file47 明るい女性
馬車の荷台に揺られながら、アリシアはセンティアに向かっていた。
馬車を引いてくれているのはヴィッツ。
満天の星空の下、舗装されていない田舎道を進み不安と希望にアリシアは打ち震えていた。
ここから、私たち親子の新しい生活がはじまるのだと。
「わざわざ、送ってもらっても申し訳ありません」
「気にすることはない。乗り掛かった舟だ。助けたなら、最後まで責任を持たねばな」
ヴィッツは前を向いたままで表情は見えなかったが、いやいやなのでないとわかった。世界にはいい人もいるのだな、アリシアは感謝と感動の念で胸がいっぱいだった。
「眠くなったら、眠っているといい。このペースじゃ、ついたころには日が明ける」
我が子はすでに夢の中。
アリシアの肩に頭を預けて、気持ちよさそうに眠っている。
荷台が揺れるたびにがくがくと頭が揺れるが、目覚めることはなかった。
「そうさせてもらいます」
もっと寝ずらいものかと思っていたが、ゆりかごのように揺れる荷台ではとてもよく眠れた。男がいたときには考えられなかった、安らかな眠りだ。
*
「アリシア。おい、ついたぞ」
ヴィッツの声でアリシアは目を覚ました。
日は明けていて、山から太陽が頭を出したところだ。
「ほら、あれがセンティアの町だ。人口二万人ほどはあるだろう。町の中央に教会があって、蜘蛛の巣のように建物が張り巡らされている。商業が盛んで、行商人がひっきりなしに行きかった賑わいのある町だ」
「素晴らしい町です」
アリシアは乙女のように目を輝かせながら、荷台の手すりに身を乗り出して言った。町の地面はコンクリートで舗装されており、馬車は進みやすかった。
「ここからは、歩いて案内しよう」
ヴィッツは馬を空き地に括りつけて、ついて来るようにうながした。日が明けて間もない町は、人通りも少なく空気も澄んでいた。
歩道は石畳になっており、歩くたびに踵がカツカツとアパートメントに反響する。シャッターが下りた店の前で、掃き掃除をしている人たちがチラホラいた。
我が子の手を引きながら、アリシアは心ときめいていた。
とてもいい町。アリシアがいた街から四十キロほどしか離れていないのに、このような町があるなど知らなかった。
自分がどれだけ世間知らずで、狭い世界しか知らなかったのかを痛感した。歩道を右折したり左折したりしながら、少しずつ道幅が狭くなっていく。
裏道のようなところを抜けて、また大通りに出ると、広場を通り、アパートではない一軒家が立ち並ぶ一帯に出た。
ヴィッツは迷いなく突き進み、ある一軒の家の前で立ち止まった。色々な植物を植えた庭があり、壁はクリーム色のレンガで、とんがった屋根は赤色。
重厚感のあるとびらにはリング状のノッカーが光っていた。
ヴィッツは迷うことなく、ノッカーを三度叩いた。
建物を反響して、ノッカーの音はかなり遠くまで響いた。
しばらくすると、中から声が聞こえて来た。どうやら家主は起きていたようで、アリシアはひとまず安心する。
「今開けます」
とびらを挟んでいるから、断定はできないが四十代くらいの女性の声だと思う。
ガチャと様子をうかがうようにして、少し開いたとびらから青い瞳だけをのぞかせたかと思うと、バンと全開に開け放たれた。
「パパ。思ったより早かったわね」
四十代くらいだと思われる女性は、二十歳そこらの若々しい態度でヴィッツに言った。
ヴィッツの背後にいるアリシアに気付いた女性は、「その子が例の」と訊ねた。
「ああ、そうだ。手紙で知っているだろ。面倒をみてやってくれ」
「いいわよ。家族が増えるのは嬉しいわ」
女性はそう言って、ヴィッツを押しのけアリシアに迫った。
子供とアリシアの顔を交互に見比べて、「アリシアね。これからよろしく」と手を差し出した。
アリシアは女性の手を握り返し、握手を交わす。
「よ、よろしくお願いします。本当に迷惑をかけて、申し訳ありません……」
「いいのよ。困ったときはお互い様っていうでしょ。そう暗い顔してちゃ、綺麗な顔が台無しよ。とりあえず、中に入って」
アリシアの背中を押して、中に入るようにうながし、「パパも久しぶりに来たんだから、入って行きなさいよ」とヴィッツに言った。
「いや、わしは」
と拒むヴィッツだが、女性は強引な性格らしく、「まあまあ、お茶だけでも飲んでいきなさいって。帰り道に倒れられたんじゃ、後が大変なんだから。無理してもらったら困るわ」と手を引いた。
玄関で靴を脱ぐ仕様になっていて、カーペットの上にはスリッパがそろえられていた。
花や鳥の刺繍がほどこされた綺麗なスリッパで、重厚感のある赤や黄色、青などの色が並んでいる。
「好きなスリッパを履いて」
アリシアは壁よりにある青のスリッパを選び、我が子にはそのとなりにある黄色のスリッパを履かせた。スリッパは大人用しかなく、ぶかぶかだ。
「ごめんね。大きなスリッパしかないのよ。歩きずらかったら、素足でもいいわ」
アリシアは我が子に訊ねてみる。
「歩きずらくない?」
我が子は首を振った。
どうやら大丈夫なようだ。
「大丈夫です」
「そう。よかった」
女性は目尻に小じわが寄るのも気にせずに、大きく笑う。笑うとえくぼができて、とても優しそうな印象を受けた。
「今、お茶を入れるから、待ってて」
廊下を抜けて、左手にあるリビングルームに通された。
重厚感のあるソファーが置かれ、窓からは色々な花が植えられている庭が見える。唯一アリシアでも名称を知っているのは、バラだけだった。
アーチ状になった柵に、蔦や花が巻き付いて、トンネルを作っている。
壁側中央にはレンガ積みの暖炉が設置され、棚には小物の雑貨が飾られていた。
小物は多いが、ごちゃごちゃした感じはなく落ち着いていて、オシャレな雰囲気に酔いそうだった。
「あんな子供みたいな奴ですまんね」
ソファーに座り、固まっていたアリシアにヴィッツは言った。
「いえ、そんなことありません。とても明るくて、素敵な人ですよ」
「明るいだけが取り柄みたいなものだよ。もう四十三にもなるが、おちつきがでないな。アリシアと一緒に暮らしていく中で、落ち着きを憶えてくれるといいんだが」
「直す必要はありませんよ。私みたいに暗いよりは、明るいほうが断然いいですよ」
ヴィッツは足を組んで微笑んだ。
「調和が取れて丁度いいじゃないか」
ヴィッツと話をするなかで、アリシアの緊張は少し緩和された。
「お、盛り上がってる盛り上がってる。あたしの悪口ではないでしょうね?」
女性は銀のトレイを両手に持って、現れた。
「悪口ではないよ。四十も過ぎているのに子供らしくて、可愛いと話していただけだ」
「それ、悪口じゃない?」
「悪口じゃない」
ヴィッツと女性のやり取りに、アリシアはくすりと笑った。
「やっと笑ったわね。あなた笑うととても可愛いわ」
アリシアは顔を赤らめた。
「それじゃあ、食べてちょうだい。チーズフォンデュケーキって言うの。とても美味しいわよ」
三人の前に並べられた皿の上には、上表面を小麦色に焼かれ、クリーム色のケーキ。フォークでケーキを切ると、しっとりとしたクッションのように沈み込む。
切り分けたケーキの断面を見てみると、トロトロのチーズが湧き水のように。湧き出てきた。
「ケーキの中にチーズが入っているの。驚いた?」
女性はティーカップに注がれた紅茶を飲みながら言った。
「これ、おまえが作ったのか?」
ヴィッツは眉根を寄せながら、疑わしそうに訊ねた。
「当然よ、と言いたいけど、作ったのは私じゃないわ。カレンが作ってくれたの」
そう言うなり、廊下に続くとびらが開き、若い女性が姿をあらわした――。