case182 人知を超えた兵器
ランプで照らされた石段に影柱が落ちた。ランプの炎が揺れるたび影柱がぐらつく。
どこまで続いているのだろうか……。どうして、祭壇の下なんかに階段が隠れていたのだろう……。セレナは嫌な予感を感じた。とても不気味で、禍々しい。
「ニックはここを下りたんだ……」
階段を覗き込むようにして見ながら、チャップがいった。
「俺とミロルが見てくるから、セレナとアノンはここに残れ」
「あたしも行くわ……」
「駄目だ。もし、何かあったらどうする」
「何かって何が?」
チャップがどれだけ残るようにいおうと、セレナは素直に従わない。ここで言い争い、時間を無駄にはできない。
「危ない目にあったらどうするんだよ……」
「あたしも行く」
例え付いて来るなといっても、セレナは必ず後をついて来る。セレナはそういう奴だ。
「ああ、もうしゃあねえな……」
チャップは頭を掻いて、渋々了承した。
「アノン。おまえだけはここで待っていてくれ」
チャップはアノンの両肩に手をそえて、やさしくいった。
「どうして……? ぼくも行くよ……」
「駄目だ。本当はセレナにも待っていてもらいたいが、こいつは人の話を素直に聞いてくれる奴じゃないからな。アノン、おまえだけが頼りなんだ」
アノンは首をかしげ、繰り返した。
「ぼくが頼り?」
「ああ、もし、俺たちが三十分経っても帰って来なかったら、村まで走って危険を知らせてほしいんだ。できるよな?」
アノンは眉間に皺を寄せて、頼りなさそうな声をあげる。
「何か……? そんなことないよね……?」
「ああ、そんなことないとは思うけど、もしもだ。もしも、三十分経っても戻らなかったら、村まで知らせに行って欲しいんだ」
不安の色を称えたアノンの眼を見つめて、チャップは強く言った。
「わ、わかった。ぼく、ここで待つよッ」
今まで不安そうに歪んだ顔はどこへやら、アノンは頼りがいのある漢という風に凛々しかった。
「よし、任せるからな」
アノンの肩を力強く叩き、チャップはセレナとミロルに向き合う。
「それじゃあ、俺たちも行くか」
階段を一段降りるごとに、気温が一度ずつ下がっているかのように肌寒くなる。できるだけ、足音を鳴らさないように気を付けながら、三人は階段を下った。
段差や歩幅がバラバラで、歩きずらかった。
段差が低いところがあったと思うと、次は倍以上に段が開いたところもあるのだ。足元に注意して下りなければ、階段を真っ逆さまに転がり落ちてしまう羽目になるだろう。
螺旋階段のようになっており、後どれくらい下れば真下にたどり着くかわからなかった。
何段下っただろうか……?
数えておくんだった、とセレナは後悔した。
足下に気を付けながら、階段を下っていたときチャップが唇に人差し指をそえて、立ち止まるように手をかざす。
「どうしたの……?」
小さな声で訊くと、チャップはセレナ以上に小さな声で答えた。
「話し声が聞こえる……」
セレナは耳を澄ませた。
確かに何か聞こえる気もするが、まだ雑音の域をでない。
チャップは指先で、下りることを示した。
十段ほど下ったころには、雑音は確かに人の言葉として意味をなしていた。この声は……神父の声だ。
話は聞き取れるが、何を話しているのかはさっぱりわからなかった。神父の話に頻繁に現れる、研究や実験とはどういう意味なのだろうか?
その緊迫感から穏やかではない、と誰もが即座に悟った。
螺旋階段の影からでは、ニックと神父が何をしているのか見えない。神父の声に混ざり、カノンの怒号も聞こえた。カノンもいる。カノンはやはり神父に囚われていたのだ。
「放せってッ!」
話の内容から察するに、カノンは神父に囚われてしまっている。
この状況で自分たちが躍り出て、何ができるという。
すべてが殊の外上手くいって、カノンとニックを救い出せたとしてこれから自分たちはどうすればいいのだろう。やはり、あのラッキーという男を信用するんじゃなかった……。
セレナはラッキーの底の見えない上辺だけの微笑みを思い出して、はらわたが煮えくり返りそうになった。
「どうして、ここまでいってもわかってくれないのですか?」
「そんなことできるわけない……」
何を話しているのか、さっぱりわからないがニックの声からは混乱と怯えが読み取れた。ニックは神父の頼みを拒んでいるのだ。
「レムレースの提案だけは受け入れたくなかったのですが……あなたが拒むのであれば仕方がありません……」
今まで裏返っていた神父の声が、不気味なほど低くなった。
「何をするつもりだよッ! 放せってッ! 放せよッ!」
カノンは暴れている。いったい、陰の向こうで何が起きているというのだろう。とても恐ろしいことが今から起ころうとしている……。
「本当に、本当に、おれにはそんな力ないんだ……。本当だよ……本当にないんだ……。おれは怪物になんてなれない……」
怪物……? セレナはスカラが話していた、人間が狼になったという話が脳裏をよぎった。その話と、いま神父が話している内容とは関係があるのだろうか。
「いえ、今話したようにニックくん、きみは獣になれるんです。一部だけではなく、完全に獣になれるのです。訓練さえすればコントロールできる」
「どうやってなるのか本当にわからないんだ……」
神父は落胆したような、吐息をもらした。
「これだけはしたくなかった……。けれど、レムレースが言うように、やはりきみには強いショックが必要なようだ」
カノンの悲鳴にも似た叫びが地下にこだました刹那、チャップは飛び出した。
「やめろッ!」
神父は飛び出したチャップの存在を認め、驚きのこもった声をあげた。
「チャップくん。どうしてここに?」
チャップ一人にはしておけない。
チャップに続くようにして、セレナも躍り出た。
「セレナさんまで……」
呆れたように、神父は首を振った。
セレナは神父が握りしめている、ナイフに釘付けになっていた。
神父はカノンを後ろ手につかんだ状態で、首にナイフを押し当てている。どうして、このような状況になっているのだろうか……?
「あんたがカノンを捕えてたのかよッ。信じてたのに……。こんな俺たちを引き取ってくれた、あんたを信じてたのにッ」
「チャップくん……ごめんなさい……。私もこのようなことをしたくはないのです。けれど、多くの命を救うためには、仕方のない犠牲。この研究が実を結べば、この世から戦争はなくなる。戦争で親を亡くすということがなくなるのですよ。きみ達のような浮浪児を失くせるのです」
その話とカノンにナイフを押し当てている話の辻褄がまったくわからなかった。なぜカノンにナイフを押し当てることと、戦争をなくすことが関わるというのだろうか……?
「チャップくんたちには話したとしても、信じてもらえないでしょうけれどA1028、いえ、ニックくんはこの世から戦争をなくす抑止力になりえる唯一の存在。二つの大国の冷戦状態が続いています。そして、こぞって核兵器開発に心血を注いでいる」
神父はいったい何を言っているんだ……? ちっぽけな子供の命一つで、戦争をなくせると本気で思っているのだろうか。セレナには理解できない。
「けれど、強力な核兵器を作り出したところで、にらみ合いが続き、使うことはまずできません」
神父はチャップの眼を見すえて続けた。
「なぜなら、人間が制御できる力ではないからです。そうなれば、核よりも扱いやすく、かと言って強力な兵器が必要になる。戦争で使える兵器が」
チャップに向けていた視線をニックに移して、続けた。
「ニックくんはその兵器を身に宿している。私たちの研究の集大成なのです。けれど、研究のさなかニックくんは施設から逃げ出してしまいました……。
ニックくんを研究すれば、より多くの適合者を生み出すことが可能になるのです。核に次ぐ兵器の保有国になれる。けれど、ニックくんは情に触れすぎ獣の本能を忘れてしまった。だから――」
神父はカノンの首に当てていたナイフに力を込めた。
カノンの細い首筋から、ルビーのように真っ赤な血の筋が滴る。
「今一度ニックくんには、獣に戻ってもらわなければいけないッ!」
首に押し当てていた、ナイフを見せつけるように高々と掲げて、神父は再びカノンの首目掛けて振り下ろした――。