case183 最後の戦い
長い廊下を抜けて、豪奢なとびらをくぐるとそこはおとぎ話などでみるようなホールになっていた。
大きな大階段がホール中央に続き、巨大なシャンデリアが月明りに輝き淡く幻想的な模様を描き照らしていた。
どこかの童話のパーティーで使われていてもおかしくないと思えた。それどころか、モデルになっているのではないだろうか。そう思えるほど、想像力を掻き立てられる内装をしている。
クリスタルに反射したように、透き通るシャンデリアの光だけで充分ホールは明るかった。
レムレースが階段の取っ手に手をかけたとき、何かに気付いたようにピタリと立ち止まりキクナに微笑みかけた。
「思ったより早く見つかったわよ」
キクナは少女の言葉を横耳に聞きホールの中央、巨大なシャンデリアの下に浮かぶ影を見やった。聞くまでもなくその影の正体をキクナは知っている。
根拠などはない、けれどたった数年でも同じ時間を共有した自分には分かった。ホールの中央に立っている影は間違いなくジョンだ、と。
「彼の方からホールに出向いてくれるなんて、ありがたい限りだわ」
誰に言うでもなく、ただ溢れ出る喜びを言葉にしたような声でレムレースはつぶやく。
「どうする? 今の内に話をしたらどうかしら。時間は残されていないから」
キクナは影を見た。
訊きたいことや、伝えたいことが心の中であるれ出る。
けれど、本人を前にするとどう言葉を紡げばいいのかわからなくなった。あれだけ、悲しみでいっぱいだったのに、頭が真っ白になって言葉がでてこない。
「ジョン……」
先細りの声は、ホール内で洞窟の中のように反響した。
影は身じろぎ一つしない。
けれど、影と共鳴しているかのようにキクナには心の微妙な変化を読み取った。間違いない、あの影はジョンなのだ。
「ジョン……ジョンなのね?」
二人のやり取りをレムレースは劇を観賞するように、眺めている。
「どうして……」
何を言えばいいのだろうか……。
ここで言葉を止めてしまえば、もう二度と訊けなくなってしまうように思えキクナは必死に言葉を探した。
「あなたが犯人って、本当なの……?」
わかり切っていることなのに、キクナは確認せずにはいられなかった。否定して欲しい、心ではそう思っているのに、罪を償ってほしいと思う自分が両立している。
影はしゃべるでもなく、首を振るでもなく、反応というものを示さない。
「どうして……どうして、そんなことを……」
会話というものが成り立たない。
それは、以前と変わりはない。
ジョンは殆ど自分のことを話さないし、世間話というものもしない、キクナがほぼ一方的に話し、ジョンが相づちをうつ。それと、変わらないのに、今こうして話をしている状況だけが違う。
「ねえ……答えてよッ。黙っていちゃわからないじゃないッ」
鼻の奥に鈍い痛みが走ったと思うと、自分が泣いていることにキクナは気付いた。
「どうして……罪を犯すのッ!」
嗚咽が込み上げて、言葉にならない。しゃくり込むように息がのどで止まり、込み上げてくる言葉が出せなかった。訊きたいこと、伝えたいことが喉を詰めつ栓となり窒息しそうだ。
「話にならないわね」
レムレースはつまらなそうにいった。
「もっと、面白い劇が観られると思っていたのに。ガッカリ。まあいいわ」
レムレースは手すりに手をそえたまま、大階段の踊り場まで下りた。
「キクナを取り戻しに来たのでしょ。いいわよ、返してあげる。けれど、条件があるの」
レムレースが言葉をついていたときに、ホールの左右にあったとびらが乱暴に開かれたと思うと、ランプの光が一斉に影を取り囲んだ。四方八方を光が照らしだし、闇は取り除かれる。
影は影を失い、姿があらわになる。
その光景をキクナは息を飲んで見つめた。
その顔があらわになった。顔は白粉を塗ったように白かった。肉感が皆無で、表情というものが欠落している。
それはお面だった。ピエロのような一筋の涙を浮かべた、オペラ座の怪人ファントムのようお面。どうして、あんなお面をかぶっているのだろうか。
自分に姿を見られることをジョンは恐れているのだ。
ジョンを視界にとらえると、黒服たちは銃のセーフティーを解除し、一斉に構え格好になる。甲高い金属音が楽器のようにホールに響いた。
「あなたたちッ!」
レムレースは忌まわしそうに、鼻に皺を寄せて叫んだ。
喉がつぶれるのではないだろうか、と心配になる高い声でだ。
「邪魔をしないで。もし邪魔をしようものなら、わたしはあなたたちを一生許さない」
顔を怒りに歪めたまま、レムレースは階段をゆっくりと下りる。
歌姫のように透き通る声で発せられる言葉には、聴く者の心を引き付ける力が宿っていた。その声に気おされて、黒服たちはたじろぐ。
「まったく、きみも困ったものだね」
その声が聞こえるや、黒服たちは軍人のように起立して、道を開けた。
開かれた道からあらわれたのはファミリーのボス、ラッキーだ。
「あら、どこかに隠れていればいいものを、どうしてわざわざ出てくるのよ」
冷ややかにレムレースが言うと、ラッキーはキザったらしく言ってのけた。
「物語の終焉を見に来たのさ」
ラッキーはレムレースに向けていた視線を、ジョンに向ける。冷ややかな瞳で、ラッキーはジョンを見すえた。怖じ気る様子はまったくない。
「このような手を使ってしまって、彼女には悪いと思っているよ」
ラッキーはキクナを見た。
「レムレースはこうまでして、きみと遊びたがっているんだ。相手をしてもらえるかな?」
ジョンとラッキーは向かい合う。四方八方から銃を構えられているというのに、ジョンに怖じ気た様子はない。
「もちろん、きみが勝とうと、負けようと終われば彼女は解放する」
ジョンは無言をつく。
「嫌とは言わせない。もし、きみが断るというのなら、あの人を今殺そう。けれど、もしきみが彼女の相手をしてくれるのなら、あの人もキクナさんも解放する。きみにとっても悪い条件ではないだろ?」
あの人? 自分以外にも囚われている人がいるというのだろうか。
もしかして、ジョンはその人物にそそのかされて犯罪に手を染めてしまったのかもしれない。もしそうなら、そんな人物など助からなくていいのに、という黒い感情が沸々と込み上げた。
「それじゃあ、交渉成立だ」
キクナが物思いにふけっているさなかに、わけのわからない交渉は成立していた。駄目だ……止めなければ……。
キクナの心が叫んでいる。
今から何が行われようとしているのかは知らないが、とてつもなく嫌な予感がした。やらせては駄目だ……。止めなければ……。けれど、この状況で自分に何ができるというのだろう……。
答えなどはじめからわかり切っている。無力だ。自分は無力で、今からはじまろうとすることを止めることはできないのだと。
キクナが苦しむ中、レムレースとジョンは向かい合っていた――。