case141 獣の森
辛辣な表情をした男四人が、狭い空間にすし詰めにされている光景は決して見やすいものではなかった。
男たちが放つ重苦しいオーラで、車の中の空間が蜃気楼のように歪んで見える。
後部座席にはウイックとキクマがだらしなく座り、助手席にはサエモンが座り、紙の束をまとめた書類を読んでいる。そんな人物たちに挟まれて、プヴィールは息苦しさを感じた。
「負傷者は何人出ましたか?」
サエモンは書類をめくる手をとめて、プヴィールに問う。
「あ、はい。負傷者は二人。死者が一人です……。獣に襲われたと……」
「それはほっておけませんね。人間を襲う獣がいるなど。ほっておけば味をしめた獣はまた人を襲うでしょう」
サエモンは鼻から息を吐き、また書類に視線を落とした。
「はい。――何でも地元では以前から巨大な獣が目撃されていたそうです。何度か地元の猟師が獣を討伐しようと、森に入ったそうですが発見できなかったと」
「その森とは前方に見えているあの森ですか?」
なだらかな田舎道を進んでいると、突如樹々が生い茂った森が見える。ジャングルのように樹々が茂り、昼だというのに森の周辺は鬱蒼としていた。
「はい、あそこの森に隠れ、ルベニア教会を張り込んでいました。この辺りはあの森しか姿を隠せる場所がないですから」
そういってプヴィールは少し離れたところに建つ、教会をあごで指示した。身を乗り出して、サエモンはルベニア教会に視線を向ける。
「あの教会ですか。教会の近くの森に人を襲う獣が出る、何か関連がありそうですね。一度教会に行って話を聞いてみても良いかもしれません」
「え……まだ捜査令状が出ていないのでは……?」
「ええ、まだ出ていません。しかし話を聞くだけなら良いでしょう。安心してください、気取られませんから」
プヴィールとサエモンが話し込んでいるところに、キクマが割って入る。
「口調に似合わず、おまえは意外と積極的なんだな」
「そうですか?」
「どちらかというと、積極的な性格だよ」
草原や畑の続く、田舎道を進んでいるとスーツを着たこの場所には似つかわしくない男たちが座り込んでいた。
「あ、いました」
そういってプヴィールは男たちのとなりに車を止める。
男たちはボロボロになっていた。
衣服は土と埃に汚れ、鋭利なものに引っかけたようにズタズタになっていた。
「お呼びして申し訳ありません」
スーツの男たちは一斉に起立し、頭を下げた。
「いえ、構いません。それで亡くなったのは誰ですか?」
「ヌーベルです」
スーツの男たちの表情は沈んでいた。キクマはこのしんみりとした空気に耐え切れず、視線を横にやるとサエモンは表情こそ変わらないがその瞳からは悲しみが読み取れた。
「そうですか……。ヌーベルくんの遺体は?」
「首を噛まれて即死でした……遺体は食われることなく、獣は立ち去ったので、回収しました。遺体はそのまま、家族に引き渡されました。ズタズタにされなかったのは、せめてもの救いです……」
スーツの男は声帯に針でもつっかえているかのような、痛みを伴う声で告げる。
「いったい何があったのですか?」
「我々があの森で張っていると、突如背後から狼のような獣が襲ってきたのです……。
我々は武器を所持していなかったため、逃げ出すしかありませんでした……。逃げ遅れたヌーベルが襲われている隙に……我々は逃げました……本当に申し訳ありません……」
サエモンは言葉をつくスーツの男の肩を叩き、言う。
「誰でもその場にいれば、あなた達と同じ行動をとったでしょう。亡くなった、ヌーベルくんには悪いですが、そのおかげで多くの命が助かったのです……」
そう言ったものの、サエモンが手を強く握りしめているのをキクマは見逃さなかった。
「今は嘆いているときではありません。このままその獣をほっていれば、更なる被害者が出るでしょう。新たな被害者を出さないために、私たちがその怪物を討伐せねばなりません――」
スーツの男は言葉を飲み込んで、強くうなずいた。
「特殊部隊を呼んでいます。もうつく頃でしょう」
サエモンがそう発言して間もなく、車通りのない田舎道で車のエンジン音が聞こえはじめた。
「到着したようです」
そういって小高い丘からあらわれた、黒い車を見た。
もっと装甲車などであらわれると思っていたが、何の変哲もないランチアの車であらわれた。
田舎道の真っただ中に停車すると、中から訓練された軍人の動きで屈強な男たちが八人あらわれた。その男たちはサエモンの前で敬礼すると、腕を後ろで組んで言葉を待つ。
「仲間が一人殺されました。犯人は獣です。今回の任務は仲間を殺した獣の討伐です。その獣をほっていれば、更なる被害者が出るのは目に見えたこと。
災いの芽は速い段階で摘まなければなりません。あなた達の活躍にかかっています」
サエモンは八人の男を前にしても臆する事無く、まくし立てた。
それはまるで戦士を鼓舞する、指揮官のようにキクマには見えた。
「あなたが襲われた場所まで案内してもらえますか?」
サエモンはスーツの男にいった。男は一瞬恐怖に顔を歪めたが、すぐに元通りの表情に戻り合意する。
男は森を少し入った木陰に兵士たちを導く。とても大きな森で、鬱蒼とした樹々が太陽を遮断し、辺りは夜のように暗かった。
道に迷えば、二度と外には出られないのではないだろうかと危惧してしまうほどだ。
「ここから双眼鏡で、教会を見張っていました。すると突然、巨大な獣が背後に現れ、私たちを襲ったのです……」
「これほど深いと、奥に踏み込むのは危険ですね」
サエモンはいった。
サエモンがいうように、森の中はどこもかしこも同じようで特徴と呼べるものはない。地面をおおう苔に足を取られ、革靴では歩行すら困難だった。
「この森に詳しい人物を見つけ、案内役についてもらう必要があるかもしれません。たしか、以前にも猟師たちがこの森に入ったという話を聞きましたが、そのときの人物を見つけ出してみましょう」
*
サエモンたちは一度森を抜け、周辺の村を探した。
森から少し離れたところに、小さな村があった。人口数十人ほどの本当に小さな村だった。
麦わら帽子をかぶり畑仕事をしていた、初老の男性にサエモンは話かける。
「あの、つかぬ事をお聞きしますが、ここから見えるあの森に怪物がでるという話を聞いたのですが」
初老の男性は顔を上げ、首にかけていた手拭いで額を拭く。
「ああ、そんな話を聞くよ。森に入った猟師が何人か、襲われて死んだ人もいる。まあ、森から出てくることはないから、森に近づきさへしなければ心配することはないんだけどね」
そこまでいって、初老の男性は「あなたは?」とサエモンとサエモンの背後に止まっている二台の黒い車を交互に見た。
「申し遅れました。わたしはあの森の怪物を討伐するために派遣されたものです。しかし森が深すぎて、誰か森に詳しい人を捜しているのですが。森に詳しい人を知らないでしょうか?」
「森に詳しい人ね」
鍬の持ち手に体重をかけた態勢で、初老の男性は「その獣が出るって噂が広まってから、猟師を辞めたんだけど。そこの家に住んでいる、ランボルさんっていう方は森のことをよく知っているよ」と赤茶色の外見が人目を引くロッジを指さした。
「その方は森の地理をよく理解しているのですね。ありがとうございました。一度話を聞いてみます」
サエモンは頭を下げて、ロッジに歩き出した。
「あ、だけど、その人もう結構な歳だよ」
いい忘れたように、初老の男は言葉をついたがサエモンには聞こえていなかった。サエモンは三段の短い階段を上がり、ロッジの玄関の前に立つ。
金色のメッキを施した、リング状のシンプルなノッカーをにぎり三回ノックする。しばらく待っていると、足音がゆっくりと近づいて来るのがわかった。
サエモンは一歩下がり、とびらが開くのを待つ。
ガチャリと開いたとびらのすき間から、魚のような大きな目があらわれた――。