file37 私が殺した女
長らくお待たせいたしました。二か月ぶりですね。二か月も休んで、ブックマークを外されると思っていたら、なんと! 増えているではありませんか! ブックマーク22です。
驚きましたよ。それに評価も入れてくれている! この作品を書くにあたって目標にしていたブックマーク20を達成いたしました。めちゃくちゃ、低い目標ですがね(笑)。だけど、低いからこそ一人一人のブックマークがありがたいと思える。改めて、ブックマークと評価、誠にありがとうございました!
ブックマークや評価で作風を左右されたくはない、と思っていますがブックマークや評価をされると本当に嬉しいです。書き溜めはあるので、しばらくは毎日投稿ができます。ちょっと、強引なストーリー展開になっても、完結を目指しますのでよろしくお願いいたします。
ここまで読んでくれた方はわかっていると思いますが、この作品の舞台はフランスです。だけど、フランスの地理を作者は殆ど知らず、すべて想像で書いています。だから、町名や地名をなるべく伏せていたのですが、今回は書かなければ物語を進められませんでした。
作中で現れる都市や町などは実在するものもありますが、すべてフィクションですのでご了承くださいませ。それでは本編へどうぞ。
スーツに身を包んだ小太りで、いかつい顔をしたマフィアのような男が、広大な刑務所の敷地を、睨み上げるように見つめていた。
刑務所の入口付近には五階建ての建物や見張り台があり、正義の象徴のような貫禄あるたたずまいで、罪人たちを見張っている。
刑務所の表入り口に、数人の守衛が背筋をピンと伸ばして立っていた。男がポケットに手を突っ込んだまま、入り口に歩み寄ると、守衛が訝しむような目をして「ご用件は?」と問うてきた。
街からずいぶん離れ、殺風景な景色が広がるだけの刑務所に、眼つきの悪い男がポツンと現れたのだ、これで不審に思わなければ見張りの意味がない。
男は懐から、黒い手帳のような物を取り出し、開いて見せた。
「キクマ・ランドーズ」
守衛はキクマの顔と手帳に張られた写真を、鑑識官の如く見比べた。本人だと納得すると、守衛は背筋を正し敬礼を示した。
「警部殿でありましたか」
「ああ」
「このような辺鄙なところに、どうして。また?」
「ちょっと、会いたい奴がこの中に収容されてんだ」
言いながら、キクマは手帳を大事そうに、懐にしまった。
手帳を失くすと、めんどくさいことになるので手を抜けない。
しっかりと内ポケットに収まっとことを確認してから、「通してもらえるか?」と守衛にいった。
はい、といって守衛は頑丈そうな鉄のフェンスを開けた。刑務所の敷地内に入り、キクマは目の前に堂々とそびえ立つ建物に向かう。
西部劇の荒野にでも使われそうな乾燥した砂が、風になびき舞う中を進んで、建物の中に入ると受け付けらしき一角にキクマは向かい、職員に話しかけた。
「面会を申請したい」
棚に収められていた書類を確認していた男の一人がキクマに対応した。
「面会ですね。受刑者の名前は?」
「キプス・リトスだ」
職員の顔色が険しくなり、キクマを推し量るように見据えた。軽犯罪者ではなく、何人もの人間を殺した重罪人との面会にはそれなりの手続きを踏まなければならない。
「失礼ですが、あなた様は。キプス・リトス受刑者とどのようなご関係でしょうか?」
キクマは機械的に決まった動作で、手帳を取り出して、「俺は事件にかかわった刑事だ。事件のことで訊きたいことがある」と事情を説明した。
しょうしょういぶかしんでいたが、納得した様子で職員はうなずいた。
「そうですか。では、この書類にサインをお願いできますか」
職員は受付の下から、一枚の書類を取り出しペンと共にキクマの前に滑り出した。キクマは文面に軽く目を走らせて、走り書きした。
「これでいいか?」
書類を突き出して、キクマは訊ねる。
「はい。結構です。少々お待ちください」
職員は書類とペンを受け取って、部署の奥に消えた。数十分ほど待たされた後、キクマを担当した職員の男が「私に付いてきてください」と歩きはじめた。
職員の後に続き、刑務所の奥へと進んで行く。エレベーターに乗り込み、地下五階ほど下った。チンという音と共に、とびらが開き殺風景な一室に通された。
無地の白い部屋で、時計もなければ、観葉植物などもない。防音加工がされた冷たい壁が四方八方を囲み、部屋の中央に唯一パイプ椅子が置かれている以外は、下界の物は何も置かれていなかった。
部屋の中央に冥府と現世の境目とばかりに、鉄格子が敷かれ、格子の向こう側には分厚いとびらがぽっつっとあって、異質な雰囲気をかもし出している。
「そのパイプ椅子に座って、しばらく待っていてください」
職員が鉄格子の前に置かれたパイプ椅子を、手のひらで示したので、「ああ」と素っ気ない返事で応じてそれに座った。
「面会所要時間は長くて、三十分ほどになります」
「ああ」
言い残して、職員は再びエレベーターに消えた。それから五分と経たぬうちに、鉄格子の向こう側に見える分厚いとびらが開かれ、両手首を縄に繋がれた、キプス・リトスが見張りの男と共に現れた。
五十代前半ほどに見える男だが、目もとに刻まれた深い皺のせいで、十歳は老け込んでしまっている。どういう人生を歩めば、ここまでの人相になってしまうのか。
キプス・リトス、いや、ジョン・ドゥは縄に繋がれた犬のように、大人しくパイプ椅子に腰を下しキクマと向かい合う。
「面会に来てくれたんですか、警部さん」
ジョンは不敵な笑みを浮かべて、キクマを見すえる。手首を縄で繋がれ、刑務所の中だというのにこの男の自信はどこから湧いて来るのか?
「今日は何の御用でしょう?」
キクマは背後で両腕を組み二人の会話に聞き耳を立てている、見張りの男を一瞥してから、「聞きたいことがあって来た」と切り出した。
ジョンも横目に見張りを一瞥して、「そうですか。答えられる範囲なら、何なりと答えます」とあらかじめ予知していたような姿勢を見せた。
「時間がないから、本題だけ訊く。二十年前、街で起きていたジャック・ザ・リッパー再来事件、犯人はおまえだな」
訊ねるのではなく犯人は、目の前にいる男だと確信している、決めつけ口調だった。キプスは肩をすくめて、「新聞で騒がれていた事件なら、私の犯行で間違いありません」と淡々と答えた。
どうして否定しないのかわからない。罪を増やし、死刑を延長させようと考えているからなのかもしれないし、別の理由があるのかもしれない。
「どうして街から消えた?」
「深い意味はありません。強いて言えば、嫌になったからです」
「人を殺すのが、か?」
ジョンは目を伏せて、薄っすらと微笑みを浮かべた。
「そのような理由ではありません」
「じゃあ、どうしてだ? 俺はあの日の夜。おまえがジェノベーゼの館に忍び込んだ日、あの場所にいたんだ。そして、あの日を境におまえは消えた。あの日、何があったんだ?」
キクマの問い掛けに、ジョンの表情がはじめて曇った。
他の者にはわからなかったとしても、キクマにはそう見えた。
「私はね――」
ジョンは記憶の断片を引っ張り出し、そこに書かれた日誌の文字を読み流すかのような口調で切り出した。
「昔、心から本当に愛していたかも知れない女性がいたんですよ」
「人殺しがか?」
キクマは鼻で笑いながら嫌味に言ってやるが、「おかしいでしょ」とジョンは微苦笑を浮かべた。
「その女性は私のせいで死んだんです」
「おまえが手を下したのか?」
「似たようなものです」
キクマは腕を組み、ふんぞり返るようにパイプ椅子にもたれ掛かって、「何が言いたい?」と眉をしかめた。
「警部さんがあの日、言っていたキクナという女性を私が殺したと言ったら? 警部さんはどう思われますか」
キクマは鼻に皺を寄せてから、フッと微笑み「そうなら、おまえを俺が殺してやるよ」と冗談とは思えない凄味を利かせて言い放った。
「私が愛したかもしれない女性とは、あなたの妹。キクナですよ」
キクマは耳を疑う。
何が狙いだ……?
駄目だ……気を付けていたはずだがジョンが今放った一言で、ペースを持って行かれた。キクマの心を乱すために、口から出まかせを言ったのだと思ったが、どうしてキクナが妹だということを知っているのだ……?
ジョン・ドゥを捕まえたあの日、キクナという名前を出したが、妹だとは言っていない……。
「どういうことだよ……?」
キクマは鉄格子を両手でつかみ、檻の中の猛獣が、檻の外の見物人に襲い掛かるかのような勢いがあった。鉄格子で安全だと確信しているのか、ジョンは身じろぎ一つしない。
「警部さん。鉄格子を放してください」
そう言ったのは、背後でメモを取っていた刑務官だった。
キクマは刑務官の言葉を無視して、ジョンを睨み下ろす。
「どういうことなんだよ……? おいッ!」
鉄格子に腕を差し込み、キクマはジョンの薄汚い土色の服を掴み、強引に引き寄せた。ジョンは鉄格子に顔を強打したが、表情を変えずに、「キクナを殺したのは、私です」と宣言するようにいった。
刑務官が慌てて駆け付け、「警部さんッ……。何やってるんですかッ」とジョンの胸倉から、キクマの手を放した。
感情の昂りを抑えきれずに、キクマは荒い息のまま「すまない……」と乱暴に腰を下す。下手をすると、面会を強制に終了させられる。
刑務官はどうしたものかと、しばらくその場に立ち尽くしていたが「気を付けてください」と言って背後にポツンと置かれたパイプ椅子に戻った。
心を落ち着かせてキクマは、鼻から血を流すジョンを再び見据えた。
「おまえ、あのとき知らないって、初耳だって言ってたじゃねえか……?」
「私が殺した中に、そのような名前の女がいたかも知れないと言ったのです。そして、私が殺した中にキクナという女性がいたのは確かですよ。あのときは、打ち明けられなくてごめんなさい」
口調こそ淡々としていたが、そう語るジョンの言葉に含まれる核のようなものが微かに震えていることがキクマにはわかった――。