case151 家族だった、獣
狼は針孔のように細めた瞳孔で、ニック、セレナ、チャップを見つめた。灰色というよりは少しくすんだ銀色のような体毛をしており、風が吹き、枝の間から光が差し込むと、銀糸のように輝いた。
狼は飼いならされた犬のように、大人しくスカラのとなりに座っている。狼がこれほどまでに人間に慣れていることも驚きだったが、それよりもスカラが言った言葉の方が衝撃を受けた。
「そいつらが、おまえの家族だったって、どういうことだよ……?」
チャップは狼を興奮させないように、小さな声で訊いた。
狼の頭をなでながら、スカラは悲しみを内に秘めたような表情をする。
「無理に信じろとはいわない――」
スカラは信じてもらえないことを前提にいう。
「こいつら、昔俺と一緒にルベニア教会で暮らしていた人間だったんだ。今のこいつらに、人間だったときの記憶をどこまで憶えているのかはわからないが、俺の言葉を理解していることは疑いようがない」
スカラは三人の眼を順番に見つめながら、真っすぐにいった。
二匹の狼は心配するように、スカラを仰ぎ見て「フゥーン」と鼻笛を吹いた。
「は? 何言ってんだよ……。確かに、狼がこれほど人に懐いているのは驚いたけど、冗談ならもっとましな話を考えろよ……」
チャップは身振り手振りはするものの、一歩も立ち位置を動かなかった。その場所を一歩でも動いてしまえば、獲物と認識されてしまうと思っているように。
「信じるも、信じないもおまえらの勝手だ。なあ、ニック。おまえはどうだ。俺の話を信じるか?」
チャップに向けていた視線を今度はニックに向けて、スカラはいった。
ニックは体をこわばらせ、狼とスカラを見る。
「おまえも見ただろ? マークとセーラーを」
あまりの出来事の連続に頭が追いついていない。
頭がオーバーヒートしそうだった。
「あの日、おまえはあの光景を見たはずだ」
あの日……?
ニックは混乱する頭で考える。
「あの日の夜、聖堂で見たはずだ。マークとセーラーがどうなったかを」
ニックは思いだした。
あの日、見た夢のことを。
「だ、だけど、あれは夢だった……」
「いや、あれは夢じゃない。現実に起きていたことだ」
ニックは現実を否定する世捨て人のように、首を振った。
「だけど、目覚めたときはベッドで眠っていた……」
「俺がおまえを担いで、部屋まで運んだからだ。俺はあの日、とびらのすき間を覗き込むおまえを見ていた」
ニックは後下がりして、叫んだ。
「そんなの嘘だッ!」
狼は耳をピンと立て、飼い主の顔色をうかがう飼い犬のようにニックとスカラの顔を見た。
「嘘だと思うならそれでいい。信じるも信じないも、おまえ達が決めることだ。だけど、もし俺の話を信じてくれるのなら、早くあの教会から逃げることだ。あそこはおまえたちのいるべき場所じゃない」
そこまで話を聞いていたセレナが、ニックとスカラの話に割って入る。
「ちょっと、ちょっと、待って……。つまり、その……。あたし達もこの狼みたくなっちゃうってこと?」
「そういうことだ。俺もいつか、こうなるかもしれない」
「人間が狼になっちゃうっていうの?」
「ああ、あの人たちが月一回やっている検診があるだろ。問題なのは検診ではなく、打たれる注射だ。おまえ達も打たれたはずだ」
「ええ……」
「原理はわからないが、あれには人間をこいつらのような狼に変えてしまう、何か不思議な力がある」
スカラの話は荒唐無稽だった。
けれど、セレナは否定することなく質問をぶつける。
「そのことがわかっているのに、どうしてあなたは逃げないのよ?」
「俺はあそこが家だからだ。物心ついたときから、ずっとあそこで暮らしてきた。籠の鳥は外の世界では生きられないんだ。それに……俺には護りたい者がいる……」
スカラはうつむき、手のひらを白くなるほど強く握りしめた。
「だけど、おまえたちは外でも生きられる。おまえたちは今までだって、立派に生きてきたんだから。おまえ達は部外者なんだよ。それがわかったら、さっさと出ていけ」
スカラはわざときつい言葉を選んでいるかのように、セレナを突き放しいった。
「そんな言い方はないだろッ。そんなこといって、ただ俺たちが目障りだから追い払いたいだけじゃないのか?」
スカラは不敵に笑い「それじゃあ、見せてやるよ」と手を突き出した。
「な……何だよその手は?」
チャップはまるで拳銃を向けられたように固まった。
しかし、スカラは何も言わず手のひらを突き出したまま、引っ込めようとしない。
三人が不審にその手のひらを見つめているさなかにも、変化は起きていた。その変化を見て、息をするのも忘れてしまったのようにスカラの手に惹きつけられる。
スカラの手のひらが脈拍うったと思うと、血管が浮き出し。指先が硬直した。硬直した指先が、正確には爪がゆっくりと伸びはじめている。
数秒も経たないうちに、スカラの爪はナイフのように鋭く、怪しい光を放った。三人は言葉を失い、ただその光景を見つめていた。
「これが、証拠だ。俺も長くはないだろう。近いうちに俺もこいつらのようになっちまう。だが、おまえたちはまだ間に合う。こうなりたくなかったら、逃げることだ」
そのとき、狼は耳をピクピクと動かし些細な音を聞き取るように顔を高くあげた。
「どうした?」
チャップはいった。
「誰か来る」
スカラは囁くような小さな声で答えた。
「隠れろ」
スカラはそういって、頭を伏せた。
それから間もなく、チャップたちの耳でも聞き取れるほど近くから、草をかき分けるような音が聴こえてきた。慌てて、三人もその場にしゃがんだ。
「こんな森の中に人がいるの?」
セレナは小さな声で誰にともなく訊くと、スカラが答えた。
「猟師かもしれない」
狼は威嚇するように、牙を剥きだしている。
「猟師……?」
「ああ、きっとこいつらを殺しに来たんだ……」
猟師たちは立ち止まり、何かを話し合っている。
話し合いがすみ、四人一組に別れた。
「どうする?」
「森を出よう」
スカラがいった。
「このまま出て行って、道に迷ったことにでもした方がよくないか? 下手に動いて、撃たれたら堪ったもんじゃないぜ」
「おまえは馬鹿か。そんなことして、あいつらが不審がり間接的にでも神父に知られたらどうする?」
「そ……それも、そうだな……」
チャップは恥ずかしそうに、顔を伏せた。
そのとき、狼が動いた。
「あいつらの注意を引いてくれるみたいだ。その隙にこの場所から離れよう」
スカラはしゃがんだ態勢のまま、草むらを進みはじめた。
「あの狼、殺されちゃうわ……」
セレナは心配そうに狼の後ろ姿を見送った。
「大丈夫だ。あいつらは殺されたりしない」
スカラの絶対の自信を込めて、答えた。四人は再び森を進みはじめた――。