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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第一章 事件編 人と獣は交われない  
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file19 『ケットーの証言』

 獣はいつも取り巻きを連れている。

一人では行動できないようだ。私は毎日、獣を観察する。

雨の日も、風の日も、雪の日も、いつも獣を観察する。

 私がこのこじいんに入ってから、何日が経っただろうか。何か月が経っただろうか。


 いつの日か私は数えるのを辞めていたから分からない。少なくとも、半年は経っただろう。

 その日は突然やってきた。良いことも、悪いことも、突然やって来るもので、その日は突然やってきた。

「おい!」

 と、獣が私の胸倉をつかみ壁に叩きつけた。

 鋭い目つきで、私を睨みつける。

 何も気に障ることなどしていないが、何が気に障ったのだろうか。いや、気に障ることがあろうが、なかろうが、どちらにしろ、獣は行動に移しただろう。

 この、こじいんという狭い世界で、自分の思い通りに行動しない人間は私だけだったからだ。遅かれ早かれ、殴られていた。自分の力を誇示するように、私を殴る。

 弱い犬ほどよく吠える、とはよく言ったものである。

 獣は私を殴る。三発目以降、私は考えるのを辞めた。

 いや、考えられなかった。何発目だっただろうか、私は動いた。何もしないのが阿保らしく思えたから、私は動いた。追い詰められた鼠が猫をも噛むように、私は動いた。

 男はゆらゆらと体幹なく、ふらつきながら歩いた。途中足が付いてこず、何度も倒れそうになったが、その度にバートンが支える。

 ほんの数十分一緒にいただけなのに、男が急激に老け込んだのがよく分かる。


 肉付きの良い体はみるみる内に萎れ、少なくとも十歳は老け込んだ。無理もない、男は一生消えない心の傷を負ったのだ。残酷に殺された死体を見つけた発見者は精神的に参って鬱になる、という話をよく聞く。


 この男はそうならなければいいのだが、バートンは男の背中をさすりながら思った。


 男をバートンに任せ、キクマは車に備え付けの無線で警察に連絡を取りに行っている。帰って来るまでしばらくかかるだろう。

 広場で待ち合わせの約束を交わし、バートンは男の家に向かった。


 男の家はキプスのとなりにあった。三角屋根に日の光がよく入りそうな、大きな窓が通りに面して付いていた。

 男の腕を肩に担いだ状態でバートンはとびらを開けた。


 家の中に視線を送ると、女は何が起きたか分からない、というような顔をして呆然とバートンを見た。ノックもなしに知らない男が突然、家に押しかけて来たら誰だって、この女のような顔をするだろう。


 めくりかけていた本のページに指をかけたまま、固まっている。

 女はバートンが担いでいる者が誰なのか気づき、同時に声にならない悲鳴を上げた。持っていた本は床に落ち、ページが折れた。


「ど、ど、どうしたんですか……!」


 女は急に血相を変え、バートンに駆け寄り、問うた。

 この男の妻なのだろう、男に触れようか、触れまいか、戸惑い両手は宙を泳ぐ。


「奥さんですか?」


 女の瞳孔が大きく開き、大きくなった目が猫のようにまるまる。


「え、ええ、そ、そうです……」と、首を上下させて答えた。


「旦那さんが死体を発見されたんです」


 女は両手で口元を隠した。すぐに意味を理解できる者などいるはずがない。女はしばらく固まって状況を整理しているようだ。


 普通なら状況の整理がつくまで、待っていてやりたいが、今は旦那を休ませなければならない。


 バートンは、「混乱しているのは分かりますが、旦那さんを先に休ませてあげてください」と妻を急かした。


 すると妻は、「あ!」と声を漏らし、ソファーに案内してくれた。男をソファーに座らせる。少し乱暴になってしまったが、ソファーのクッションが男を受け止めた。

 

「ありがとうございます、気分が悪いだけなのですぐ治りますから……」


 男をソファーに座らせたまま、バートンは妻の方を向き話す。男の名前はケットー、妻の名前はダミアというそうだ。ダミアは三十代半場のきりりとした目が特徴的な女だった。


「ケットーさん、ご気分はましになりましたか? もし、しゃべれるようでしたら、遺体を見つけたときの状況を詳しく教えていただけないでしょうか?」


 ケットーは色の戻った顔を再び曇らせ、思い出すのもおぞまし、という表情を作る。


 話してくれないか、と思ったが、「村はずれに私の畑があるんです……畑仕事が終わり、家に帰ろうとあの山道を歩いていたら……道端に何かが落ちているのが分かりました。……なんだろう、と思い近づいてみると……」そこまで話してケットーは黙ってしまった。


 ケットーはそれ以上は言いたくない、という目をしてバートンを黙示する。それから、しばらく沈黙が続いた。


「それからの記憶は殆どありません。恐怖が頭を覆いつくしていて、何も考えられませんでした……。やっとのことで村にたどり着いたら、あなた達に出会ったんです。後はあなたが知っている通りです……」


 バートンは不思議に思った。どうして、犯人はこんなすぐに発見されるような道に遺体を遺棄しているのか。本当に犯人が人間なら、殺害した遺体は隠すのではないか。


 そうだとすると、やはり犯人は獣なのだろうか。あんな、犯行ができるのは獣しか考えられない。だとしたら、銀狼一家の他にあの森には影の支配者がいることになる。

 人間を襲う獣がいることになる。


「辛い、記憶を思い出さすようなことを聞いて、申し訳ございませんでした。申し訳ないついでに、もう一つだけ、お聞きしてもよろしいでしょうか?」


「はい……」


「あの森には銀狼、という狼がいたことを知っていますか?」


「ええ、知っています。だから、あの森には猟師以外は入らないようきつく注意されているんです」


 初情報だ。あの森には猟師しか入れない。子供たちは入れない、といっても、この村に来てからイスカ以外の子供を見たことがないが。


「それじゃあ、あの森には狼以外の危険な動物が住み着いているとかいう、噂を聞いたことありませんか?」と間をおき、「熊とか?」そう聞くと、ケットーは右眉根を引き上げて、どういう質問なのか推し量るような顔をする。


「熊はいるでしょうね。なんせ森ですから。熊が、どうかされたんですか?」


「あ、いえ、捕獲した狼の体内から人肉は見つからなかったんですよ。狼はリーダーが先に獲物を食べるでしょ。リーダーの体内から人肉が見つからなかったのであれば、犯人はあの狼一家ではないことになるんです。だとしたら、他に危険な動物。例えば熊があの森に住んでいるのかな~、と思ったんです」


 ケットーは納得したように、首を小さく上下させてバートンの話を聞いていた。


「あの、森は狼一家の縄張りです。並大抵の動物はあの森に近づきませんよ」


「そうですか」といって、バートンは腕時計を確認する、「もう連絡が付いたと思うので、ここで失礼します。ありがとうございました。あとはゆっくり休んでください」


 丁重にケットーに気遣いの言葉をかけながら、バートンはケットーの家を後にした。

 今からまた忙しくなる。あの森は銀狼一家の縄張り、並大抵の獣は住みつけない。


 だとしたら、犯人は何者なんだ。本当に獣なのだろうか、考えられないが。いや、考えたくないが、犯人は獣ではないのではないかと、思い始めている自分がいる。


 獣ではない、つまり、人間による犯行。内臓をズタズタにする殺害方法を人間ができるものなのか。背筋が凍てつくほどの寒気を背中に感じた。


 人間なのか、獣なのか、言えることはただ一つ、早く犯人を捕まえないと、被害者がさらに増えるということだけだった。早く犯人を捕まえなければ、という焦りと共に本能が警鐘を鳴らした――。

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