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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第一章 事件編 人と獣は交われない  
22/323

file20 『サエモン』

 獣が大きく腕を振り上げたとき、私は動いた。

 殴られふらふらになった私に、まだこんな力が残っていたのが意外だった。

 獣も驚いているようだ。すべてがスローモーションに見える。

 驚く獣の阿保ずらもハッキリ見えた。次の瞬間。獣のけたたましい、叫び声が院ないにこだました。

「ァああぁぁぁぁアぁアアァ!」

 獣の咆哮と共に、鼻からはとてつもない、血があふれ出る。

 叫んだ拍子に私の胸倉を離す。

 私はせき込みながら、苦しみもだえる獣の姿を見つめた。動物園の獣を見るような目で見つめた。私は口から鼻を吐き出す。獣の鼻を噛みちぎったとき、私は不思議な恍惚感を覚えた。

 私の中で何かが外れる音が聞こえた。止め金という名の何かが外れる音を私は聞いた。

 村の広場にあるベンチにキクマは座っていた。バートンを見つけると、キクマは不機嫌そうな顔をして、「遅かったな、待ちくたびれたぞ」と、低いガラガラ声で嫌味をいった。


 キクマは気が短い、待たされるのが大嫌いなのだ。

 あと、もう少し遅れていれば額に青筋を浮かべて、修羅のような顔で睨みを利かせたキクマの顔を拝見することができただろう。


 そんな恐ろしい顔を見た日には例えは悪いが、あの死体たちのような顔で死んでしまうかもしれない。恐ろしや恐ろしや、とバートンはブルっと身震いした。


「ああ、ケットーさんから、色々話を聞いていたんですよ……」


 右手で後頭部を掻きながら、キクマにいった。

 それで少しは心穏やかになってくれると、ありがたりが……。

 しかし、キクマは腕を組んで空を見つめているだけだ。これ以上怒らせるのはまずい、バートンは慌てて言葉を足す。


「ケットーさんっていうのはあの第一発見者です……体調がすぐれないので、家で休んでいるんですよ……」


 キクマはバートンに視線を向けて、「もう一時間ほどしたら、県警がやってくる」と、だるそうにいう。


 そう、その県警にはキクマの嫌いな、ある人物がいるのだ。昔からその人物とは冷戦状態の二大国なみに仲が悪い。殺し合いに発展してもおかしくないほどに。


 キクマが狸だとしたら、その人物は狐だった。狐と狸は何故か分からないが不仲だと思われている。それと同じだ。


 キクマがあの人に助けを乞うとは珍しい。雨でも降るのではないかと、バートンは空をうかがったが晴天で、雨雲などどこにも見当たらない。


 それから、一時間二人は待った。

 時が止まったような、長い時間に感じた。自分一人で待つのであれば、こうも気を使わなくて良かったのだが、となりにはキクマがいるから、どうしても空気が重い。

 ぎくしゃくとした、空気が二人の間には漂っている。


 またときが流れた。何分経っただろうか、一時間近く経った気がする。時間の流れが遅い、気のせいか空を飛んでいる鳥まで遅く感じる。


 雲の流れはいつものようにゆったりだ。なんていい天気なのだろう。日向ぼっこをしながらウトウトとしかけたそのとき、狐が到着した。


「現場はどこですか」


 村の大通りを大人数で行進してくる、エリート集団。

 リーダー格らしき男が先頭を颯爽と歩いている。その男の名をサエモン・テンといった。


 見るからにインテリ、キャリア、といういで立ちの五十代。髪は七三に分けられていて、黄金虫のようにピカピカ光るオーラを放っている。見るからにいけ好かない奴、とキクマは思っているに違いない。


「案内する」


 キクマはいつの間にか立ち上がっていて、サエモンの前に躍り出た。


 二人とも顔には出さないが、ピリピリとしたオーラを発している。

 どうして、こんなにこの二人は仲が悪いのか、この二人の過去にいったい何があったのか。バートンには分からない。



 キクマを先頭にして、サエモンたちは森道の()()場所へ向かった。ケットーを家に送り届けて、二時間近く経っている。

 この二時間弱で、遺体は硬直が進み人形のようにも見えた。


 もう、限界まで開かれていた眼球は乾燥して、ひび割れそうだ。

 飛び出た内臓には蠅がたかり、乾燥してカピカピになっていた。数時間後には蠅に植え付けられた、卵がかえり、この死体は蠅の住みかへと成り果てるだろう。


 惨殺死体、という物は何度見ても慣れないものだ。

 サエモンたちは顔色一つ変えずに、遺体の周辺をブルーシートで覆い始めた。そして、現場を保存し、検視が始まる。


「肺臓を食い破られています。殺人事件です」


 鑑識官がサエモンに報告した。テキパキとした、無駄のないしゃべり方だ。よく訓練されたチームだとバートンでも分かる。


 そんなこと、いちいち報告しなくても分かるだろうと思うが、口には出さない。


「食い破られた? どういうことですか」


「はあ! 鋭い歯のようなもので食い破られたのだと思います」


 鑑識は背筋を伸ばして、斜め上を見ながらサエモンの問いに答えた。絵に描いたような敬礼だ。


「犯人は獣ですか」


「はあ! 獣の可能性が高いと思われますが」


 可能性が高い、だ。

 獣かどうかは分からない。人間かもしれないのだから。


「そうですか」とあごに手をやり、「確か山狩りが行われたのではなかったですか? まぁ、山狩りではなく森狩りの方が正しいかもしれなせんが」


 サエモンは森を一瞥したあと、キクマを見た。


「ああ、この前な。結果、銀狼っていう森の主を討伐したが、体内からは被害者の肉はでなかった」


 仲が悪るそうに見えても、なんやかんやで二人は似た者同士なのだ。昔から、つるんでいたと聞く。階級にすれば、サエモンの方が高いが敬語は使わない。


「どうして、リーダーが人間を襲ってなかったからって、他の獣たちも人間を襲ってないと言い切れるのですか?」


 キクマはサエモンと言い合っても疲れるだけだ、と考えたのだろう。

 すぐに、「いや、言い切れねえな。まだ、他にも人間を襲った獣がこの森にいるのは確かにいると思うが。というよりも、犯人が獣だと判断するのは速いかもしれねえ」と、段落のない平坦な声で言い返す。


「そうですか、では、私たちで森を捜索します。だれか、この森に詳しい人はいますか。いたら紹介してください」


 そういって、キクマを見るが答えようとしない、続けてバートンに視点を向ける。


「あの狼たちは人間を襲っていません!」


 バートンは叫んだ。滅多に声を荒らげない、バートンが珍しく声を荒らげている。それには理由があった。あの森だけはもう荒らすわけにはいかない。


 なぜなら、バートンはイスカと約束していたから。

 もう、山狩りは行わない、と約束していたから。

 サエモンたちにかかれば……森の狼という狼を殺されてしまう。

 サエモンは各地に散らばった、獣を討伐して回っているのだから。


 あの狼たち家族は人間を襲わない、この森の守り神なのだ。

 狼を殺さないで、とイスカと約束していたから、いくらサエモンが怒ろうと、引くわけにはいかない。


「どうして、そんなことが言えるのですか。獣ですよ、知能のない獣は何をしでかすか、分からないじゃないですか?」


「獣? この事件は人間による犯行だと思っています! 獣たちよりも人間の方が残虐なことができるんですから。歴史の勉強をしたのなら分かるでしょう!」


 バートンは自分でもビックリするほど、大きな声を出していた。

 普段大声を出さないので、喉が一瞬ではち切れそうになる。バートンは引くわけにいかない、わけがある。ここで引いたら、イスカとの約束が守れなくなるのだ。

 

 だから、バートンは必死に食いつく。


「あの狼たちではありません。あの狼たちはこの森の守り神だって言われているんです。この森を守ってきたんです。人間とも上手く共存していた。そんな狼が人間を襲うわけないでしょ。

 それに狼はとても頭がいい動物ですよ、人間を襲えばどうなるかは知っているはずです!」


 そこで、一息つく。

 続けてしゃべれば、喉が枯れることが分かったからだ。


「私は人間だと思います!」


 サエモンはバートンを見る。

 バートンの方が背が高いにもかかわらず、まるで見下ろされているかのような感覚に陥った。


 サエモンはそれ以上は反論せず、「そうですか、わかりました」と、思いのほかあっさりと引き下がった。

 そして、検視が終わった死体を通気性のいい袋に入れて運ばれていく。


 サエモンは運ばれる死体の後ろに付き、去っていった。バートンとキクマはキャリア集団が見えなくなるまで、その検視の痕が残る現場に突っ立っていたのだった。

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