case145 キクナとレムレース
風が引き抜け、花壇の前に佇む少女の髪が流れた。銀色の長髪はキラキラとまるで水面が太陽をうけて輝くように波打った。
しばらく花壇を見下ろす少女を観察して、キクナは思った。彼女は誰だろう? と。ドレスのような黒い服を着ており、明らかにストリートチルドレンには見えなかったからだ。
誰が見ても皆が口をそろえてこう言うだろう。
“良いところお嬢さん„だと。どうしてそんな子がこのようなところにいるのだろう? キクナは少女に歩みより、声をかけた。
「花は好き」
すると少女はゆっくりと振り返って、針の穴をみるように目を細めキクナをじーっと見た。引きつった笑顔を浮かべて、キクナは小首をかしげる。
「少なくとも人間よりは花の方が好きよ」
と少女はちょっと小馬鹿にするような表情でいった。
「そうなの……」
思いもよらない返答をされて、キクナは返事に戸惑った。見た目は十二、三ほどに見えるがやけに大人びたしゃべり方をする子だった。
そのときふとキクナは、この少女をどこかで見たことがあるような気がした。どこで見たのだろう……? 気のせいだろうか……?
「その花はあなたが植えたの?」
紫や青い花弁をしたバンジーを指さして、キクナは問うた。
「いえ、わたしはただ見ているだけ」
「そうなの……」
廃墟に一度視線をやって、改めて少女を見る。
この少女はここの子供たちと、どういう関係なのだろう?
この場所を知っているのだから、何かしらの繋がりがあるはずなのだろうけど……?
「あなたは――」
口を開いたとき少女はキクナの言葉をさえぎり、「レムレース」と割って入った。
「レムレース?」
呪文を唱えるようにキクナが反復すると、少女は言葉を補修した。
「名前」
「ああ、名前だったのね。珍しい名前ね」
「変かしら?」
「いえ、別に変じゃないわよ。わたしはキクナ。キクナ・ランドーズ」
キクナも名乗った。
「じゃあ、改めて。レムレースはここにいる子供たちと知り合いなの?」
人気がなく颯然とした廃墟を指さして訊いた。
「知り合いではないわね。だけど、知り合いともいえるかも知れない」
またも返答に困りキクナは苦笑した。
「ん? つまり……どっちなの」
「ここにはわたしの弟が住んでいたの」
その返答を聞いてキクナはまたしても、クエスチョンマークが頭を埋め尽くした。
「えっと……つまり、どういうことかしら?」
レムレースはレンガの積み上げられた花壇に腰を下した。綺麗なドレスが汚れるのを気にしている様子はない。
「話せば長くなるわね」
「実はね。わたしここに住んでいた、はずの子供たちを捜しているの」
キクナは打ち明けると、少女はまたも小馬鹿にするようにいう。
「知ってるわ」
「え? なんで……」
豆鉄砲を喰らった鳩のように一瞬驚いたが、すぐにそんなはずはないと思い直した。
「フフフ。冗談に決まってるじゃない。人の心なんて読めないわよ」
手のひらで口を隠して、レムレースは笑った。少女のその態度にキクナはむかっ腹を覚えたが、息をついて心を落ち着かせた。
それにしてもこの少女は人を小馬鹿にしたような口を聞くものだな、と思ったときふと閃いた。
このレムレースという名の少女は確か――ひと月近く前、黄金色の髪色をしたキザな男と共にいた少女ではないか。改めてレムレースを見てみると、間違いなくあのときの子だと確信した。
「キクナは人の心を読んで見たいと思う?」
「人の心を?」
立ったまま手のひらにあごを置いて、考える人のようにキクナは心が読めたらどうなるか考えた。するとジョンのことが頭をよぎった。
確かにあの男の心は読んでみたい気もするが、人の心を読む行為は他人の日記を勝手に見るようで罪悪感を覚えた。
「わたしは人の心を読んでみたいとは思わないわ。確かに一人だけ何を考えているのか、知りたかった人はいるけど、それは心を読まなくてもできることだもの。
人の考えていることが知りたければ、ちゃんと話をしてコミュニケーションをとることで、心を読むまではいかなくても、考えていることが何となくわかるような気がするの」
「それが正解よ。他人の考えがわかってしまったら、争いが絶えないもの。人間には方便が必要なのよ。だけど、一人だけ心を読んでみたかった人がいるのね」
キクナはギクッと肩をこわばらせた。
「ま、まあね」
「男でしょ」
「違うわよ……」
するとまたレムレースは小馬鹿にするように笑った。
「あなたはわかりやすい人ね。ここまでわかりやすい人には出会ったことないわ」
なぜだかわからないが、キクナは馬鹿にされているようでいい気はしなかった。このままではこの少女のペースだ。キクナは話をそらす。
「で! 弟が住んでいたってどういうこと?」
「言葉通りの意味なのだけど。わからない?」
「そんなんでわかる訳ないでしょう。こういうとき人の心が読めればなって思うわね」
キクナは眉間をピクピクさせながら怒り笑いを浮かべる。
「まあ色々あるのだけど、ここに私の生き別れの弟が住んでいたの」
「生き別れ……」
「ええ、あの子は変わってしまって、わたしを捨てて出て行っちゃったのよ」
「だけど、弟がここに住んでいることを知っていたのなら、会いにくればよかったじゃない?」
「今出会っても、あの子はわたしのもとに戻って来てくれないのよ。わたしはあの子に嫌われてるみたいだし。あの子は記憶をなくしているの。だから今、記憶を思い出してもらうために、あるところで治療を受けてもらっているのよ。すべてが整ったときに改めて出会うの」
レムレースは干渉にふけるような湿り気のある声でいった。キクナは九割がた意味がわからなかったけど、弟を想う少女の気持ちには共感できた。
「色々複雑なのね……それじゃあ、ここに住んでいた子供たちは? どこに行ったのかしら」
「ルベニア教会ってところに今はいるわね。そこで楽しく暮らしてるんじゃないかしら」
「ルベニア教会……その話本当なの?」
「嘘をついてどうするの」
「疑ったんじゃないの。ごめんなさい。ただ、あまりにあっさりと解決してしまったものだから。拍子抜けしてしまって……」
キクナもしばらく干渉にふけった。
「そうか、そうなのね……。カノンって子も、ニックって子もちゃんと温かい毛布で眠れて、美味しいご飯を食べられて、もう人の物を盗んだりしなくていい生活を送れるようになったのね――」
そう思うと、涙があふれてきた。キクナはそう――、そう――、よかった、と一人ごちりながら何度もつぶやいた。そんなキクナを横目に見てレムレースは立ち上がる。
「結構話し込んじゃったわね。時間を取らせてごめんなさい」
キクナは少女に詫びた。
別れを告げようとしたさなか、レムレースは思いだしたようにいった。
「あ、そういえば、あなた。キクナって名前でしょ。あなたに会いたいっていう人を一人、知ってるのだけど」
上目遣い気味に、キクナを見上げながら、少女はいった。
「わたしに会いたい人? どうして、あなたがわたしに会いたい人なんて知ってるの?」
「わたしの知り合いに、暗くて、無口で、自分のことをジョンって名乗る男がいるのだけど。
その人が漏らしていたの、キクナに会いたいって? あなたキクナでしょ。もしかして、あなたのことをいっているんじゃないかなって、思ったのよね」
キクナは意味がわからず、思考が停止した。
この少女はジョンのことを知っている……。
少女がいう、ジョンという男は間違いなく、キクナの元恋人ジョンの特徴と一致していた……。