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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
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case179 ジョンの正体

 少女の言葉の余韻(よいん)が、ソプラノの歌手の歌声のように何度も頭蓋骨を反響した。


「それは……どういうことなの……?」


 キクナは意識を取り戻すと、乾いた口を開いた。


「聞こえなかった?」


「いえ……聞こえたけど……」


 ああ、じれったい……。レムレースの回りくどい言い回しに、これほど強い苛立ちを覚えたのははじめてだった。


「だから、つまり、ジョンに会えるって、どういうことなのかを教えて欲しいの」


「だから、ありのままの意味に決まっているじゃない。今夜ジョンに会わせてあげるって言ってるの」


 少女の言葉が形をもって、キクナの心に浸み込むまでには数秒かった。

 ジョンに会える……。やっと……会える……。

 けれど、そこまで浮足立ってから、キクナの心に疑問がわいた。

 どうして今夜なのだろう? 日が明けてからでもいいではないか。


「それじゃあ、会いに行きましょうか」


 レムレースは踵を返し、階段を一段下りた。


「ちょっと……」


 先さき話を進めようとする、レムレースを呼び止めた。


「何よ」


「今から会うの? 日が明けてからの方がいいんじゃない……」


「会いたくないの。そのために知らない人間の車にひょいひょい乗ったんでしょ」


 言い返せないのが悔しい……確かに知らない人の車に乗ったが……。

 どれだけ、言い訳を募ろうと真実は変わらない。キクナは出しかけた言葉を飲み込みうなずいた。


「会うわよ。会ってやるわよ。で、どこの部屋で待っているの?」


 キクナは暗い足元に気を付けて、少女の後を追う。


「さあ、どこかしら。たぶん向こうもあなたのことを捜していると思うから、こっちから捜しに行かなくても、どこかで鉢合わせるとは思うのだけど」


 カツカツと、まるで森を歩く人間が野性動物に自分の存在を告げるかの如く、革靴を軽快に打ち鳴らした。


「どういうこと。向こうもわたしのことを捜しているの。応接室で待ってもらえばいいじゃない?」

 

「まあね。そうできたら、楽なのだけど」


 意味ありげにレムレースはいった。

 彼女の後ろを歩くキクナには、表情まではうかがい知ることはできなかった。


「とにかく、広い場所がいいわね。狭いと面白くないし」


「広い場所?」


 キクナはますます、わけがわからなくなった。

 どうして、ジョンに会うだけなのに広い場所に行かなければならないのだろう。そんな、疑問を持ちながら、キクナは一階の床を踏んだ。


 二階とは対照的に一階は、ランプが等間隔に灯され比較的、歩きやすいと思った。二階にもランプを置いてくれればいいのに。


 夜トイレに起きたときなど、足元がおぼつかない上に、闇に無言で潜んだ黒服たちが石像のように配置されている光景は、不気味過ぎて夢に出そうになる。


 ホールに向かう道を進んでいると、前方からランプの灯りが足早に近づいて来た。見るからに焦っている。いったい、どうしたのだろうか?


 キクナは不審に眉をゆがめると、肩で息をした黒服がつっかえつっかえに報告した。


「見つかりませんっ……。すでに、五人やられました……」


「五人なんてたかがしれてるじゃない。それより、殺さないでよね。わたしが相手をするんだから」


 いったい、何の話をしているのだろうか……。キクナの胸が強く騒いだ。唯一わかるのは、穏やかな話ではないということだった。


「においは近くからするのよね」


 レムレースはあごをくいっと上げて、小鼻をひくつかせた。

 

「もうすぐ応援が来るはずでしょ。庭を包囲するように伝えて、この前みたいに逃がしたら、今度こそただじゃ置かないから。捕えたら、ホールに連れて来てちょうだい」


 黒服は片膝をつき、中世騎士がとるような最上級の敬意を示した。


「肝に銘じております……」


 黒服が去ったあと、少女は何事もなかったように歩き出した。

 けれど、すぐに足は止まる。


「どうしたの? 速くホールに行くわよ」


 レムレースは体中が凍り付き、表情すら血の気の失せたキクナにいった。


「ど、どういうことなの? 今の話なんなの……?」


 ピンと来ていないのか、それともとぼけているのか、レムレースは小首をかしげた。


「だから、殺すとか……。やられたとか……。逃がさないで……とかどういう意味なの……?」


 キクナは唾液を飲み込むタイミングを見失い、言ってからむせ返った。


「だから、ジョンを殺さないでって言ったのよ」


「どいうことなの……? それ……ジョンに会わせてくれるんじゃなかったの……?」


 キクナは半狂乱に問うた。

 今すぐにでも叫び出したいのを、わずかに残った理性が制している。


「ちゃんと、会わせてあげるわよ。話もさせてあげる」


「じゃあ。どうして、殺すとかって話になるの……。あなたたちの仲間なんじゃないの……?」


 少女はわけのわからない言葉を話す動物を見るような目で、キクナを見た。その目の中に深い闇が、渦を巻いているようだ。


「あら、わたしがジョンと仲間なんていったかしら? 知り合いだとしか言っていないと思うけど」


「じゃあ……わたしに会いたがっているって言ったのは……?」


「それも嘘じゃないわよ。今あなたを救うために、ジョンは命を懸けてここに侵入しているのだもの。あなたに逢いたがっていることにならない?」


 命を懸けて……。

 自分を救うため……。

 キクナは全身から血の気が引いて行くのを感じた。


「どうして……あなたたちはジョンを殺そうとするの……? ジョンがいったいなにをしたっていうの……?」


 自分の言葉なのに、自分が発しているとは思えない声だった。

 自分は今何かを話しているのだ。

 キクナは今まで信じていた世界の真実というものが、音を立てて崩壊していくかのような感覚に囚われた。


「それをいうなら、ジョンは人間として絶対にやってはいけない、禁忌を犯しているわね。だって、彼は殺人鬼なんですもの――」


 キクナは不思議と驚きはしなかった。

 自分が驚かなかったことに驚いた。


 自分は薄々気がついていたから。ジョンが何をやって大金を得ているのか、自分は深層心理の更に深いところでわかっていたのだ。それなのに、自分は何も知らない、風を装っていた。


 ジョンの正体を知って、関係を壊すのが怖かったから、無意識に考えないようにしていたのかもしれない……。いつ壊れてしまうか、わからない幸せだった日々を……。


「あら、驚かないのね。あなたの彼氏は人殺しだったのよ。それも、一人や二人ではないわ。彼が殺したのは。もう数えきれないほどの人を殺しているのですもの」


 キクナにはレムレースの言葉は聞こえていなかった。

 ただ、キクナの心を埋め尽くすのは“ジョンにあわなければ„という、強い使命感だけだった。自分はジョンの正体を知っていて、容認していた。つまりは……同伴もどうぜんの人殺しなのだ――。


 キクナは陸に上がった魚が、水を求めるように口をぱくぱくさせて、何度もつぶやいた。


「ジョンに、あわなきゃ」と――。

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