case142 ランボル隊長
中はカーテンを閉め切っているのか、暗かった。
とびらのすき間からのぞくぎろりとした眼だけが、ギラギラと鋭い光を放っている。猫のように光る目がサエモンを見上げた。
「突然押しかけて申し訳ありません。この家にランボルさんという方はいらっしゃいますでしょうか?」
警戒が少し解けたのかとびらが顔一つ分ほど開き、しわがれた声が告げた。
「ランボルは儂だが」
「あなたがランボルさんでしたか。申し遅れました、私はサエモン・テンと申すものです。畑仕事をしていた方に、森に詳しい人がいるか訊いたところ、あなたが大変森に詳しいと」
「詳しいといっても、もう何十年も森には入っていない。森は一日見ない間に姿を変える。何十年も入っていない儂には未知の世界になった。もう儂は森のことを何も知らない」
ランボルがとびらを閉めようとしたとき、サエモンはとびらのすき間につま先を挟み、「森の獣のことで相談があるのです」と告げた。
ランボルはつま先を見下ろし、その猫のようにギラつく目で再びサエモンを見た。
「あんたもあの化け物に襲われたのか。それは災難だった。あの森に近寄らない限り、下界にあいつが下りてくることはない。忘れることだ」
「その言葉を聞く限り、あなたはあの森の怪物を見ているのですね。実は私の部下があの森で、その怪物に襲われたのです。
このままほっておけば、また新たな被害者が出るでるかもしれません。今私の部下たちがその怪物を討伐しようとしている。あなたには森の案内をしてもらいたいと思い、やって来たのです」
「本気か?」
「本気です。あなたは猟師だという話を聞きました。あなた以上にあの森のことを知っている人はいないでしょう?」
しばらくランボルは押し黙った。
そしてサエモンのつま先にかかっていた力がゆっくりと弱まり、とびらが開く。
ランボルの全貌があらわになった。
想像よりも高齢で、長年紫外線に当たっていたためか顔には深い皺と、濃いシミが熟練の雰囲気をかもし出していた。
「案内してやってもいい、しかし儂は何もできんぞ」
歳のころは八十代に届こうかというのに、背筋は伸び、長年鍛え上げられてきた体はこの歳になっても衰えを知らなかった。
上下共に迷彩服を着用して、まるで軍人のようにサエモンには映った。
「はい、私たちが道に迷わないように道案内だけしてくれれば、あとは私たちが怪物を討伐します」
その話を聞くとランボルは鼻を鳴らした。
「あんた一人か?」
「いえ、村の門外で待っています。人数は私を入れて十人です」
そういうと、ランボルはサエモンの姿を足先から順に眺めまわした。
サエモンは首をかしげ、「どうしました?」と困り気味に訊いた。
「あんた死にたいのか? そんな恰好で森に入るつもりか」
そう言われサエモンは自分の衣服を見下ろした。
革靴にブルーブラックのトラウザーズ。同じくブルーブラックのスーツの下に染み一つない純白のシャツを着ていた。
確かに言われてみれば、何の準備もしていなかった。
「ああ、突然の知らせで着替える時間がなかったもので……」
サエモンは恥じらうように頭に手を置いた。
「ちょっと待っていなさい」
そういってランボルは家の奥に引っ込んだ。
ランボルを待つ間、サエモンは村全体を見渡した。
家の前で椅子に座り日向ぼっこをしているおばあちゃんと、目が合いサエモンは軽く頭を下げる。おばあちゃんも聖母のように穢れのない微笑みを浮かべ、頭を下げ返した。
「これを着なさい」
サエモンは迷彩服の上下と、スパイクのついた靴を渡された。
「ありがとうございます」
そういって、言いにくそうにサエモンは続けた。
「もしよろしければ……あと二人分同じものはあるでしょうか?」
その話を聞き、ランボルは「あんたらは何しに来たんだ」と呆れた声でいった――。
*
車のボンネットに体を預け、キクマは流れる雲を見ていた。
耳を澄ましていると、ふと二人分の足音が近づいて来ていることに気付き、顔を横に向けると、迷彩服に身を包んだ見覚えのない人物が近づいて来るのが視界に入った。
しばらく目を凝らして見ていると、見覚えのない人物だと思っていた奴がサエモンであることに気付いた。
「いったいその恰好はどうしたんだよ?」
キクマは体を起こし、サエモンと向かい合う。
「ランボルさんにかしてもらいました」
「ランボルさん?」
キクマが質問口調で言い返すと、サエモンは横に一歩動き「この方が森を案内してくれることになりました」と同じく迷彩服を着た老人を紹介した。
「何言ってんだよ……じいさんじゃねえか」
キクマがそう言いながら、サエモンを見ると彼は鋭い眼つきで睨み返してきた。
「この方はこの村で一番森のことを知っているのです。それとあなたもそんな服を着ていないで、これに着替えなさい」
そういってバッグをキクマに押し付けた。
「これは何だよ?」
「迷彩服です。これはウイックさんに」
そういってウイックにも同じバッグを押し付けた。
「べつにこの服のままでいい」
キクマはバッグを地面に置いた。
「森に入るのだろ」
どこからともなくしゃがれた声が聞こえたと思うと、声の主はランボルという老人だった。
「ああ」
キクマは不良少年のような口調で応じると、「森を舐めているのか。そんな恰好のままで森になど入ろうものなら、真っ先に死ぬぞ。その服に着替えるんだ」と有無を言わさぬ説得力の塊のような声でいった。
普段憎まれ口をたたいている、キクマでもこの老人には逆らうことができづおずおずとしたがった。
「もう、昼を過ぎている。せいぜい森に入っていられるのは二時間ほどだろう。二時間したら、何があろうと森を出る。従わない者は置いて行く。わかったな」
屈強な男たちを前にしても怯むことなく、ランボルは慣れた様子でいった。
その姿には無駄がなく、洗礼され熟練の兵士のみが出せるオーラすらまとっていたのだ。みなは敬礼して、ランボルの言葉を聞いた。ランボルを先頭に樹海の道を進みはじめた――。