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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
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case194 二つの魂レムレース

 ローマ神話における悪霊。

 騒々しく有害な死者の霊、またはその影を意味しており、生前の行いの所為で冥府に行けず、未だ現世を彷徨い、悪意を持って人々に様々な害意をもたらす悪霊。


「ある日、彼女が言ったんだ。『今日からわたしのことをレムレースと呼んで』と。僕は彼女にピッタリの名前だと思った。彼女にこれ以上明確な名前は思いつかないよ」


「どうして……?」


 ラッキーは含み笑いを浮かべ、口を開いた。


「彼女の中には、もう一人の人格がある。彼女は自分でもそのことに気付いていて、もう一人の人格を実の姉のように慕っている。もう一人の人格がどこから、来たものなのか僕にもわからない。辛い実験を受ける中で、心を守るために作り出したものかもしれないし、狼のDNAを移植されたときにできたものなのかもしれない」


 ラッキーは研究の成果に見惚れるように、レムレースを見る。

 狂っている……キクナはそう思った。



 レムレースはいたぶるように、ゆっくりとジョンに近寄る。

 黒服たちを下敷きにして、ジョンはぐったりと動かなかった。

 ジョンの足を片手でつかみ上げ、逆さづりにした。


「もう終わり?」


 獣はぶらぶらとジョンをゆする。

 ジョンは気を失っているのか。

 それとも、気を失ったふりをしてまた何かを狙っているのか。


 レムレースは油断しているように見えるが、同じ轍は踏まないとばかりに注意を払っていた。腕をだらりと垂らし、ジョンは隙だらけだ。

 

 そのときだたりと垂らされたジョンの左腕が、野球選手の投球のようにふられた。服の袖から何かが飛び出す。


 人間なら反応できない光速だが、もはや人間でないレムレースは開いていた右手を盾に受け止める。


 銀色の輝きを放つそれは、レムレースの分厚い手の平に深く突き刺さり、貫通した。続けざまにジョンは右腕を軽く振り、隠しナイフを出した。


 ナイフでレムレースの腕を切り、呪縛から逃げ出す。

 レムレースは忌々しそうに右手のひらに突き刺さった、ナイフを抜いた。ジョンは息つく暇も与えず、獣の背後に回り込み背中を切り裂いた。体毛が防弾チョッキのような役割を担い、皮膚にわずかな切れ込みをいれる程度の傷しか与えられない。


 レムレースは痒そうに顔を引きつらせ、回転蹴りを喰らわそうとするが、ジョンはすんでのところでしゃがんだ。ハンマーのように重い蹴りが、ジョンの頭すれすれを通過する。


 ボクシングのアッパーのように立ち上がり、ナイフを深々とレムレースの腹に突き刺す。けれど痛みを感じた様子はなく、彼女は左手でジョンをはたいた。


 はたきを受けて、ジョンは背後に吹き飛ばされる。

 黒服たちは闘いに巻き込まれないために、以前よりもお互いに幅を開けていた。


「こざかしい真似が本当に上手ね」


 レムレースは手のひらに開いた穴から垂れる、血を舐める。その舌はとても長く、童話の挿絵などで誇張して描かれる狼のものにとても似ていた。


 ジョンは何もしゃべらない。

 コートについた埃を払いながら、立ち上がり首を左右にかたむけた。

 その姿は相手を小馬鹿にしているようにも、見える。


「わたしとしては、泣き叫びながら命乞いをしてくれた方が面白いのだけど。泣き叫び、命乞いをする人は格別に美味しくなるのよね」


 ガラガラした声が無感情にそういった。

 ジョンは人差し指を立てて、速くかかってこいよという明白な挑発をする。レムレースはおかしそうに、含み笑いをした。


 挑発にわざと乗ってやり、レムレースは真正面から突っ込んだ。

 ジョンは銃を取り出し、撃つ。

 その銃はリボルバーライフルではなかった。今、倒れたとき、黒服が携帯していた銃を抜き取ったものだ。惜しむことなく、ジョンは何度もオートマチックの銃を撃つ。乾いた薬莢が床に転がる。その中の三、四発は上空目掛けて放った。


「そんな鉛の弾丸なんて、わたしに効くと思っているの?」


 顔だけをかばい、レムレースはタンクのように突進する。

 ジョンは右横に飛びのき、レムレースの視界から一瞬外れた。刹那、右手に握っていたナイフを、レムレースの顔目掛けて投げた。


 方向転換しようと、ガードを解いたレムレースの顔にナイフは襲い掛かる。ナイフはわずかに頬をかすった。と思われたとき、ナイフの軌道が不自然に変わり、バックする。


 ブーメランのようにナイフは再びレムレースを襲う。

 いったい、どうなっているのだろうか。キクナは目を凝らして、ナイフの軌道を追っていると、ランプの光に照らされて線を引く糸のようなものをとらえた。


 糸だ。糸をナイフのグリップのところに巻き、軌道を変えているのだ。目に見えるか見えないかの、細い糸で、けれどピアノ線のように強靭そうに見えた。


 ナイフは予想外の動きをしてレムレースの腕をかすり、ジョンの手にぴったりと納まった。この薄暗いホール内では、糸を肉眼でとらえることはできない。


 予測不能の動きをするナイフは、一直線に飛ぶ弾丸より脅威に感じられた。ジョンは一定の距離を保ち、ナイフを投げる。弾切れというものがないので、出し惜しみする必要もなかった。


 ナイフは弧を描き、レムレースに襲い掛かる。

 彼女も負けじと、ナイフ捕えようとするが、空を舞う鳥さながらにナイフはすり抜けた。視界が薄暗いのも相まって、小さなナイフを目で追うのは困難。


 それはレムレースも同じらしく、攻撃をかわすことだけに全神経を集中させている様子だった。ジョンはレムレースを中心に常に動き、姿をくらます。グルグルとレムレースを取り巻く。


「いったい何がしたいの? そんなことしたって、わたしには効くわけないでしょ」


 そういったのも束の間、レムレースはナイフを捕えた。ナイフの刃を掴み、ぽたぽたと赤い血が滴り落ちる。ジョンはナイフを奪われまいと、踏ん張るが力では到底レムレースには敵わない。


 レムレースがナイフを強く引っ張ったとき、何か硬い金属が切れるような音がした。ホールにいる誰もが、呆然と降ってきた物を見た。


 ホールの天井にあった、巨大なシャンデリアがまるでレムレースがナイフを引いたのを引き金にしたかのように、降ってきた。


 ガシャンーッ! と爆発にも似た爆音がホールに響き渡る。

 レムレースはシャンデリアの下敷きとなった――。

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