case146 一月後に
一瞬温かみにも似た、懐かしい感覚が胸を撫でたがキクナは慌てて自分を抑えた。この少女は何を言っているのだろうか……? 同じ名前の人などこの世にはたくさんいるものだ……。
ジョンという名前の人など沢山いる……。
キクナはそう自分を納得させようとした。
けれど、少女が語るジョンの姿は間違いなく、彼の特徴をとらえていた。
「ジョンっていう人はね。キクナに会って、今までのことをすべて話したいって言ってたのだけど、どうなのかしら? ジョンのいうキクナってあなたのことかしら?」
レムレースは底なし沼のような瞳でキクナを見すえた。
何もかもを見透かしているような、底の知れない眼。
キクナはいつの間にか、少女の眼に魅せられていた。
「どうしたの、深刻な顔して?」
少女はキクナの顔を下から覗き込んだ。
「もしかして、さっき言っていた心を読んでみたかった彼氏ってジョンって名前の男なのかしら? 丁度よかったじゃない、お互いに会って腹を割って話した方が、断然お互いをわかり合えるわ」
人差し指を唇に添えて、レムレースは小首をかしげた。
「ここで、キクナと出会えたのは神様のめぐりあわせよ。一度会ってみない? いつ出会えるかはわからないけど、わたしの家にたまに遊びにくるのよね」
キクナは引きつった顔で少女を見た。
この少女はいったい何者なのだろうか……。
恐怖ともいえる感情がキクナの心を蝕んだ。
ジョンとはどういう関係なのだろう?
通常ならそのような話を真に受けるわけがない。偶然が過ぎている……。けれど、完全に否定しきれない自分がいるのだ……。
あんな一方的に出ていったジョンにもう一度出会える……。
自分から離れていった、話を聞けるかもしれない……。
月に一、二度まとまったお金を持って帰ってくる。
自分の素性を何一つしゃべろうとしなかった……。
いつも悲しい顔をしていた……。
自分と付き合うと、不幸になるといった……。
それはどういう意味だったのだろうか。そんな小さな、小さな疑問が蓄積され、キクナの心には山ができていた。そんな疑問が少女の言葉により、切り崩されようとしている。
「あなたは誰なの……」
「だから言ったじゃない。わたしはレムレースだって」
少女は背中を向け、最後にいった。
「もし、ジョンっていう男に逢いたいのなら、一月後ここに来て。そしたら、わたしがジョンに逢わせてあげるから」
不思議な少女レムレースは疑問だけを残し、廃墟をあとにした。キクナは少女が角を曲がるまで、その背を見つめていた。すぐに少女の後を追ってみたが、路地にはもう誰もいなかった――。
これは、神様がわたしに与えた最後のチャンスかもしれない。
今度はこっちから、ふってやる――気持ちに折り合いをつける、最後のチャンスなのかもしれない。今度こそ、こっちから完膚なきまでに、ジョンを振る、最後のチャンスなのかもしれない、と。
*
レースカーテン越しに、夕日が差し込み室内を橙色に照らした。
机に座った、男の背を柔らかい光が照らし、ソファーに座った少女は黒い影になった男に視線を向ける。
ノスタルジックな雰囲気の中、銀髪の髪を三つ編みにした少女と、黄金色の髪を流した男は何やら語り合っている。
「どこに行ってたんだい?」
黄金色の髪の男、ラッキーはソファーに座りテディーベアを弄ぶレムレースにいった。レムレースは眩しそうに、目を細めラッキーに強くいう。
「眩しいから、カーテンを閉めて」
「ああ、これは僕としたことがうっかりしていたよ」
キャスターのついた椅子を少し動かし、ラッキーは立ち上がることなくカーテンを閉めた。
「これで眩しくないだろ。で、あまりおかしなことはしてないだろうね?」
「あなたはいつもそうね。人が帰って来るなり、問い詰める」
レムレースは膨れたように、顔を背けた。
「べつに問い詰めているわけじゃない。ただ、あまりおかしな行動をされると処理が大変なんだよ」
「例えば?」
「例えば、人を襲うとか、ね」
妻の顔色をうかがう旦那さながら、ラッキーはレムレースの顔色をうかがいいった。
「それは仕方のないことよね。生きている限り、何かを食べなきゃいけないのだから。あなた達は家畜を、わたしの場合人間なだけ」
ラッキーは大きなため息をついた。
「それが、問題なんだよ……。どうして人間じゃなきゃいけないんだ。旨い肉ならいくらでも用意させてやるのに。通常の料理も、食べられるのに、なぜ人肉じゃないと満たされないんだ?」
すると少女もラッキーを真似てか、大きなため息をついた。
「わたしは別に人間じゃなくてもいいの。だけど、お姉さまが人間じゃなきゃダメだっていうのよ。人間の肉を食べると、その人の思考、能力、知識を自分の中に取り込める気がするの」
「本当にそのお姉さまも困ったものだね。できるだけ、大事にはしないでくれよ。ただでさへ、警察が嗅ぎまわっているんだから」
「わかってるわよ。だから、月に一度くらいしか食べていないじゃない」
ラッキーは頭を抱えずにはいられなかった。
*
「おかえりなさい」
二人は息を合わせたように、キクナを出迎えた。
「ただいま」
感情を表に出さないように気を遣ったつもりだが、子供に偽りは通用しなかった。
「どうしたの? 元気ないじゃん……」
チトは心配そうに小首をかしげる。
「ごめん。そう見える……。別にどうもしてないわよ」
「今日もいなかったんだ」
「ああ、そのことなんだけど。チャップって子たち、ルベニア教会ってとろこに引き取られたって」
突発過ぎて、チトはわけがわからないという風に眉間に皺を寄せた。
「は? なんでそんなことわかるの? 誰から聞いた」
「いや……今日あそこに行ったら、レムレースっていう女の子がいて……そんなことを言ってたから」
「レムレース?」
チトは首をかしげた。
「綺麗なドレスを着てたから、たぶんいいところのお嬢さまだと思うんだけど」
「どうして、そんないいところのお嬢さんが、あんなごみ溜めみたいなところにいたんだよ」
「ごみ溜めって……。いや、何でも弟がそこにいたっていってたけど……」
売り言葉に買い言葉というように、キクナが言ったことに片っ端からチトは質問を挟んだ。
「どうして、そんないいとろこのおぼっちゃまが、あんなごみ溜めに暮らしてたんだよ?」
「ごみ溜め、ごみ溜めって。わたしあの場所好きよ。ごみ溜めなんかじゃないわ。それに色々と複雑なのよ。わたしたちが思っているよりも、ずっとね。
とにかく、あそこに住んでいた子供たちはルベニア教会ってところに引き取られたの。だから、もう心配ないわ」
けれどチトは納得がいかないらしく、しばらく無言になってしまった。仏頂面で明後日の方を向く、チト。
「それじゃあ、子供たちの問題も解決した事だし。近いうちにマリリア教会に知らせに行こっか。あなた達も紹介しなきゃいけないし」
予想とはだいぶ反しているけど、子供たちが違うところで幸せにやっているのならそれでいい。キクナはチトとローリーを見て微笑んだ。