file23 『モーガンの告白』
翌日、「反省したか」という言葉と共に暗黒の地下牢に光が差し込んだ。
どうして、私が反省するのか?
私は悪いことなどしていないじゃないか。そう叫びたかったが、私はそこまで馬鹿ではない。
そんなことをいえば、ここから出してもらえないことを知っている。
私は上辺だけ、「反省しました」と機械的に答えて、地下牢を出る。
その日の夜。
私は獣の眠る部屋に侵入した。誰のものかも分からない寝息が、リズミカルに聞こえる。それは私の心臓の音と同期していた。不思議と私は落ち着いている。
獣が眠るベッドの前で私は立ち止まる。思えばこいつには酷い目にあわされた。苦しめて殺すこともできるが、私はそんなことはできない人間だ。
女に暴力を振るっていた、獣のときのように私は苦しまずに殺してやることにする。
苦しむ暇を与えずに、一撃で。
私は厨房に置いてあった、刃渡り10㎝ほどのナイフを心の臓、目掛けて振り下ろした。
肉を引き裂く軽快な触感と肋骨にナイフの刃があたる、固い感触がグリップに伝わる。
直後、心臓に刃が届いたことが分かる。窓から差し込む月明りが、獣の寝顔を妖艶に照らした。ナイフを引き抜く。血しぶきが月明りに輝く。苦しむ暇もなく、獣は死んだ。
血で汚れた手を獣の頬に添えて、「苦しくなかったか」と訊く。
当然返事など帰って来ない。
「うん、苦しくなかった」
私は自分でいう。一人芝居だ。指についた血を舐める。あのときに感じた恍惚感を再び感じる。そうか、この感覚は私が正義を執行したときに得られるものなのか。私は悟った。
「どういうことですか……」
キクマとバートンは冷水を不意に浴びせかけられた猫のような驚きようであった。
一瞬、聞き間違いだと思ったが、キクマも驚いているのを見ると、バートンが聞き間違えている訳ではないようだ。モーガンの顔も真剣そのものだった。
二人の顔を交互に見比べ、バートンは思う、あぁこの話は本当なんだ、と。
「いった通りです……デモンがラッセルさんを殺害したのかも知れない、ということです……」
キクマとバートンは一瞬目を見合わせる。キクマの目が鋭く光る。猛禽類を彷彿とさせる、刑事の目。バートンはモーガンに向き直る。
「どうして……そう思うんですか……?」
「順を追ってお話します……」
モーガンはとびらを見た。いや、とびらの外にいる、デモンを見たのだろう。
一体、モーガンは何を思い、デモンを見たのだろうか、それは二人には分からなかった。
「ラッセルさんが殺害された、あの日でした」
モーガンは語り出した。もう、さっきまでの迷いはしゃべり口からは見られない。さすが歳を積んでいる人生の先輩だ。覚悟を決めた、女性はいつになっても強い。
バートンは自分の妻の顔を思い浮かべて、苦笑する。
「あの日、朝の散歩に連れて行っていました。いつもは私を引っ張るなんてことありませんでしたが、あの日は私を引っ張って、走り出したんです。力では当然押さえつけられません。私の手から離れた、とお話しましたね」
「ええ、以前聞きました」
「実はあの話には刑事さんたちに隠していることがあったんです。――私が追いついたときに……デモンが怪物と対峙していた、というのは嘘なのです……デモンの口には血がついていました」
モーガンは固唾を飲み込む。
「……あの、嘘をつかなければ、デモンが疑われると思ったのです。あのときはパニックで、もしかしたら、デモンがラッセルさんを襲ったのではないか、と考えました……」
モーガンは下唇を噛んだ。
「もし、デモンが人を襲ったことが分かれば、デモンは殺されます……人間を殺した犬として、殺されてしまいます。私にはあの子しか家族がいないんです……あの子を奪われたら。私はどうすればいいのか……」
いまにも、泣き出しそうに震え。その震えを必死に押さえつけた、ような声でモーガンはいった。
「つまり、化け物を見たというのは嘘だったんですね」
「ええ、嘘です……」
あのとき感じた違和感はこれだったのか、と自分にも刑事の勘というものがついてきたのか、と少し嬉しくなったバートンである。
「デモンが離れてから、駆け付けるまでの時間は分かりますか?」
「……五分ぐらいです」
モーガンはそれがどうしたんだ、という顔をバートンに向けた。
バートンは確信した、犯人はデモンではないと。
「私も遺体を見ましたが、いくらシェパードでも五分で人間をあそこまでズタズタにはできないと思います」
訝るように、「どういうことですか……?」とバートンに訊き返す、モーガン。
「つまり、犯人は他にいます」
と、いったバートンだったが、一つだけ気がかりなことがあった。
「だけど、口に血が付着していたんですよね? デモンはラッセルさんに触れたんですか? 例えばにおいを嗅ぐために、鼻を近づけたとか」
モーガンはあのときの光景を思い浮かべるように眼球を上げ、黙り込んだ。
「私が駆け付けたときはデモンはラッセルさんに触れもしていませんでした。それに、デモンは森の方を向いて、ラッセルさんには無関心だったんです」
バートンはモーガンの言葉にある、引っ掛かりを覚えた。
そして、しばらく、考える。
沈黙が薄暗い室内をより一層陰湿にした。ラッセンに近づいていないのに、口に付いていた、血。森の方を向いていた、デモン。考えられる、可能性は一つしかなかった。
「森の方を向いていたんですよね? つまり、森に何かがいた、ということじゃないですか。もしかしたら、口に付着していた、血とは犯人を噛んだときに付いた、犯人の血だったのかも!
突然モーガンさんの手から駆け出したのは犬にしか分からない、何かを感じ取ったからなのかも」
バートンは自分の推理を聞かせる。あの世界一有名な名探偵ほどではないが、それなりに自信のある推理だと自分でも思う。
「てぇーと、あれか、犬は犯人を噛んでるってことか?」
キクマが組んでいた足を元に戻し、立ち上がってバートンに問う。
背は低いが威圧感のある人物だ。バートンはキクマの圧に負けて、椅子から転げ落ちそうになるのを堪えた。
「その可能性はあると思います。そうなれば、犯人は怪我を負っている、ことになります」
キクマは大きくうなった。大型ネコ科動物のような、空気を震わせる轟きが室内に響いた。
*
それから、バートンは病院に行くためにその日は帰ることにした。
病院で検査を受けたら、感染症にはかかっていない、と診断された。傷も大したことなく、八針縫うだけで済んだ。
傷は綺麗にぱっくり割れているので、直りは早いということだ。
包帯でぐるぐる巻きにされた状態で家に帰ると、妻と子供の驚きようといったら例えることはできない。
まるで、家に強盗が押しかけてきたときよりも酷い、驚きようだったと思う。まぁ、家に強盗など押しかけてきたことはないのだが。
ちっぽけな傷に合わない、大層な包帯の巻かれ方をされてもんだから、大怪我に思われても仕方がなかった。
今日は久しぶりに子供たちと遊んだ。子供の遊びに付き合うのは思いのほか骨が折れる。後日筋肉痛にならないか、心配になった。
子供は父親が怪我していても、手加減してくれないものなのか……父親心に悲しくなる。
*
翌日、目覚めると想像通り筋肉痛になっていた。体の節々が痛い、歳を取るとは筋肉痛になるようなものなのかも知れない、少し体を動かすと痛くなる。
思い通りに動かない。つまり、衰えているのだ。筋肉痛で傷む体を引きずりながら、再びランゴー村に訪れた。
村に付いてみると、村の様子がおかしいことに気付く。村人が騒ぎ立っているのだ。それも、尋常じゃない騒ぎようだった。そこで、バートンは村人の一人に、今何が起きているのか、状況を訊く。
「どうしたんですか、この騒ぎは?」
バートンは一番近くにいた、四十代ぐらいの女性に問うてみた。
すると思いもよらない、答えが返ってきたのだった。




