file18 『残酷な死体』
ここは私がいた家と何も変わらない。
こじいんにもあの、獣のような奴がいた。その、獣がここのリーダー格らしい。
他の子供たちは獣のいうことを、怯えながら聞いている。逆らえば、酷い目に遭わされるから、怯えながら聞いている。
そのことを知っていて、大人たちはなにもしてくれない。
大人でさへも獣を恐れていた。みんな獣が怖いのだ。怖くて誰も逆らえない。
どこも、同じだ。悪いことをする者がのうのうとのさばっている。
どうにかしなければ……私がどうにかしなければ……私が正義の味方にならなければ。
バートンは改めてキスカを見た。前に見たときより顔色はよく見える。以前は目が落ちくぼみ、精神的にピリピリとした印象があったが、今は晴れ晴れした透明感がある。
キスカを見ながら横目にイスカに視線を移す。イスカはうつむいたまま、バートンと目を合わせようとしない。
目を合わせれば、なにか聞かれると思っているのだとわかる。つまり、家の中にいる人物のことを隠しているのだ。
バートンはそこまでぶしつけではない、キスカとイスカ、そして、家の中にいる人物の気持ちを推し量り、「分かりました、それでは出直します」と、頭を下げながら、扉のすき間を覗き見た。
部屋の真ん中に鎮座しているテーブルが見える。そのテーブル席には確かにあの人物が座っているのが見えた。
あまり長い時間、頭を下げているのも怪しまれる、バートンは三秒ほどで顔を上げた。そのまま、キクマに、「じゃあ、行きましょうか」といい、二人は立ち去った。
*
「キスカさんの家にいた来客はサイさんですよ」
バートンは村の舗装されていない、大通りを歩きながらしゃべる。キクマは横目でバートンを見て、「見たのか」と、疑わし気に返した。
「いや、足しか見えませんでした。警部お得意の、勘とでもいうのかな、あの二人は肉体関係をがあると言っていましたから、女が傷ついているときに慰めにこない男はいないでしょう」
キクマはくだらなそうにバートンの話に耳をかたむける。この人は男女の色恋にはまったく、興味ないようだ。そんなキクマにはお構いましにバートンは続ける。
「まぁ、サイさんは――」
と、バートンが何かを言いかけた、そのときだった、「大変だ! 大変だ! 誰か! 誰かァ! 来てくれェ! 人が襲われたア!」とどこからともなく、甲高い男の声が聞こえてきた。緊迫感のある鬼気迫る叫び声だ。
前方から一人の男が、「大変だ! 大変だ!」と何度も叫びながら駆け寄ってくる。正に血眼だ。男はバートンたち二人の下にやって来ると、肩で息をしながら、「こ、こ、殺されたぁ……殺されたんだ……!」とまくし立てた。
「殺されたって、どういうことですか!」
バートンはできるだけ、落ち着いていうのを心がける。いま自分も声を荒らげたら、相手は余計に興奮して話せなくなってしまうからだ。けれど、叫ぶように訊き返してしまったことを、今悟った。
男は過呼吸で、言葉にならない。
男の息が整うのを待つ。
「ビーンさんがこ、殺されたんだ!」
男はやっと言葉を発した。興奮のあまり呂律が回っていない。まるでアルコールを取った後のように顔も真っ赤になっている。
「ビ、ビ、ビーンさんが森の近くでし、し、死んでるんだ!」
バートンが臆していたことが起きてしまった。
キクマと目を見合わせて、「どこですか!」と訊ねる。
すると男は手招きしながら、駆けだす。もう、四十過ぎだと思うが、足は速い。体も引き締まっているようだ。体を動かす仕事をしている可能性が高い。
男について走ること数分、村はずれの山に続く山道に、何かが倒れているのが見えた。地面一帯が黒ずんで、異様な空気が立ち込めている。
それは死の霧とでも例えればいいのだろか、一般の者には見えな死を何度も見てきた者だけが悟ることができる霧。
バートンとキクマはその異様なものに近づいて、それを見下ろした。赤黒い血痕が血だまりを作っており、流れ出た血はゼリー状になって、ドロドロとしている。
内臓から垂れ下がる、血液は血柱を形作り固まっている。引きつった顔は恐怖に歪み、この世のものとは思えない形相だ。一体、この男は何を見たのだろうか。
「この人がビーンさんですか……?」
案内してくれた男は真っ青を通り越して、顔面蒼白になっていた。嗚咽を漏らしながら、吐いた。汚物の酸っぱい臭いが空気に乗って、バートンの鼻に届く。
死体を見慣れていない人間がこんな惨い死体を見れば、戻すのは当たり前のことだ。バートンも新人のころは死体を見るたびに戻していたのもだ。
もう、慣れているはずのバートンでさえこの、鼻をつく臭いを嗅ぐと、つられて戻しそうになる。唾を飲みこみながら、吐き気をこらえた。
となりにいるキクマを横目で見ると、憎悪や険悪に顔を引きつらせ、アジア人ならではの低い鼻にしわを寄せていた。
キクマはバートン以上に死体を見慣れているが、憎悪に満ちた表情を浮かべている。いつまで経っても、慣れるものではないのだ。いや、慣れてはいけないのだ、とバートンは改めて思った。
男が落ち付いてきたのを見ると、「見つけられたのは今ですか……?」と、バートンは問う。男は蒼白の顔を必死に起こして、懸命に伝えようとする。
目には涙が浮かび、太い血管が見えるほど目は純血していた。胃酸が口角を伝って流れ落ちるのを見た。地面にまき散らした、内容物は朝に食べたのであろう、未消化の何かわからない物が原型をとどめたまま、吐き出されている。
「え……え、ええ……こ、この先に私のは、畑があるんです……」
吐き気をこらえながら、男は必死に答える。一言発するたびに、空っぽの胃から胃酸だけが押し上げ堪えるのに必死のようだった。
ここにこれ以上長居するのはこの男のためにならない、と思いバートンは、「とりあえず、一旦村に引き返して、警察に応援を呼びましょう」と、男の背中をさすりながらいった。
男の背中は震えていた。寒さからくる震えではない、恐怖からくる震えで、男は震えていた。ゆっくり、背中をさすりながら、三人は村に一度引き返すことにした。
立ち去り際にもう一度、亡骸を見る。腹が食い破られたように引き裂かれ、内臓が露出している。小腸や大腸が体内から出て、長いロープのように地面に触れていた。
明らかに獣による犯行だ、人間がこんなことできるはずがない。しかし、銀狼一家ではないのなら、この森に何が住まうというのだろうか、バートンは鬱蒼と茂る森に視線を移して、体の内側から込み上げる恐怖を感じた。
今も森のどこかで、バートンたちを見つめているのかも知れない、その獣への恐怖を……。




