case172 ニックの勇気
辛辣な顔で、子供たちはうつむいていた。
ニックが部屋に入って来るなり、皆は立ち上がり唯一残された希望にすがるように、重い瞳を彼に向ける。
「どうだった、カノンはカノンを見たって人はいたか?」
ニックは首を振った。
唯一の希望を断ち切られ、子供たちは暗い顔に戻った。
「そうか……。そうだよな……。俺たちの方も全然だめだった……。いったいどこに行っちまったんだよ……」
「そのことなんだけど」
ニックが言うと、皆はふさぎ込んでいた顔を一斉に上げた。
「カノンがいなくなった原因は、わかりきっているじゃないか。神父だよ。一連の事件を起こしていたのは、神父なんだよ」
口に出して、ニックの決意はより強くなった。
自分が言おうとしていることが、自分自身で信じられなかったが、迷いはない。
「神父を問いただそう。カノンを返してくれ、って。話せばわかってくれるかもしれない」
「何言ってんだよ? もし、本当に神父がカノンを監禁しているのだとして、そんなこと問いただしても『はいそうです』って答えてくれると思っているのかよ?」
チャップはニックを諭した。
けれど、ニックの気持ちは変わらない。
「だけど、このままじゃカノンは見つからないよ……」
「そうかもしれないけどよ……」
「みんなには迷惑かけない。おれ、一人で行くよ」
「何を言ってるんだよ……? もし、もしもだぜ。神父が本当にカノンを監禁しているのなら……どうなるかわからないじゃないか……。おまえも監禁されるかもしれない……」
「もし、おれが帰ってこなかったら、おまえ達はあの街の拠点に逃げてくれ」
子供たちはニックが本気なのだと気づくと、お互いに顔を見合わせた。
「おまえと、カノンを見捨てて逃げられるわけないだろ」
「おれのことは心配しなくても大丈夫。カノンを見つけ出して、必ず一緒に後を追うから」
「何を言ってるんだよ?」
*
来客用に置かれているソファーに座り、ニックは神父と向かい合っていた。
神父は机の上に両肘をつき、口元を隠すように顔の前で手を組でいる。神父の背後にある窓から光が差し込み、表情まではうかがえなかった。
「ニックくん、いったいどうしたのですか? そんな辛辣な顔をして」
神父の気迫に負けてニックは目を泳がせた。
けれど、ニックの意志は決まっていた。すぐに、視線を戻し神父を睨みつけるように見つめた。
「カノンを返してくださいっ」
「どうしました、唐突に」
神父の問いに答えずに、ニックはもう一度強く言い放った。
「カノンを返してくださいっ」
「私がカノンくんの居場所を知っているというのですか?」
ニックは乱暴に立ち上がり、「知っているんでしょッ」と神父に一歩詰め寄った。
「どうして、そう思うのです? 何か根拠があって言っているのですよね。根拠もないのに人を疑うことは、悪いことですよ」
「証拠はありませんが、証人ならいますっ。おれ、見たんです。あなたがセーラとマークを化け物に変えているところをっ。カノンにも同じことをしたんじゃないですよねッ!」
神父は猫が喉を鳴らすときのように、フフフと笑いはじめた。
「何を馬鹿なことを言っているんですか? セーラさんとマークくんを化け物に変える? 夢と現実を綯い交ぜにしているのではないですか。人間が化け物に変わるわけないでしょ」
「いえ、おれは確かに見ました。あの日の夜、あなたはセーラとマークを狼のような化け物に変えたッ。毎月行われるあの検診で、子供たちに打たれる注射は何ですか? おれはあの注射を、どこかで知っている……」
ニックは夢で見た光景を思い出した。
鉄の台の上に横たわらされ、子供たちに透明な液体の入った注射を打った。すると、子供たちは童話などで語られるような、狼に似た化け物に姿を変えたのだ……。
「記憶が戻りかけているのですか……? 予定よりもずいぶん早いですね……」
神父は今までの余裕の表情を崩し、驚いたようにニックを見た。
けれど、すぐに表情を変えて、神父は続ける。
「ええ。ええ、そうです。あともう一人、捕まえるまで黙っておくつもりでしたが、もうそれも必要ないようです」
いったい何が起こったのか……タダイ神父の態度が一転した。
今まで、平然と白を切っていたはずの神父が手のひらを返したように、突然己の罪を認めてしまった……。ニックは神父の急変に薄気味悪さを覚えた。
「私に付いてきてください。カノンくんに会わせてあげます」
話も飲み込めぬまま、神父は立ち上がった。
このまま、神父について行ってよいものだろうか……。
ニックは得体のしれない恐怖に襲われていた。
「どうしたました。私に付いてきなさい。会いたくないのですか」
常に礼儀正しい神父の口調が、高圧的なものに変わった。
有無を言わさぬように、ニックを見下ろす神父。
何をいまさらビビっているんだッ、ニックは自分を鼓舞するように心の中で自分を罵った。カノンのところに連れて行ってもらえるんだろ。何を今更怖気づいてんだッ。
ニックは立ち上がり、神父を睨み上げる。
神父の後に続き、長い廊下を進む。
誰一人すれ違うことなく、長い廊下には自分と神父の二人だけしかいない……。神父の羽織っているローブの背を見ながら、ニックは後に続いた。
すると神父はある場所で立ち止まった。
「ここは……」
ニックはクラシック調のとびらを見上げた。ここは……ニックが心で思うと、代弁するかのように神父が口をついた。
「聖堂です」
聖堂に通じる重いとびらを押し開け、神父は中に入った――。
いったい……どこに連れて行こうというのだろう……。
呆然ととびらの前で立ち尽くしていると、神父は苛立たしそうにいった。
「何をしているのですか? 私に付いてきてください」
本能がニックに危険を告げる。
けれど、カノンを助けるために自分は行かなくてはならない。
聖堂に足を踏み入れると、とびらはゆっくりと閉まった。
まるで、ロダンの地獄の門のように、重く閉じたとびらは、再び開くこことはないかのようにニックには思えた……。
「どこに……カノンはいるんです……?」
神父はそのまま、ワインレッドのカーペットを進み、祭壇の歩み寄った。
「いったい……なにを……?」
ニックが問うたとき、神父は祭壇の裏手に手を回し、カチという鍵が外れるような音がしたかと思うと、祭壇はスライドドアのように横に動いた。
ニックは目を丸くして、あらわれた階段を見つめた。
祭壇の真下に、地下へと続く階段があらわれた――。