case131 袋の鼠
悲鳴が轟いた。大地を揺るがさんばかりの恐怖が、光の速さでホールに伝染してゆく――。暗黒に包まれたホールは慌てふためく人々の、悲鳴と足音でごった返した。
「わざわざあなたが絶好の機会を作ってくれたのね」
一メートル先も見えない暗黒から、透き通る少女の声が聞こえてきた。
「本当のことを言えば、あなたを殺したくないのよ。だってあなたのことが好きだったし。あなたのことを応援していたから」
少女の履いていたヒールの靴がカツカツとこちらに近づいて来る気配を感じ、ジョンは一定の距離を開けた。
「それじゃあ、見逃してくれるのか?」
ジョンは苦笑いを浮かべながら、問うてみる。
「いえ。見逃してあげたいのは山々なのだけど、あなたのことだからラッキーをまた殺しに来るでしょ」
「手を引くと言ったら、見逃してくれるのか?」
少女は「フフ」と笑った。
「いえ。あなたは取り返しのつかないところまで、踏み入ってしまったの。もう見逃すことはできない」
はじめて出会ったときから、この少女の素性は謎に包まれていた。どうして自分はこの華奢な少女のことをここまで、恐れているのか……。
それは本能的にわかるのだ。山での暮らしで磨かれた、野性の勘という超常的な力でわかるのだ。“この少女とは戦うな„と……。
「どうして私がきみの主様の命を狙っているとわかった?」
フフ、と笑い「だから言ってるでしょ。わたしは人の心が読めるんだって」と姿は見えないけれど、少女が今どのような表情をしているかが手に取るようにわかった。
「嘘だと言っていなかったか?」
「嘘でもあるし、本当でもあるのよ」
ジョンは顔をしかめた。
「わけがわからないって顔をしているわね」
そういって少女が小首をかしげる姿が想像できた。
「心が読めるっていうのはあなたが思っているような非現実的な超能力のことではないのよ。トリックは至って簡単。話相手の瞳孔の動き、声音の音程。脈拍。額に浮かんだ汗、鼓動の音とか。
人はそのような感情の起伏が、否が応でもあらわれるものなの。
わたしはそんな些細な変化をまるで探偵のように推理しているだけ。だけど馬鹿にはできないのよ。それらのことは人の心を本当に読んでいるかのように、教えてくれるのだから」
そこまでいってまた少女は「フフ」と冷たく笑った。
「まだ信じられない? それじゃあ、今あなたが何を考えているか、おざなりにでも当ててみせましょうか。
今あなたは、『そんな人間離れした芸当ができるわけない』と思っているでしょう。どうかしら、当たってる?」
ジョンはヒヤリとした。細かなニュアンスの違いはあれど、たしかに自分が思っていたことだったからだ。
「どうやら当たっているようね。あなただって似たようなことはできるはずよ。ただ、素材が違うだけで、ね。
もし人間を二種類に分けるとしたら、人間には先天的な才と、後天的な才を持つ人がいると思うの。わたしとあなたは後天的な才の持ち主。
あなたは幼いころの何かがきっかけで、その人間離れした身体能力と感覚を得た。わたしも後天的な才、もっと詳しくいうなら人工的な才を与えられた。言うなればわたしは人の手によって生み出された、兵器なの。あなたとわたしはただそれだけの違いなのよ」
いつの間にかホールの悲鳴は納まっていた。
「皆さま。安心してください」
ラッキーは踊り場の上から、招待客に語りかける。
「部下たちに管理室を見に行かせた結果、停電とのことです。このような終焉になってしまったことを深くお詫び申し上げます。
私の部下たちに屋敷の外まで案内させますので、足元に気を付けて続いてください」
ラッキーの一言で平常心を取り戻した招待客たちは、部下たちの声のする方角にトボトボと遠ざかって行くのが音だけでわかった。
「この屋敷に入ってきたときから、あなた達は袋の鼠だったのよ。おかしいわよね。殺しに来たつもりが、殺されに来たのだから」
この状況でラッキーに近づくことは愚か、逃げることも不可能に近いかもしれない……。自分一人ならともかく、あの人を連れて逃げることは絶対に不可能だった。
足音が遠ざかるのを待っていたかのように、少女はまた歩みを進めた。
「今までありがとう。あなたみたいな人がいてくれて、少しだけいい暇つぶしになったわ」
少女は落ち着いた口調でしゃべりながら、低調のヒールを打ち前進した。
「あなたの話しを噂で聞いてときから、面白そうな人だと思っていたのよ。弟を捜すついでに、あなたのことを捜していたの。
やっと見つけたと思ったら上手く巻かれてしまうし。あなたの後をつけるのも本当に手を焼いたのよ」
少女は干渉気味につぶやきながら、ゆっくりと近づいて来る。
ジョンは少女が近づいて来た分だけ、後下がりした。
広いホール内はどれだけ後下がりしようと、壁にぶつかることはなかった。
けれど、いつ壁にぶつかるかわからない。
ここはホールのどの辺りだろうか。丁度ホールの真ん中ほどだろう。
そのとき二階の広間から激しい雷光のような光が見えたかと思うと、銃のような甲高い音がホール内に鳴り響いた。ここにいては蜂の巣になるのは火を見るよりも明らかだった。
「何をやっているッ!」
今まで聞いたことのない芯のあるラッキーの声がホール内に響いた。
「こんな暗黒の中銃を使うなッ! お客様に当たったどうするッ!」
ラッキーの一言で銃撃が終わった。
「レムレース。後は頼んだ」
ラッキーは少女の名を呼んで、頼んだ。何を頼んだかなど、考えるまでもなくジョンを始末することだ。
「任せてちょうだい」
ジョンは悟った。
これは冗談なのではなく、下手をすると本当に殺されてしまうと――。