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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
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case188 能ある鷹は

 一対一の無差別格闘技ですら、キクナはこのような闘いを見たことはない。なぜなら大の大人と少女が向かい合い、命の取り合いをしているのだから。


 通常なら誰かが止めに入るべきだ。

 けれど、この闘いは古代ローマのコロッセオで繰り返されていた正真正銘の殺し合いだ。ここ最近色々なことが立て続けに起こり、神経が麻痺して倫理的な概念が薄れていたが、これは明らかに異常だとわかる。


 闘志を掻き立てる、歓声。

 黒服たちは皆、少女を応援している。

 対し男を応援している者は誰一人いない。

 完全アウェーの闘いだった。


 体格も違う上に、ジョンはナイフを構えている。対するレムレースは素手。常識的に考えてフェアではない。けれど、レムレースは紙一重で銀色の残光をかわしている。


 宙を飛ぶように少女はナイフをかわし、男は自分の手足のように刃物を振る。どちらかが優勢なのかもしれないが、素人目には互角の闘いに見えた。


「わたしがあげた仮面をこのために使うだなんてね」


 宙に飛びレムレースは蹴りを放った間際にいった。

 キクナには何のことを話ているのかわからない。唯一わかったことは、二人が以前にもどこかで出会っていたということだけ。


 ジョンは紙一重で頭を後ろに倒し、蹴りをかわす。

 少しでも反応が遅れると、形勢は即座に逆転する。

 これはもう人間の闘いではない。


 体をかたむけた態勢で、ジョンは着地した間際の少女の足を払う。レムレースは軽々と足を払われ、態勢を崩す。その隙をつきジョンは右手に握ったナイフを右斜め上に振り上げた。


 空中でかわすことができない。目と鼻の先に刃先が迫る。キクナはハッと息を飲み目をそらした。黒服たちの歓声がひと際大きく上がった。


 レムレースがやられていれば歓声は上がらないだろう。

 恐る恐るキクナは闘いの続きを目視する。

 レムレースの白い頬に赤い筋ができていた。筋から真っ赤な血が輪郭を伝い流れ落ちる。


 あの体勢からどうやってかわせたのかはわからない。けれどジョンは三メートルほど吹き飛ばされたように、離れた場所で地に倒れていた。


 レムレースは微笑みを浮かべながら、ゆっくりとジョンに迫る。微笑んではいるものの、決して油断しているわけではないことはわかった。とどめを刺すつもりだ。


 駄目だ……辞めさせなきゃ……。

 そう思うものの、足が動かない。となりのラッキーがキクナの肩に手をそえて“諦めろ„というように首をゆっくりと振る。


 レムレースの見え隠れする右腕が、おかしいことにキクナは気が付いた。あの小枝のように長く細く、しなやかだった少女の指が徐々に変化していることに気が付いた。


 少女の右手の爪が刃物のように鋭く伸びている。

 血管が脈打ち、指が太くなった。どうしてそのような変化が起きたのか常識で推し量ることはできない。


 気が付くと両手とも、白くしなやかだった少女の手の面影は消え失せ、手首から先だけが怪物のものに取り換えられたかのように異様に物々しく見えた。


「どうなってるの……。何で、レムレースの手が……あんな姿になってるの……?」


 ラッキーはしばらく口をつぐんでいたが、観念したようにゆっくりと口を開いた。


「あれが彼女の力なんだ。キクナさんは信じられないだろうと思う。けれど、あれを見れば信じないわけにはいかないだろ」


 触れてはいけないことに自分は今、触れてしまった気がした。

 これ以上ラッキーの話を聞くなと、本能が警鐘を鳴らす。けれど、聞かずにはいられない。


「彼女は、怪物になれる力を持っているんだ。どうして、そうなったのかを説明すると長くなる」


 ラッキーはレムレースに視線を向けたまま、遠い昔のことを思い出すかのように語りはじめた。


「すべてのはじまりは、一世紀昔にさかのぼる。ある、一人の研究者が発見した狼が発端だ」


「狼……?」


「そう。その研究者は不老不死の研究をしていた。昔でいう錬金術的なことの研究をね。ある日のことだ。その研究者は狩りに出かけた。その研究者は世捨て人みたいな人で、人里から遠く離れて暮らしていたんだ」


 ラッキーは淡々と語った。

 まるで紙に書かれた文章を説明的に読み上げているような語り口。


 その研究者は食料を得るために狩りに出たという。けれど、運が悪いことに研究者は狼と遭遇してしまった。研究者は持っていた銃で狼を撃ったが、どれだけ撃とうとも狼は倒れなかったという。


 研究者は恐怖に負けて、更に深い森の中を逃げ込んだ。

 けれど人間が足で狼に敵うはずもなく、すぐに追いつかれてしまった。腰を引きずりながら、研究者は後下がりする。狼は牙を剥きだして、飛び掛かった。一巻の終わりと研究者が思った刹那、構えていたナイフが勢いよく飛び掛かってきた狼の喉を突き刺した。


 どれほど銃弾を受けようと死ななかった狼は、ナイフで動かなくなったという。その光景はジョンとレムレースを彷彿とさせた。


 二人が話し込んでいる間にレムレースはうつ伏せに倒れるジョンの下にたどり着いていた。ラッキーが語った話と、ジョンとレムレースの姿が重なる。


 レムレースは牙のような爪先を、ジョンのうなじに振り下ろす。

 助けなきゃ、けれどどうやって、という思いがキクナの中で交差する。

 

「やめてッー!」


 黒服たちの歓声をしのぐ甲高い声が、ホールにこだましたと同時にもう一つ耳をつんざく高い音が鳴った。


 その音が聴こえたと同時に、黒服の歓声は潮が引くように消え失せ、静寂がホールを包む。


 いったい何が起こったのだろうか……。レムレースの手がピタリと止まり、黒いドレスの腹に手をそえた。

 

 即座に今聴こえた耳をつんざく音が再び鳴った。

 それは銃声だと気づくのに時間がかかった。

 レムレースは二発の弾を腹に受けたのだ――。

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