表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第二章 過去編 名前のない獣たちは……
217/323

case178 茜差す月が輝く夜に

 (あかね)差す月の輝く、夜。黄色く、白く、赤く、銀色に、輝く月を、どう表現するのが正しいのだろうか。とにかく、妖艶に、恍惚に、美しく、綺麗な月だった。


 キクナは窓から差し込む、美しい月をただベッドの中で見つめていた。眺めている内に不思議と、ベートーヴェンのピアノソナタ月光が、脳内で再生された。第三楽章ではない、第二と第一が明瞭に聴こえるのだ。


 記憶の中の月光に聴きこみながら、キクナは飽きることなく窓から見える月を見つめ続ける。とびらを挟み、廊下の端にポツンと置かれている、のっぽの振り子時計が鳴った時刻の午前十二時。


 いつもはとうに眠っている時間なのだけど、今日に限って眠れなかった。昼寝をしたわけではない。けれど、何故か眠れない。人間が進化の過程で捨ててしまった、動物的な勘とでもいう、胸騒ぎが今夜は酷かった。


 静かな部屋で、一人月を見上げていると魔法にかかったように、昔のことが次から次へと頭を駆ける。これでは走馬灯だ、と自分を笑った。昔、誰かに聞いたのか、読んだのか、月には魔力があると。


 月の引力に関係して、満潮や干潮が引き起こされている、と。

 そう思うと、本当に月には科学では解明できていない、不思議な力があるのかもしれない、とキクナは思った。


 無理にベッドに横になっても、昔のことを次から次へと考えてしまい、余計目が覚める始末だった。普段こんなことないのに、どうして今日は感傷的になっているのだろう。


 父のことが頭をよぎった。

 兄のことが頭をよぎった。

 チトとローリーのことが頭をよぎった。

 そして、ジョンのことが頭をよぎった。


 早くここから出て、父に会おう。

 なのに、どうして自分はファミリー総本山のベッドで月を見上げているのだろう。これも、元を正せばジョンのせいなのだ。確かに、先走りして知らない人の車に乗ってしまったのは自分だ。


 けれど、それがこんなことになるとは誰も思わないではないか。

 そう思うと、感傷的な感情が段々と、ムカムカとした怒りに変化した。


 それから、しばらく天井と、月を交互に見比べながら羊でも数えていると、廊下をせわしなく大人数が走っているような音が遠く聴こえてきた。


 バタバタと天井裏をネズミが駆けるような、訓練された兵士たちが行進するような音だった。すぐに何かが、変だ、とわかった。


 いったい何があったのだろう……? 

 キクナはベッドから立ち上がり、廊下に続くとびらを開けた。

 確かに、兵士の行進のような足音がどこからか、こだましている。


 ネグリジェ姿なので、下手に廊下を出歩くわけにはいかない。

 一度とびらを閉じて、ベッドの横のサイドテーブルにたたんで置いた、カーディガンを羽織り、再び廊下に出た。殺伐としていて、何事も起きていないように思うのだが、どういうわけか胸騒ぎは強くなる一方だ。


 キクナの部屋があるのは二階の一番端っこで、一階へと続く階段があるのは真逆の方向だった。カーディガンを両手で、つかみ肩を丸めるようにして足音が聞こえた方へと進む。


 いつもは何時になっても見張りがいるはずの廊下は、誰一人いない。

 これなら、逃げられるんじゃない、と一瞬思ったけれど、自分が住んでいたアパートは突き止められているのだった。逃げ出せたとしても、どこに帰るというのだろう……。


 自分には安心して夜を越す、ねぐらも奪われてしまったのだ。

 キクナはトホホ、と肩を落とし涙を堪えた。


 それにしても、見張り一人いないとは、どういうことだろうか……。おかしすぎる。いつもなら、廊下の中間にやって来るまでに五人ほどには出会っていてもおかしくない。


 トイレに起きたときなど、男たちの前を通り用を足しに行くなど、屈辱以外の何物でもなかった。せれて、ヤチカのような女性を付けて欲し。


 トイレを通り過ぎて、階段までたどり着くことができた。

 ここまで来て、本当に様子がおかしいことを悟った。

 もしかして……罠なのでは……。


 自分が逃げ出すかどうか試しているのでは。

 こんなことをする犯人は一人しかいない。レムレースの仕業だ。

 きっと、そうだ。見張りをすべて消して、自分がどういう行動をとるのか、観察して楽しんでいるに決まっている。レムレースならやりかねない。


 誰がそんなみえみえの罠に引っかかるか。

 キクナは階段に向けていたつま先を返し、再び部屋に戻ろうとしたとき、階段の踊り場に人影が立った。


「今から、呼びに行こうと思っていたのよ」


 階段の踊り場は陰になり、見えないがその声は確かにレムレースのものだった。ほら見ろ、やっぱりそうだ。自分が階段を下りようとしたら、躍り出てからかうつもりだったのだ。


「わたしはそんな手にはひっかからないわっ」


「いったい、何を言ってるの。寝ぼけているわけ」


 呆れたような声がそう答えた。

 少女の足音が軽快に階段を登る。

 闇と影のコントラストを抜け、レムレースはキクナの前に立った。


「寝ぼけてない。それに、まだ寝てもいないわ」


 レムレースは別段興味なさそうに、目を細めて話を聞いていた。

 その表情が自分をからかっている、それではないことをキクナは悟った。


「わたしをからかっていたんじゃないの?」


「だから、何が?」


「違うの?」


「だから、何がよ?」


 どうやら、本当に自分をからかっているわけではないようだ。

 では、今さっき一階から聴こえてきた、慌ただしい足音は何だったのだろうか……。


「だから……わたしが逃げ出すか見るために、見張りを置かなかったんじゃないの?」


「あなたに、逃げ出す度胸なんてあるの」


 いつものように少女は小馬鹿にするように、微笑みながらいった。

 言い返そうと思ったけれど、確かに逃げ出したとしても、すぐに見つかって連れ戻されるのがオチだとわかっている。


「じゃあ……今さっき聴こえていた、慌ただしい兵士の行進みたいな音は何だったの?」


 レムレースはやっと、話せると言うように形のいい唇を薄く開いた。窓から差し込む、残光が少女の唇を妖艶に照らす。そして、少女はいった。


「朗報があるの――。今夜ジョンに会えるわよ」


 そういって、レムレースは歳に沿わない魔性の微笑みを浮かべた――。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ