表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
240/323

case201 名前のない獣たちは……

 足が石化したように動かないというよりは、足に繋がる神経に異常をきたしたように動くという動作を忘れてしまった。


 薄暗いホールに煌々と獣の(まなこ)が灯っている。

 残光を引き、左右に揺れながら、手を伸ばせば届く距離に獣は立った。


「れ……レムレース……」


 名を呼べど、獣は反応を示さない。月明りに照らされて、原型がわからないほど、ボロボロの肉片が辺りに散らかっていた。


 キクナは目の前にいる獣が、自分に何をしようとしているのかを否が応でも悟った。獣の手がキクナに伸びる。


 ラッキーの叫ぶ声が聞こえる。

 獣は主人の声も聞こえていない。

 目の前に魔の手がかざされた刹那、血しぶきがキクナの顔に吹き付けた。どろどろとした、血が頬を伝い落ち、キクナは何が起きたのかを悟った。獣の指が飛んだのだ。


 悲鳴をあげるでもなく、その光景を呆然と眺めるキクナをジョンは背後に押し飛ばす。


「逃げろッ!」


 仮面にくぐもった懐かしい声を聞き、キクナは正気に戻った。

 聞き取りずらくはあるが、間違いない……。この声はジョンだ。


 獣は自分の人差し指と、中指が飛んだにもかかわらず、物珍しそうに切断された指の断面を見つめた。痛みを感じていないのだ。


「速く逃げろッ」


 キクナは立ち上がり、やっと本来の自分を取り戻した。


「あなたのいうことなんて、聞かない」


 キクナは拒絶する。

 ジョンが絶句したのがわかった。

 

「逃げるなら、あなたも一緒に――」


 キクナは想いの丈をぶつける。

 ジョンが何かを言いかけた刹那、言葉を飲み込み横に飛びのいた。獣はキクナからジョンに標的を移したのだ。まるで食事の邪魔をされた、ライオンや虎のような唸り声を上げて、ジョンを睨んでいる。


 キクナに振り返り、逃げろ、と無言で訴えているのがわかったが、キクナは逃げなかった。すでにホールの中に残っているのは、キクナを除いてラッキーと突如現れた男三人だけだ。


 黒服たちは逃げてしまっている。

 ジョンはナイフを構え、獣の横に回り込む。獣は目でジョンの姿を追う。獣の背後に回り込み、ジョンは切りかかった。風見鶏のように回転して、獣は丸太のような蹴りを放つ。


 獣の股下をすり抜けて、ジョンは足を切り裂いた。

 知性を失った獣の動きは鈍くなっているように思えた。合理的に動いているのではなく、本能の赴くままに動いているという感じ。


 鬱陶しそうに獣は無増加に蹴りを放つ。

 ジョンは後頭部にも目が付いているかのように、背後からの攻撃もすべてかわした。ジャブを撃つように、ジョンは少しずつ獣の足にダメージを与えている。


 どうして攻撃が当たらないのか、獣は不思議でしょうがないという顔をしている。体を支えていた足から力が失われ、獣は崩れ落ちるように膝をついた。


 動けなくなったことを確かめると、ジョンは懐にしまっていたリボルバーライフルを取り出し構える。このままでは、獣は、いやレムレースは殺されてしまう……。


「殺すのは……殺すのはやめてッ……」


 自分の考えが甘いことはわかっている。

 この闘いは殺すか殺されるか、命を懸けた真剣勝負なのだ。部外者である自分が口を挟んではいけないことなど。けれど、レムレースの笑顔を思い出すと、やめさせずにはいられない。


 あの人を小馬鹿にしたような笑顔。

 少女は花が好きだと言った。その言葉に偽りはなかった。

 少女がどのような人生を歩んできたのか、自分には想像することもできないだろう。普通の人生を歩んでいれば、きっと誰からも愛される綺麗な女の子になっていたはずなのに……。止めなければ……。


 けれど、キクナの話など聞こえないというふうに、トリガーにかかる力が強まる。獣は地に膝をついたまま、牙を剥きだし威嚇した。


「やめろ……」


 その言葉で、ジョンはトリガーにかける力を緩めた。

 自分が言っても辞めなかったにもかかわらず、どうして……。その答えはすぐにわかった。


 ラッキーが銃を構えているのだ。

 ジョンに構えているのではない。ジョンに銃を突きつけたところで、効果がないことを知っているから。ラッキーが構えた銃は、キクナに向いている――。


「銃を捨てるんだ。さもなくば、僕は引き金を引く」


 ラッキーが構える銃の銃口は、キクナの頭を一直線に向いていた。

 ラッキーが引き金を引けば、キクナは一秒もしないうちに、地に伏すことになる。


「嘘じゃない。僕は本気だ。彼女はやっと生まれた集大成なんだ。ここで、殺させるわけにはいかない」


 ジョンは推し量るように、ラッキーを見すえた。

 しかし、ライフルを捨てることはしなかった。

 他の誰にもわからずとも、キクナにはわかった。ジョンは迷っている。迷いなど、見せたことがないジョンが迷っている。


 拳銃を突き付けられても、キクナは不思議と恐怖を感じなかった。恐怖に慣れてしまったからなのかもしれないし、もっと他に理由があるのかもしれない。


 ジョンは獣に銃を構え、ラッキーはキクナに銃を構える。獣は起死回生のチャンスをうかがい、キクナは獣の足が回復していることを見た。


 不思議なことにキクナの足は動いていた。

 突然動き出したキクナに驚き、ラッキーは瞬発的に引き金を引いた。

 ジョンはキクナに目を奪われ、周りが見えていなかった。

 獣はジョンが見せた一瞬の隙をつき、駆けだす。


 ラッキーが放った弾丸はキクナの右二の腕に当る。

 ジョンは目の前に迫った獣に気付いた。

 キクナは崩れ落ちるように、ジョンと獣の間に割って入る。

 一連の行動はわずか、数秒のことなのに、とてもゆっくりに時間は動いている。


 獣はそのナイフのように鋭い爪で、前方に飛び出したキクナの首筋を切り裂いた。血しぶきが、赤い花びらのように宙を舞う。キクナが盾になったおかげで、獣の動きは一瞬遅れ、ジョンは引き金を引く。


 銀の弾丸は、獣の心臓に吸い寄せられ、貫いた。

 遅れて火薬の鼓膜を震わす甲高い音が、届いた――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ