case156 ユアの行動
ベタニアがどこかへ行ってしまい、キクナたちは食堂に取り残されていた。何かを思い出したようで、突然消えてしまったベタニア。チトは頬杖をついた状態でいう。
「おかしな人だな」
キクナは苦笑いを浮かべながら注意する。
「そんなこというものじゃありません」
それから五分も経たないうちに、ベタニアは帰ってきた。肩で息をして、急いでいたことが一目でうかがえた。
「お待たせして、申し訳ありませんでした」
「いえ。全然大丈夫ですよ」
椅子から立ち上がり、キクナは手を振る。
「ところで、どうされたんですか?」
「ああ、これをキクナさんに渡してほしいと、預かっていたのです」
ベタニアは大事に抱えるようにして持っていたものをキクナに手渡した。
「これは……」
「キクナさんの彫刻です」
ベタニアが手渡したものは、キクナをモデルにした小さな木の彫刻だった。お世辞にも似ているとは言えないが、愛嬌と真心、そして温かみが詰まった木の人形だ。
お礼を言いたくても、もうすでにサイはいない。キクナは赤ちゃんを抱えるように、木の彫刻を抱えた。
「ありがとうございます」
「いえいえ、わたくしはお渡しただけですから」
キクナとベタニアが盛り上がっているさなか、チトとローリーはつまらなそうに頬杖をつきその光景を見つめていた。
そんな二人に気を利かせ、ベタニアは両手のひらを打ち鳴らしいった。
「それでは、子供たちの下に一度行ってみましょうか」
その話を聞くや否や、二人の顔は緊張に引きつった。
「大丈夫ですよ。みんな良い子たちですから」
ベタニアに続き、三人は食堂を出て教会の裏に出た。そこは壮大な草原になっており、沢山の子供たちがはしゃぎながら遊んでいる。
「それじゃあ、みんなに挨拶しに行こ」
キクナはチトとローリーの背後にしゃがみ、二人の背中に優しく触れた。こわばった背中を一度ブルっと、震わせてからチトはいった。
「ああ……」
チトとローリーに付き添い、キクナも草原を歩いた。風が髪をなで、サーサと草木を揺らし、これほどに過ごしやすい場所はこの世界に唯一ここだけしかないのではないだろうか、とさへ思えた。
するとシーツを広げ、おしゃべりしている子供たちを見つけた。確か……あの子たちは以前来たときにお話した……。
キクナは頭を悩ませ、少女たちの名前を記憶の奥底にある引き出しから見つけ出した。
「ファニー、リリー、アリーテ、ムニラ、ユア」
みんなの名前を呼んでキクナは手を振った。
すると少女たちは話を辞めて、辺りを見回しキクナを視界にとらえると、不審げに小首をかしげた。
「確か、あなたは――」
「キクナ」
「そう、キクナ。久しぶりね。どうしたの」
赤みがかった黒髪の少女、ユアはキクナに問うた。
「今日はね。この子たちを紹介するために、ここに来たの」
そういって、キクナを盾にして隠れていたチトとローリーを前面に押し出し紹介する。
「こっちの男の子っぽい子は、れっきとした女の子で名前をチト。でこっちの人形みたいに可愛らしい子は、チトの妹のローリーって言うの。これから、ここでみんなと暮らすから、仲良くしてあげてね」
チトとローリーは照れ臭そうに、顔を背けた。
少女たちは二人を足先から、頭のてっぺんまで見て、「わたしはユア」とユアは立ち上がり手を差し伸べた。
緊張の面持ちで、キクナはチトとローリーの対応を見る。ここで、口を挟んではいけない、二人がどうするのかを見届けなければ……。
「ユア、よろしく」
先に挨拶したのはローリーだった。
ローリーは手を差し出して、ユアの手を握り返した。
「よ……よろしく」
ローリーに続き、チトもユアと握手を交わす。
ユアは微笑みながら、握手を交わした。
キクナは肩をなで下す。
ユアに続き、ファニー、リリー、アリーテ、ムニラも二人と握手を交わした。積極的にコミュニケーションをとってくれる、ユアたちに感謝しなくてはならない。
「ねえ、よかったら、私たちと一緒に遊ばない?」
ユアの誘いに二人は答えた。一時はみんなとなじめるか不安だったけど、ユアが積極的にチトとローリーを誘ってくれたおかげで、打ち解けるのは案外早かった。
大人である自分たちがこれ以上関わるのは、野暮というものだろう。キクナとベタニアはお互いに顔を見合わせて、その場を離れた。
その日の夜、チトとローリーはすっかりユアたちと仲良くなり打ち解けていた。もうこれで、わたしがいなくても大丈夫だと思う反面、悲しくもあった。
「キクナさんは明日帰るのですか?」
広間のソファーに腰を下している、キクナにベタニアは訊いた。
「はい、二日後に用事があるので、明日帰ります」
「用事ですか」
「はい、ちょっと気になることがあって、そのことを教えてくれるという人がいるんです。だから、その人に会って話を聞いてみようかなって思って」
キクナは子供たちのアジトにいた銀髪の少女のことを思い出していた。あの少女がいった、ジョンという男は誰なのだろう。
その話を聞かされてから、キクナはずっと気になっていた。同名の人物なだけで、ジョンとは関係ないかもしれないけどもしかすると、と考えると居ても立っても居られなかった。
「そうですか、キクナさんがいなくなるとまた子供たちが寂しがりますね。以前帰ったときも、ユアちゃんたち寂しそうだったんですよ」
そういいながら、ベタニアは上品に微笑んだ。
「本当ですか。わたしのこと忘れてましたけど……」
「照れ臭かったんですよ。本当に寂しそうだったんですから」
キクナは改めて、ユアたちを見る。ユアたちはチトたちと楽しそうに語らっていた。あんな無邪気に笑っているチトをキクナははじめて見た。
「また、来ます」
「ええ、お待ちしております」
それから間もなくして、スザンナとヨハンナが帰ってきた。
「スザンナ、ヨハンナおかえりなさい」
キクナはソファーから立ち上がり、頭を下げた。
「キクナ様、お久しぶりです」
ヨハンナは羽織を綺麗にたたみながら、いった。
ベタニアもそそくさと、立ち上がって「夕食を準備しますね」と厨房に消えた。
ヨハンナとスザンナは食堂内を見回して、チトとローリーに目を止めた。
「手紙で言っていた、少女二人とは彼女たちのことですね」
「はい。わたしが捜していた子供たちは、ルベニア教会というところに引き取られていたようなのです」
ヨハンナは顔を曇らせ「ルベニア教会……」と訊き返す。
「はい……どうかされました?」
「あ、いえ、昔からルベニア教会ではいい噂を聞かないもので……。あ、でも今は大丈夫ですよ。タダイ神父という方に変わられてから、変わったと風の噂で聞きますから」
キクナの表情が曇ったと見ると、ヨハンナは慌てて話題を変えた。
「ルベニア教会では何があったのですか?」
「あ……」
隠しきれないと判断したのかヨハンナは打ち明ける。
「昔ですよ。昔……。その……昔は虐待が酷かったと聞きます……。虐待やいじめが原因で、自殺した子供も多々いるのだと……。でも昔ですよ」
「今は?」
「タダイ神父という方に変わられてから、改善しています」
不安は消えたわけではないけれど、その話を聞いてキクナは安心した。
「ところで、小さい子がローリーで、大きい子がチトでよろしいのですよね」
「はい。ちょっと、素直じゃないですがいい子たちです。色々とご迷惑をかけて申し訳ありません……」
キクナは改めて頭を下げた。
「大丈夫ですよ。喜んで引き受けさせていただきます。わたくしたちに託してください」
ヨハンナは胸を張っていった。
「ありがとうございます――」
キクナはお礼の気持ちを込めて、もう一度頭を下げた――。