case204 手紙
世界を揺るがすニュースが、たった一夜にして駆け回った。
ジェノベーゼファミリーのボス、ラッキー・ルチアーノが捕まったと。
翌日の早朝、サエモンたちは館の調査に乗り出した。ホールに散乱していた、肉片のような塊は人間のものであることが鑑識の捜査でわかった。
肉片には頭部がなく、巨大な肉食獣にでも喰い荒らされたような、悲惨な姿だった。
どうして、人間の肉片がホールに散乱していたのかはわからないが、その光景はビックが証言していた、バラバラ死体と酷似していると思った。
ジョン・ドゥ事件と、バラバラ殺人事件の共通点は、今だわからないままだ。
ラッキーの私室で、UB計画の詳細が記された書類を発見したのは調査開始から三時間後のことだった。北の研究所で子供たちを使い行われていた、実験の詳細を知ることができた。
UB計画とは特殊な獣の遺伝子を、人間に移植して、言うなればキメラを作るという実験だったのだ。
科学的には信じられないが、実際にサエモンは獣に変えられた人間を目撃している。
この研究は封印しなければならないものだ。
何があろうと、世間には知られてはならない。もう二度と化け物を生み出さないためにも。太古の昔から狂戦士が存在していたという。その狂戦士は獣の魂をわが身に憑依させ、強靭的な身体能力を得た。
つまりは、太古の昔より何らかの方法で、この実験は存在していたのだ。
そして、獣の人知を超えた力を戦争で使って来た。
どうして、近世代までその知識が失われていたのか、今となってはよくわかる。
この力は人間が手を出してはいけない力だったからだ。古代の人々は、そのことを知っていたからこそ、力を封印した。
古代の人々の意志を継ぎ、この研究を再び封印しなければならないと、サエモンは心に誓った。
*
キクマはホールに散乱した肉片に見入っていた。
結局ジョン・ドゥはいなかった。
逃げ出したのか、それとも殺されたのか。
このホールに転がっている肉片はジョン・ドゥのものなのか調べようがない。ラッキーに話を聞くのが手っ取り早いだろう。
となりではウイックが眠たげに大きなあくびをしている。
「あとはあいつらに任せて引き上げようぜ」
「もう少し、館を調べる」
「もう、あいつは死んだんだよ」
「何でわかるんだよ」
ウイックはあからさまに、顔をしかめた。
その顔は何か隠し事をしているときの、それだ。
「そんなの当然だろうが、ここをどこだと思ってんだ? 泣く子も黙るジェノベーゼファミリーのアジトだぜ。一人で敵陣に乗り込んで、生きてるわけねえだろうが」
「なら、どこかにジョン・ドゥの死体が転がっているはずだろうが」
「だから、そこに転がってるじゃねえか。ズタズタにされた肉片が」
キクマはもう一度肉片を見た。
ちゃんと科学的に調べたわけではないが、この肉片はジョン・ドゥのものでないとわかっていた。
根拠などない。言うなれば、刑事の勘というものがそう告げる。かならず、ジョン・ドゥは生き残っている。そのことだけはわかった。
けれど、あの一件以来ジョン・ドゥと思われる犯行は、ぱったりと無くなった。そして、それと同じくして街はずれの村では、獣に襲われたという話も上がらなくなった。
すべての事件はあの夜の一件以来、終わったのだ。つまり、ズタズタ殺人事件の犯人とジョン・ドゥは同一犯だったのだろうか?
ジョン・ドゥの消えた今では確かめようがなかった。
そして、他の人からしたら何気ない事件だったかもしれないが、キクマにすれば人生を変えるほどの事件が、数か月後知らされることになる。
キクマの下に手紙が届いた。件名も、住所も、名前も、記されていない真っ白な封筒に入れられた手紙には、神経質な字でこう記されていた。
『キクマ・ランドーズ様へ
キクナ・ランドーズは天国へと旅たちました。突然の訃報、誠に申し訳なく思っております。私は彼女が最期に言い残した言葉を伝えるために、この手紙を書いています。彼女は最期、キクマ様にこういい残されました。
〈お兄ちゃん、お父さん、ごめんなさい。先に旅たつ親不孝なわたしをお許しください。お父さんに会うことは叶いませんでした。わたしを育ててくれて、ありがとうございました、と伝えてください。そして、お兄ちゃん、小さいころわたしを護ってくれてありがとう〉』
キクマは三度文面を読み返した。いたずら、だろうか……。けれど、どうしてキクナや自分の家の住所を知っているのだろうか。
あの日、街でキクナに再会した。
父親が決めた政略結婚が嫌で、家を出ていった妹に再会したのだ。あの日以来キクナからの連絡はない。たった数分間だけだったが、数年ぶりに出会った妹は元気そうだった。病気などではない。死ぬ理由などないだろ。
どうして、この手紙の差出人はキクナのことを知っていて、死んだと嘯くのだろう。キクマはたちの悪い、いたずらだと決めつけて、その手紙をバラバラに破り捨てた。
キクマに手紙が届いた翌日、マリリア教会にいる、チトとローリーという少女の下にも、一通の手紙が届いた。
『チト、ローリー。手紙を書けなくてごめんね。約束守れなくて、本当にごめんね。実はある事情があって、あなた達に手紙を書けなくなっちゃったの。
そっちでの生活は楽しい? みんなと仲良くやれてる? 遊びに行けないことを心の底から悲しく思う。
あなた達が大人になっていく姿を、そばで見守り続けたかった。だけど、ごめんね。そばでは見守れなくなっちゃったの。だけど、少し離れたところで、ずっと見守っているから。わたしはずっと見守っているから。
あなたたちと一緒に暮らした一か月間、本当に楽しかった。
これから先辛いことや、悲しいことがあると思う。ときには逃げても、負けてもいい。けれど、心はいつも、清く、正しくあって欲しい』
チトは字が読めるようになっていた。
読めない字もわずかにあったが、手紙の内容は理解できた。
ローリーに読み聞かせてやりながら、チトは涙を堪えることができなかった。チトだけではない、ローリーもベタニア、ヨハンナ、スザンナも皆涙を堪えることができなかった。
「この手紙……どういうことだよ……?」
チトはベタニアに手紙を掲げながら、問うた。
「わかりません。今朝届けられていたのです。差出人も、わかりません」
「いたずらだよ……」
チトはいたずらだと信じたかった。
けれど、いたずらだと信じられないわけがあった。
チトとローリーは習ったばかりの拙い字で一生懸命、手紙を何通も書いていたのだ。けれど、返信が返ってきたことは、一度もない。
自分たちと別れたあと、キクナの身に何かがあったとしか考えられなかった。キクナは誰かと会う約束を交わしていたという。きっと、その誰かに何かをされた、のだと。
いたずらだと信じたかったが、この手紙はいたずらなどではない。書いている者はキクナではないが、これはキクナの言葉だと思った。
キクナしか知らないことが、この手紙には書いてあったから。
きっとチトの勇気を与えるために、この手紙は送られてきたのだ。
もう迷わない。チトは決めた。
「清く、正しくあるよ……」
チトは決めた。チャップたちに謝ろうと。
もう意地を張ることはない。謝るのだ――。心から――。




