case210 神が与えしチャンス
チャップたちがマリリア教会にやってきて、あれから半月……。チトは悶々とした日々を送っていた。
どんな事情があったのか知らないが、どうしてチャップたちがマリリア教会にやって来ることになったのか。
そして、ミロルがどうしていないのか。チトには何もわからない。話を聞きたくとも、まだ一度も口を聞いたことがなかった。
「ねえ」
チトとローリーの部屋に、少女たちは集まっていた。
チトはユアの問い掛けにも気付かずに、夢想にふける。
「ねえってば」
やっとチトは物思いから目覚めた。間の抜けた声で、なに? と訊き返す。
「どうして、あの子たちを避けてるのさ?」
ユアがいうあの子たち、とはチャップたちのことだろう。
「別に避けてるわけじゃない……」
「じゃあ、話せばいいじゃない。あの子たちを見かけたら、そそくさと逃げちゃうし」
チトは視線をそらす。
その動作があまりにも不自然だったので、ユアは余計に不振がった。
「知り合いなの?」
「知り合いなわけないだろ……」
そこに小説の読み聞かせをしていたリリーが口を挟んだ。
「だけど、向こうはチトのことを知っている様子だったと思うわ。あの目は知り合いを見る目だったもの」
詰問するような視線を皆はチトに向けた。
いたたまれない……。
「おねえちゃんとチャップたちは知り合いだよ」
突然何を言い出すと思ったら、ローリーはとんでもないことを口走った。ベッドの上でリリーに本を読んでもらっていたローリーは、四つ這いで皆の前に躍り出た。
「本当なの?」
ユアがローリーに詰め寄る。
やめて、それ以上口を開かないで……。チトはローリーをねめつける。チトの願いもむなしく、ローリーには届かなかった。
「あのね。おねえちゃんとチャップは昔――」
言いかけて、チトはわー、と喚いた。そんな話をユアたちに知られるわけにはいかない。チトはローリーを睨みつけ、皆に弁明した。
「昔、住んでいた街で、ちょっと知り合っただけだよ」
この状況で知らないは通用しない。
チトは事実を捻じ曲げ、当たり障りのない作り話を考えた。
皆は不審がっているようだが、疑ってはいない。
「やっぱり、知り合いだったんじゃない。どうして、隠したりするのよ?」
「知り合いって言っても、街で見かける程度で話したことなんてないから……」
チトが言ったとき、「うそ!」とローリーが口を挟んだ。
「ローリーは嘘だって言ってるわよ?」
ユアはどちらを信じたものか? と二人の顔を交互に見た。
どうして口を挟むんだよ……。チトは妹を睨んだが、けろりとして堪えた様子はない。
「おねえちゃんと、チャップはけんかしてるんだよ」
ローリーは姉を見ないようにして、皆にいった。
「喧嘩?」
「うん。けんか。それで、おねえちゃんはチャップたちと話すことができないの」
ローリーは頬を染めながら、熱弁する。
「本当なの?」
皆の視線が一斉にチトに集まる。穴があったら入りたい、チトは肩をすぼめ先細る声で答えた。
「まあ……」
少女たちは何を思ったのか、お互いに顔を見合わせてうなずきあった。
「どんなことで喧嘩しているのか訊くのは野暮だから、訊かないでおく」
ユアはチトが座るベッドのとなりに腰を下した。
「謝ろうよ。もう昔のことなんでしょ? 街で別れ別れになった人が、ここで再会できたのはきっと、神様が与えてくれた奇跡なんだよ。仲直りするチャンスをくれたんだよ」
ユアはチトの手を取り、上目遣いに覗き込むように見つめた。
チトはユアの瞳を直視することが辛かった。
ユアたちはチャップと自分の関係を知らないのだ。自分が裏切ったせいで、チャップたちがどのような眼に遭ったのか知らない……。
「だから、仲直りしに行こ。みんな付いて行ってあげるから」
チトは煮え切らない返事を返す。
「いや……。いいよ。別に。謝る必要なんてない……」
「どうして? これから、ずっとあの子たちを避けて暮らすつもり? 向こうだって、このまま避けられてたんじゃいい気はしないわよ。わたしが呼んでくるから、仲直りしましょうよ」
チトはユアが握る手を振りほどき、ひざ元で強く握りしめた。
「いいよ。もう、済んだことなんだ……」
「よくないわ。だって、あなたは今でも苦しそうだもの。苦しいってことは済んだことなんかじゃない」
「いいんだ……本当に……」
チャップたちと廊下ですれ違うことがあろうと、チトは何食わぬ顔で通り過ぎた。食堂でバッタリ出くわそうと、当番が同じだろうと、一度も口を聞くことはなかった。
そんな日々が続いていたある日。
ユアが気を利かせたつもりなのか、チャップたちを庭に呼び出しチトと合わせた。セレナやカノン、その弟のアノンはチトも遠くから見て、知っていた。
どういう性格なのかも心得ているつもりだ。顔を合わせるのははじめてだが、初対面とは思えない。懐かしささへ抱いてしまうほどだ。
チャップは状況が理解できず、ユアとチトの顔を交互に見比べた。
「チャップくん、突然呼び出してごめん」
ユアはチャップとチトの間に入り、仲買人役をになっているつもりらしい。余計なお世話だ。
「そのね。二人がどうして喧嘩しているのかは知らないけど、ここで再会できたのは神様が、仲直りするチャンスを与えてくれたからだと思うの」
チャップは状況を理解しはじめたらしく、「そういうことか」とつぶやいた。
チャップはチトの目を見つめる。何だよ……その目は……。
チトはチャップと目を合わせるのが怖かった。どうして怒ってないんだよ……。おまえにはおれを罵る資格があるのに……どうして……。
チャップの目は怒りなど帯びていない、それどころか慈愛のような温かな色を帯びている。罵られた方がよっぽどましだ。
裏切ったおれをどうして、許せるというのだろう。少なくとも、自分なら裏切った者を許せない。
「チト――元気にしてたか」
チャップは一歩進む。
チトは後下がった。
「もっと早く話そうと思ってたけど、おまえが避けるから」
チャップは一瞬迷い、何かをつぶやこうとしたときチトは逃げ出した。踵を返し、無我夢中でチャップから距離を取ろうと庭を駆け出し、寮内に逃げ込む。
寮のとびらを閉めて、やっとチトは自分が逃げ出したのだと理解した。とびらに背中を預け、ズルズルと腰をつく。
自分の不甲斐なさに絶望し、チトは膝を抱えその場にしばらくうずくまっていた。