case155 ここが家
森を抜ける間際、小さな銃声が闇からこだました。ニックは振り返り、すでに光すら差さなくなった深い森を見やる。
「どうしたんだ?」
チャップは足を止めたニックと同じように、立ち止まり訊いた。
「あ、いや……銃声がしたような気がして。あの狼、殺されたんじゃないかなって……」
「あいつらは銃なんかじゃあ、死ねねえよ」
答えたのはスカラだった。
銃なんかじゃ死ねない、とはどういう意味なのだろうか……?
ニックは結局、訊くことができなかった。
別に深い意味はないのだろう。ただ、狼を心配するニックを気遣い、鬱屈を和らげるために言ったのだ。最後にもう一度森を振り返り、ニックは再び歩きはじめた。
*
出てきたときと同じ、小さな窓から部屋に入った。部屋に戻ってくるや、チャップとニックはぐったりとベッドに体を預け、セレナは椅子に腰を下した。
疲労で子供たちは話をする、元気もなかった。
「遅かったな。どこまで行っていたんだよ?」
カノンはぐたりとへなる、チャップに問うた。
「森……」
「森?」
困惑気味のカノンに、セレナが代わりに答えた。
「タダイ神父が絶対に近寄っちゃ駄目だって、言ってた森があるでしょ。あそこに行ってたの」
「どうして森なんかに?」
セレナは一度、スカラの顔色を窺うように顔をそむけてかたいった。
「狼に会ってきたの……」
「狼?」
カノンはますますわけがわからないという風に首をかしげた。
「俺がいったことがわかったら、速く教会から出ていけ」
平坦な、聞く人によっては冷たく感じてしまう音程でスカラは言い、部屋から出ていった。
カノンは目の上のたん瘤でも見るように、スカラの背中を見送った。
「たく、何なんだよ。あいつは、いちいち嫌味な奴だな」
カノンは改めて、セレナを見た。
「で、あいつに嫌なことされなかったか?」
「ええ……そんなこと心配しなくても、大丈夫……」
「じゃあ、何でみんな元気がないんだよ? 狼に森って何のことだよ」
セレナは話をまとめるように数秒間押し黙り、うんとうなずいて言葉をついた。
「実は…」
セレナは見てきた非現実的な話を、事細かに説明して聞かせた。
実際に体験したニックたちでも、信じられないような話しの連続だった。
そんな話を当然、カノンが信じられるはずもなく「はあ~?」とおとぎ話でも聞くように何度も質問を繰り返した。
「つまり、あの森には狼がいて。その狼は昔このルベニア教会にいた、子供だっていうのか? 子供がある日突然いなくなるのは、怪物に変わっちまったからだって?」
すると、カノンは具現化しそうなほど勢いよく、鼻から息を吐きだし、大笑いを上げた。
「そんな話、信じてるのかよ」
カノンのその態度にセレナはムッと、肩を怒らせ言い返した。
「だって、この目で見たものッ」
「おまえら騙されたんだよ。オレたちがここに来たときから、あいつはオレたちを追い出そうとしてたじゃないか。
オレたちを追い出すために、狼のきぐるみを着て、手の込んだ嫌がらせをやったんだよ。ほら、えっと何て言ったかな。あのいつも一緒にいた女。ユシエラだったか? が、きぐるみを着てたんだって」
「本当にあの狼は本物だった」
セレナはすかさず言い返す。
「それじゃあ、このときのために狼を仕込んでたんだ」
「野生の狼をどうやって、仕込むっていうのよ? サーカスの調教師でもあるまいし。そんなことしたら、すぐに噛み殺されてしまうわよ」
「どういう手を使ったのかは知らないが、とにかく狼を仕込んだんだろうよ」
「そんなの、答えになっていないじゃない」
セレナとカノンの論争が激しくなりはじめたとき、チャップがけんかの仲裁に入った。
「もう、その辺にしとけ。外に聞こえる」
カノンとセレナは最後まで、にらみ合ったまま同時に首をそむけた。
「これから、あたしたちはどうすればいいの?」
セレナは「何が正解なのかもうわからない」と言いながら、椅子に腰を落とした。
「スカラのいうことを信用しないわけじゃないけど、やっぱり俺たちはここが家なんだよ。俺たちの居場所はここなんだ。もう、人の物を奪うだけの生活じゃない」
考え深げに、ミロルがいった。
「どんな選択をしようと俺たちはおまえに従う」
ミロルの言葉で踏ん切りがついたように、チャップはうなずいた。
「スカラが何と言おうと、俺たちはここに残ろう」
セレナは何かを言いたそうに、あごを噛みしめていた。
ニックもここから逃げようと言いたかった。けれど、自分の意志を伝えることができなかった。ここにいると、嫌な夢を見る。
それはまるで、この場所から今すぎにでも立ち去れと、本能が訴えかけているかのように。乳歯が抜けて、永久歯が肉を突き破るときの、不快感にも似た気分だった。
けれど、チャップたちがここを気に入っているというのなら、ニックは従わないわけにはいかなかった。本能を選ぶか、仲間を信じるか――。ニックは選択に迫られた。