case170 着たくもないドレス……
天井から宝石のように煌びやかなシャンデリアが下がっていた。ガラスや、銀の燭台のような装飾品が幾重も重なり、明かりを灯さずともそれだけで眩しすぎるほどに明るい。
壁にはキクナが今までに見たこともないほど、巨大な姿見があった。縦二メートル以上もある巨大な鏡だ。
そんな大きな鏡、誰が使うというのだろう。
大きすぎて、逆に使いづらいに決まっている。
これまた巨大な窓から差し込む光で、客間は光の国のように照らされているのだ。部屋の中央には円卓の騎士みなが座れるほど巨大な、丸テーブルが鎮座している。
その円卓にキクナは拾われてきた猫のように、硬く座っていた。
「では、改めまして、お久しぶりです。会うのは、ひと月ぶりですよね?」
「知りません」
キクナは突っぱねるように言い返した。ラッキーと名乗った男は、悲しそうに肩をすくませて、円卓上に置かれた紅茶を飲んだ。
「まあ、そう怒らずに。紅茶でも飲んで気持ちを落ち着かせてください」
「こんなところで、落ち着けるわけないでしょッ。いいから帰してください」
キクナは円卓でも叩きかねない勢いで怒鳴った。
ラッキーも肩をびくつかせ、苦笑いを浮かべた。
「申し訳ありませんが。それはできません」
ラッキーは怒りに引きつるキクナの眼を見つめて頑として、言い切った。キクナはラッキーに気圧されて、背もたれに深くもたれ掛かる。
「けれど、安心してください。丁重におもてなしするつもりです。あなたには、返せない恩義があるのですから」
「わたしに返せない恩義?」
キクナは怪訝に顔をしかめ、往復した。
「あなたは知らなくても無理はありません。あのときは、まだ幼かった。恩義があるのは、あなたのおばあさまです。けれど、おばあさまはもういません。だから、この恩着はキクナさんにお返ししたいのです」
「おばあちゃんに?」
ラッキーは深くうなずき、続けた。
「その通りです。あなたのおばあさまからは商いに関する、色々なことを教わりました」
遠い昔に夢を馳せる老人のように彼は干渉にふけった。
「僕は貧しい家庭に産まれました。父は硫黄鉱山で働く労働者で、母はロザリアという主婦でした。食べていくのが精一杯の貧しい家庭で、僕は性格がねじくれていましたね」
遠い目で、ラッキーは淡々と語りはじめた。まるで、機械のようで、他人事のように語る彼の話は実感がなく、耳を流れ抜けた。
「町の悪ガキたちとつるんで、悪さばかりしていました。このまま、こんな町で、こんな惨めな暮らしのまま一生を終えるのか、と絶望にくれていた、ある日、僕は船着き場である女性と出会ったのです」
そういって、ラッキーはキクナを見た。
「それは、あなたのおばあさまです。あなたのおばあさまは、日本の品物を世界各国に運輸する商売で、女性ながら成功された方です。僕は彼女と出会ったことで、商いで大切な様々なことを教えてもらいました。彼女から色々な知識を教わり、僕はアメリカに渡りました」
キクナは黙って、ラッキーの話を聞いていた。
「そのころのアメリカは禁酒法が唱えられており、僕はそこに目を付けました。昔、つるんでいた仲間と協力して、アメリカに大量の酒を密輸して高額で売買する。面白いように、お金が入りました。
それだけならよかったのですが、いつの間にか麻薬や人身売買にまで手を染めてしまっていて、今ではジェノベーゼファミリーのボスにまで上り詰めている」
そう語るラッキーは全然、嬉しそうではなかった。
「どうして、そんなことになるまでに辞めなかったんですか……?」
彼は自嘲気味に含み笑いを浮かべた。
「そのときにはすでに後戻りのできないところにまで、来てしまっていたんです」
乾いた喉を潤すため、ラッキーは紅茶を一口すすった。キクナは紅茶など飲む気にならず、まだ一度も口をつけていない。
「こんな暗い話になってしまって申し訳ありません。まあ、つまりはあなたのおばあさまに商いを教えてもらったおかげで、僕は大成することができたというわけです。
おばあさま亡き後、キクナさんにこの恩を返したいと思っているんですよ」
キクナは返す言葉もなく、ただ凪だ紅茶の表面を見つめていた。
「だけど、昔では想像することすらできなかった、莫大な金があります。僕は今、世界から戦争という悲しみをなくすために、あることをしているんです。それが成功すれば、世界から争いはなくなるはずです」
締めくくるようにラッキーはそういって、最後に余った一口を飲み干した。
「で、話は終わったかしら?」
二人の話を横で聞いていた、銀髪の少女はくたびれたように眠たげな声でいった。ラッキーは少女に微笑みかけて返事を返す。
「ああ、もう、終わったよ」
「くだらない話ね」
「そうだったかな、その話は今の僕を形成することになった、実のある話だったはずだけど」
少女は氷のような銀色の瞳で、ラッキーを見すえてハッキリと言い切った。
「同情でもして欲しいって言うの? 他人の不幸自慢ほど聞くに堪えない話はないのだけど」
ラッキーはしょんぼりと、眉根を寄せた。
「べつに不幸自慢じゃないさ」
子供みたいにラッキーは気落ちしてしまった。
「それじゃあ、キクナさんを部屋に案内してあげてくれ」
そういって、ラッキーは部屋の隅っこで待機していたメイドに言った。
「かしこまりました」
頭を下げて、「では、わたくしについて来てくださいまし」とキクナを促す。
渋々キクナは立ち上がり、メイドの後に続く。
ホテルのスイートルームのような一部屋にやって来るなり、メイドはあるものをキクナに見せた。
「それは……何ですか?」
「お嬢様からの言いつけで、キクナさまにこれを着せるようにと」
そうメイドが見せたのは、黒いゴシックドレスだった。
「嫌よ……そんなドレスわたしに似合わないわよ……」
「いえ、そんなことありません。似合いますよ」
キクナは後下がりしながら拒否したが、メイドはドレスを掲げたまま、一歩一歩追い詰めるように前進する。マジックのような早着替えで、メイドはキクナの服を脱がしドレスを着せた。
自分自身ですら、どういう風に着替えさせられたのか、わからないほどの早業だった。
姿見の前に立ち、キクナは自分の姿をまじまじと見た。日本系の背中までの長い黒髪に、レムレースほどスタイルのよくない姿は見るに耐えなかった。
レムレースを見る前なら納得できただろうが、どうしても彼女と比較してしまったら目劣りする。
「やっぱり、わたしには無理です……それに、着なれないから疲れるわ……」
キクナはメイドに訴えたが、「お言いつけですので」と頑として聞き入れてもらえなかった。
それから、数日キクナは着たくもないゴシックドレスで過ごさねばならなかった――。