ても、美しいと思うほどに綺麗な女性だった。
「はい、お祖父さま、お久しぶりです。私は元気です。お祖父さまの方こそ大丈夫ですか?」
カレンの引き締められていた唇は微笑みを称えた。
母親と同じように、笑うとえくぼができる。
「わしは大丈夫だよ。百歳まで生きるつもりだからね」
「お祖父さまなら、百歳まで生きられますよ。長生きしてくださいね」
「ありがとう」
ヴィッツの顔は孫を可愛がる祖父を、絵に描いたようにほころばせていた。カレンは王族を彷彿とさせる優雅な足取りで、女性のとなりに腰を下し、アリシアと子供を見た。
「はじめまして、私はカレンと申します」
まだ若いというのに、とても言葉遣いが丁寧で落ち着きのある女性だった。
「あ、はい、はじめまして……アリシアと申します……」
先細る声は震えて、アリシアよりも一回りも二回りも年下だとわかっていても、緊張した。
「この子は、私の子供で――」
我が子の名前を続けて紹介した。
「可愛い子ですね」
アリシアは自分のことのように嬉しく思った。
「ありがとうございます」
「そう言えば、まだあたし自己紹介していなかったわね」
カレンの母は手を打ち鳴らした。
「あたしはアレン。アレン・テイラー。あたしのことはアレンって呼んで。“さん„なんて付けなくていいから」
さんを付けなくていいと言われても、アリシアの性格上いきなり呼び捨てはハードルが高かった。
それにアレンの方が十歳は年上なのだ。
年上の人を呼び捨てにはできない。
「わかったわ。それじゃあ、アレンさんでいい」
それならアリシアも大丈夫。
「アレンさん、カレンちゃん。ケーキありがとうございました」
ケーキと紅茶を飲み終えた、アリシアに二人に頭を下げながら言った。
「後片付けはカレンにやらせればいいから、先に部屋に案内するわ」
「片付けますよ。私が……」
「いいからいいから、先に案内させて」
「私は構いませんから、部屋を見てきてください」
カレンは言いながらすでに食器を片付けはじめていた。
言葉に甘えて、アリシア親子はアレンの後に続き、階段を上がる。
折り返し階段で踊り場があった。手すりは落ち着いたウォールナットで統一されている。壁には絵画が掛けられて、画廊のようだ。
二階に足を踏み入れると、左右に道が分かれており、そのどちらにも二部屋ずつあった。
「奥の部屋は物置になっていて、左手前の部屋はあたしと旦那の部屋。右奥の部屋はカレンの部屋。アリシアたちはカレンのとなりの部屋になるけどいい?」
「はい」
右手前の部屋の中にはシングルベッドが二つあり、ドレッサーが置かれ、後はからの本棚と中型のクローゼットが置かれている、シンプルな内装だった。
「家具は好きに使って、それほど広くなくてごめんなさいね」
言いながらアレンはとびらを開けて対照側にある窓に歩み寄り、外の風を室内に入れた。レースカーテンが風になびき、アレンの顔を覆い隠す。
「いえ、自分たちには贅沢なほどいい部屋です。本当にありがとうございます」
アリシアはラインからもらった服を綺麗にたたみ、クローゼットの下段にしまった。
「この部屋に置いてあるものは、すべて好きに使ってくれたらいいから。それじゃあ、旅の疲れもあることだしゆっくりしていて」
アレンはそう言い残して、とびらを閉めた。
アリシアはベッドに腰かけて、しばらくボーっとしていたが、ふと不安な気持ちに襲われた。
こんなに恵まれていいのだろうか、と。今運を使い果たしたら、大きな不幸が襲ってくるのではないか?
もしかしたら、これは夢なのでは? 夢から覚めれば、また男に怯える日々がはじまるのでは……。
「母さん。どうしたの?」
「ん? 何でもないの。ちょっと、あまりに幸せ過ぎて、未だに信じられないだけ。少し休んだら、一階に下りましょうか」
アリシアが微笑みかけると、我が子も微笑みを返した。
*
「それじゃあ、わしはそろそろ引き上げるとする。後のことはよろしく頼んだぞ」
言ってヴィッツは席を立った。
「任せてちょうだい」
「あの子たちはとても傷ついている、おまえが守ってやるんだ」
「ええ、わかってる。後は任せて。それより、パパこそ気を付けてよね。自分が思っているほど若くないんだから」
「ああ」
「アリシアたちに別れを告げなくていいの?」
「また来る、と伝えてといてくれ。旦那にもよろしく言っておいてくれ」
言いながらヴィッツは黒い革靴に足を通し、静かにとびらを開けた。
「今度は、ママも連れて来てよ」
「ああ、そうするよ。ラインにもカレンが作ったケーキを食べさせてやりたいからな」
「楽しみに待ってるわ」
「ああ、ありがとう」
ヴィッツはとびらに消えた。
久々の父との再会に、アレンは安堵感を覚えた。元気そうで何よりだ。
ある親子をかくまってやって欲しい、という手紙をもらったときはどうしたものかと迷ったが、その親子をこの目で見た今では、引き受けて良かったとアレンは心の底から思った。
ヴィッツを見送り終えて間もなく、アレンがリビングに戻ろうとしたとき、二階からアリシアたちが下りてきた。
「どうだった部屋は。まだ、慣れてないから変な感じだろうけど、すぐになれるわ」
「いえ、とても過ごしやすい素敵な部屋です」
「そう、それは良かった。片付けが終わったのなら、これからのことを話しましょうか」
アレンはそう言って、リビングに付いて来るようにうながした――。