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人に焦がれた獣のソナタ……  作者: 物部がたり
第一章 事件編 人と獣は交われない  
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file00 『獣の王』

 かつて、クレタ島というところにミノスという王がいた。ミノスはある神が持つ、一匹の白く美しい雄牛に一目ぼれし神に願った。


「この、雄牛をかしてほしい」、と。


 神は必ず返すことを約束させ、ミノスに白い雄牛をかし与える。ミノスは喜びに震えた。数年後、雄牛を神に返納するときがやってきた。


 しかし、ミノスは雄牛を返すのを拒んだ。そしてミノスは神を欺くことにしたのだ。――ミノスは偽の牛を返すことにした。


 その偽りに激怒した神は、ミノスの(きさき)パシパエに呪いをかける。それは白い雄牛と交わりたくなる、呪いだった。しかし、人と牛、交わることなどできるはずもない。パシパエの思いは募るばかり。


 パシパエは閃いた。物づくりの名工ダイダロス、という男に雌牛の模型を作らせたのだ。


 パシパエは雌牛の模型の中に入り、思いを遂げたのである。そして、パシパエは牛の頭と人間の体を持つ、半獣半人の怪物、ミノタウロスを産んだのだった。

 獣とは全身が毛で覆われた、四つ足で歩く哺乳動物のことである。


 獣とは人間として情味のない者を罵って使う言葉である。


 獣とは心のない生き物を指す。


 この、三原則を獣の定理と呼ぶ。



 薄暗い森の中を男の荒い息が響き渡った。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」


 草木が折れる乾いた音が森に広り、必死に森の中を走った。

 草木がガサガサと揺れて鬱蒼とした森の中に響き渡る。

 後ろから何かが追いかけてくる気配を男は感じた。男は振り返らずとも、それがわかるのだ。野生動物が我が身を危険にさらす、殺気を感じ取るように、男も自分に向けられる殺意を感じ取る。


 どんどん距離が詰まる。

 草木を踏み鳴らす音が近づいて来る。後ろから荒い息づかいが迫ってきた。男は手足に脂汗が浮くのを感じた。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」


 草木に足を取られながらも必死に男は走った。

 もし、捕まればどうなるか、考えるだけでも恐ろしかった。込み上げる唾液が口の中で溢れだし、溺れそうになる。唾液の一部が鼻に溢れかえった。


 飲んでも、飲んでも、とめどなく唾液が湧いた。

 仕舞に飲み込めなくなり、唾液は口角を滴り落ちる。

 みっともない姿であった。これが恐怖に陥った人間の姿なのだ。


 踏んだ木の枝がポキパキ、と鈍い音を立てる。後ろで同じように木の枝を踏み折る音が聞こえた。振り返るのが怖い。

 どれだけ迫って来ているのだろう。すぐ後ろにそいつの気配が迫っている。


 重い威圧感が背中から押し寄せる。

 押しつぶされそうだ。そのとき、男はつまずき地面に倒れ込む。膝にヒリヒリする痛みを感じた。擦りむいたのだ。

 ズボンのひざ丈がみるみる内に、赤く染まる。男は悟った、(もう走れない)と。


「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ」


 男のすぐ横で枝が折れる、ボキ、という音が聞こえた。

 男が振り向くと、そこには()がいた。

 全身硬そうな剛毛で覆われた、木のような色の獣。巨大な獣は男に歩み寄る。


 男は擦った足を引きずりながら後下がりする。獣はまるで楽しんでいるかのように前足をゆっくりと前進させた。笑っているように見えた。


 歯がカチカチと鳴り噛み合わない。

 男は震えていた。歯の根が氷ついたように感覚がない。キツツキが樹を突くときのようなカチカチ、カチカチという音が静まった森に響き渡る。


 男は必死に後ろに下がった。ゴツ、何か硬い物に男の背中に当たりこれ以上後退できない。男の後ろにあったものは大きな大木だ。


 全身から血の気が引くのを全身で感じる。息が上がり、呼吸困難に陥った。陸に上がった、魚のように男は口をパクパクとさせ空気を求める。


 前に向き直ると、すぐ目の前に――()()()がいた。手を伸ばせば触れる距離にそいつはいた。男は悟った。


(殺される)


 獣は楽しそうに、ゆっくりと近づいて来る。男の恐怖で怯える顔を楽しんでいるように、ゆっくりと近づいて来る。

 

 ガクガクと男は震えあがった。獣には心がなかった。そいつは獣の皮を被った悪魔だったから……。 

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