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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第一章 事件編 人と獣は交われない  
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file22 『デモンの暴走』

 私は地下牢という場所にしばらく入れられた。

 コンクリートで固められたような、壁。ホコリが雪のように積もった、床。蜘蛛の巣が張った、天井。光の差さない、部屋。沢山の物が置かれた物置きのような部屋だった。

 なんでも罪を犯した者が入れられる、部屋なのだと大人たちはいっていた。

 私は罪を犯したのか? 

 私が罪を犯したのなら、私を殴った獣はどうなんだ? 

 あいつは罪を犯していないというのだろうか。

 あのまま殴られていれば良かったのだろうか。あのまま私が殴られていれば、あいつが罰を受けることになったのだろうか。

 いや、そうは思わない。なぜらな獣がいくら悪事を働こうとも、いままで罰を与えられたことがなかったからだ。

 私はカビの臭いを嗅ぎ、ホコリの空気を吸い、光の差さない真っ暗な空間で考えた。

 コンクリートの壁に私は、今の想いを書き連ねた。

 物置きにあった、鉄の棒で刻み込んだ。己が心に刻むように――。


 そして、心に決めた。


 ここから、この狭い世界から出ようと。

 デモンがバートンに近づいた刹那、悲劇は起きた。

 バートンも一瞬のことで、判断を遅らせた。


突然、デモンが飛び掛かってきたのだ。重々しい唸り声を上げて、バートンに飛び掛かった。長く、白く、鋭く、硬い、牙をむき、バートンの左腕に噛み付いた。


 スーツの袖が一瞬で真っ赤に染まる。

 いや、真っ赤ではない、ブラックブラウン色のスーツは、なんと表現すればいいか分からない、黒とも灰色とも取れない色になる。


 広場にいる人々は何が起きたのか分からずに、凍てついたように固まった。


 噛まれたバートンも一瞬のことに脳が付いて行かず、何が起きたのか分からない。痛みはない、血がとめどなく、溢れるが痛みはなかった。


 ただあるのは熱さと電気が走ったようなビリビリする感覚だけ。前腕はマヒしたように、感覚がなかった。痛みに脳がついていかないなんてことがあるのをはじめて知った。


 モーガンも一瞬のことに目を白黒させながら、今起きた一瞬の出来事を客観的に見ていた。デモンはバートンの腕を放し、いつでも飛び掛かれるよう前足を伸ばし、後ろ脚を踏ん張る格好をとっていた。

 

 そして、唸り声は止むことなく、牙をバートンに向ける。バートンはとっさに後ろにのけぞった。気付けば、一瞬の出来事だ。


 まだ、数秒も経っていない。モーガンはやっと状況を理解し、デモンをとてつもない声で怒鳴りつけた。


「デモン! 伏せ!」


 怒鳴った声は裏返り、切れ切れだった。顔は鬼のように真っ赤にそまり、デモンを睨みつけた。デモンは言われた通り伏せをして、上目遣いでモーガンを見つめる。

 

 クーン、と鳴き。

 今さっきの姿が嘘だったかのように猛獣から犬に戻っていた。

 そして、モーガンはいった。


「人を噛んだことなんてないのに……どうして……」

 

 再び時間が流れ始め、突然の出来事にモーガンは困惑と不安、恐怖をあらわにする。デモンは前足にあごを乗せたまま、モーガンを(あお)る。

 

「いったいどうして……? 人を噛んだことなんてないのに……」


 そこでバートンは自分が噛まれたことを自覚した。

 痺れる感覚から仕舞に熱を帯びてきて、ジンジンする刺すような痛みに変わる。

 

 バートンは引き裂かれた、スーツの上から傷口に触ってみた。触った感覚がない。まったくない、麻痺している。


「怪我を見せてください……び、病院に行かなければ……。治療費は払います……」


 モーガンはバートンの左腕を取り、袖をまくった。

 濡れた体のまま服を着りずらいように、血でべたついた、袖はなかなかめくれない。

 

 鋭い牙で破られた、穴からは血があふれ、傷口が見えた。やっとのことで袖をめくると、血の鉄臭いようなにおいが強く漂う。傷口はナイフで切ったように、綺麗に割れていた。


 自分の傷口を見て、これなら綺麗にふさがるだろう、と客観的に思えた。


「いえ、これなら大丈夫です。ぱっくり切れているようなので、すぐふさがると思いますから。それに、僕は傷の治りが常人よりも早いんです」


 出ている、血に比べて怪我自体は大したことないように思える。

 しかし、病院には行った方が良いことは確かだ。感染症の心配もある。今から行くか、後から行くか、どちらにするか。


「本当にごめんなさい……どうして、急にこんなことしたのかしら……人を噛んだことなんて本当にないんです……」


 飼い犬がしでかしたことを、飼い主が詫びるのは当然のことだが、故意的に起こしたことでないので、強くいう気になれない。

 

 それにさっきまでの堂々とした、たたずまいが嘘みたいに、モーガンは怯えていた。そんな御老人を叱りつけるなどという真似はバートンにはできなかった。


 それより気になるのは今まで人を噛んだことない、愛犬が人を噛んだ、ということだ。どうして、今まで人を噛んだことがない犬が、急にバートンを噛んだのだのか。

 

 自分は動物に嫌われる体質ではないよな、とバートンは過去を思い返してみるが、どうだっただろう? 嫌われはしなくても、体質状恐怖はされたかもしれないな。

 

 傷口を抑えながら、バートンはデモンを見る。クリリとした眼がモーガンの機嫌をうかがうのは、何とも可愛らしかった。


  *


 それから、バートンはモーガンの家で簡単な処置をしてもらった。

 傷口を水できれいに洗い、消毒液で消毒して、包帯を巻く。本当に簡単な処置だ。後は自分で病院に行くだけ。


 モーガンは治療費を払うと言い張ったが、治療費は取らなかった。

 取るほどの怪我ではなかったのもあるが、自分の生活だけでも大変なお年寄りから、お金は取りたくなかったからだ。


 デモンは外にくくられていた。また襲ってくるとは考えたくないが、一度噛まれている。いかなバートンといえ、恐怖を感じない訳ではない。


 そのことを気遣ってくれ、デモンを外にくくってくれている。

 あの日は、いくらデモンが自分たちに怒ろうと、落ち着き払っていたモーガンだが、実際に人間を襲う現場を見てしまったからなのか、消極的になっていた。


 キクマは少し離れた椅子で足を組んで、その様子を眺めている。

 部下が襲われた、というのに冷静な上司。

 きっとこの人は自分が死のうと、こんな態度でいるのだろう、と思うバートン。


 モーガンは慎重に包帯を巻いてくれる。白い、シルクのような包帯は肌に触れると、ひんやりして気持ちよかった。もう、傷口の熱も引き、ジンジンする感覚もなくなっている。


 この調子なら、病院に行かなくても大丈夫な気がする。そんな楽観的な考えが一番危険なのかも知れないが、とバートンは自分の浅はかさを笑った。


「……この前の事件の日……私がラッセルさんを見つけましたね……」


 包帯を巻き終えると、モーガンは唐突にいった。

 その声音はいつ話し出そうか迷っているようでもある。


 包帯をテープで止めると同時に話し出した。言うか言わないか考えに考えたような迷いに満ちた、声だった。まるで死期が近づいた人間に、何時何分に死ぬのかを伝えるように暗かった。


「え……? はい……」


 誰にいっているんだ、と考えた末、ここにいるのは自分とキクマしかいことを悟る。


 明らかにキクマにいっているようには聞こえなかったので、自分に向けて語りかけていることが分かった。もう一度、モーガンは黙り込む。

 

 そして、今度こそ本当に覚悟を決めた声で、「ラッセルさんを殺したのはデモンかも知れません」モーガンが発した言葉は予想外のものだった。


 デモンがラッセンを殺したかも知れない。そのとき、さっきデモンの鼻頭にしわを寄せ、鋭い牙をむいた、あの顔が頭をよぎった。

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