file15 『山狩りの日』
翌日、女の叫びで私は目を覚ました。
女は動転しているのか、興奮気味で言葉にならない言葉を吐く。私はベッドから起き上がり、女の後ろに立ち、問うた。
「どうしたの?」
女は蒼白になった顔をしており、眼球は飛び出んばかりに見開かれていた。
寝起きだからか、目は血走っている。私は女のその顔が怖い、と思った。
口をぱくぱくさせながら、言葉を探している女に、
「僕がやったんだよ」
と答えた。女が何を訊きたいのか分かっていたから、先回りして私は答えた。
「ど、ど……どうして……」
女がいうと、
「悪いことをしたら、誰かが裁かなきゃいけないんだ」
私は女を見上げて答えた。
翌日の早朝、キクマとバートンは再びランゴー村にやってきた。こんな早朝だというのに、早くも広場には民衆たちが集り朝とは思えないテンションで色めき立っている。
百人に満たない村人たちの半数は集まっているだろう。それだけで、怪物討伐にかける村人たちの意気込みが伝わってくる。
その中にはジンバ村長もいた。
そして、沢山の警官も集まり、お互いに会話を交わしている。警察官たちは長靴を履き、厚手の装備で武装しているのに対しキクマとバートンは普段のスーツ姿であった。
警察犬のシェパードが、数えるだけで五頭以上はいる。よく訓練された犬はおとなしくお座りし、凛とした目を周囲に行き届かせていた。
周囲を見渡していると、キプスの姿が見えた。
もう頭には包帯を巻いていない、怪我は大したことはなさそうだ。しかし、まだ腕には包帯を巻いていおり、怪物討伐には参加できそうにない。本当に案内役を志願するつもりだろうか。
「キプスさん、本当に大丈夫ですか?」
バートンはキプスの下に歩みより、問う。
「あ、バートンさんですか。腕の怪我だけですから大丈夫ですよ。私が怪物に襲われた場所まで案内するだけです」
首から包帯を巻き、吊り下げるようにして腕を固定されている。
案内だけなら大丈夫そうだ。
「頼もしいです。その場所まで案内してくれたら、後は任せてください」
「ええ、その場所までいったら私はすぐに隠れてますよ。もしそれでも危険があったら、これがありますから」
そいうって、キプスは抱えるように持っていた猟銃をバートンに見せた。
長年使い込み汗や手あかが浸み込んだ、年季を感じさせる猟銃だ。猟師としての腕は相当なものだろう、仲間にいてこんなに頼もしい人はいないかもしれない。
怪我をしていても、キクマやバートンよりは頼りになる。
バートンがキプスと話に花を咲かせていたとき、警察官たちが山狩りの作戦を広場の中央で語り出した。輪になって真ん中で語っている司令官ぽい人の話にみんなは耳をかたむける。
司令官の話は簡単なものだった。
キプスが怪物に襲われたという場所まで本人に案内してもらい、周辺を狩っていく。そんなこと説明されなくったて分かり切っていることだった。
作戦会議が終わり、山狩りが始まる。
*
歩きなれた山道だけあって、キプスは若い者より歩きが早い。キプスが通る道は草木が生い茂り、殆ど獣道と言ってもいい荒道だった。
太陽の光は生い茂る樹々にさえぎられ、獣道は薄暗い。太陽が届かないから、じめっとした臭いと空気が異界の雰囲気を漂わせている。
いつも、キプスはこの道を通っているのか、それを思うと感心する。バートンなど決して真似できない。
シェパードたちが地面のにおいを嗅ぎながら、先頭を進んでいる、その後ろをキプスが進んだ。キプスの後ろを警察官たちが続き、警察官たちの後ろを、バートンたちが続いた。距離を保ち、縦一列で進んで行く。
人間には分からないが犬たちには、においの道が見えている。犬にはにおいが見えるのだ。においが見えるという経験を、バートンは体感したことがある。
二組づつの列になり犬の尻を追いかけ、バートンはキクマと組みになっていた。
踏みしめる草や枝がパキパキ、と静かな森の中に鳴り響く。歩きずらいったらあらしぃない。バートンは腕に抱えた猟銃を強く握りしめ、それでも進む。
バートンでも厳しい獣道なのだから、さぞキクマは大変だろう、と思いとなりを見ると平気な顔をしているじゃないか。バートンよりキクマの方が体力がありそうだ。
周辺を見渡す、自分たちがいまどこに居るのかさへ分からなくなっている。
もう方向感覚さへ失った。もし、今列からぐれてしまったら、森の中で野垂れ死にするか、怪物に食われて死ぬしか道は残されていない。バートンは改めて、はぐれないようにしなければ、と心に刻み込む。
「ここで襲われたんです」
できる限り前を歩く警官と距離を詰めていたとき。キプスは立ち止まりいった。どうやら、ここが目的地らしい。
と、いうことはいつ怪物が襲ってきても、おかしくないということだ。バートンは周辺を警戒しながら、見渡す。
「あとは私たちに任せてください」
一人の警官がいった。
「はい、後はお願いします」
警官たちは二手に散らばる。十四人を二で割った、七人ずつで捜査を開始したのだ。バートンとキクマもはぐれない程度に続く。
二人は、はぐれないように猟師の背中を追いかける。歩いていると樹々はまるで測ったかのように等間隔で並んでいるのが分かる。
樹々の陰に何かが隠れていたとしても分からないだろう。そう思うと恐ろしくて、動けなくなりそうだ。
「おい、何やってんだ」
キクマが挙動不審状態のバートンにいう。
この人は恐怖というものがないのだろうか。さすが日本人の血を引いているだけあるものだ。この人といれば恐れることはなにもない、と思えるから不思議だ。
もし何かあれば、キクマの後に隠れよう、本気でそう考えた。
「あ、なんでもないです……」
バートンは影のようにキクマに付きまとう。キクマは鬱陶しそうに、バートンから距離を取ろうとするが、バートンは離れない。
まるでストーカーのように付きまとう。
離れたり、くっついたりを繰り返すうちにキクマは諦めた。
三十分は森の中をうろついていただろうか、警戒という集中力が尽きかけたときのこと、もう一組のチームの叫び声が樹々に反響して聞こえてきた。
「いたぞォー!」
男の声が樹々に反響して、響き渡る。猟師たちは声が聞こえた方向に駆けだした。バートンとキクマも後に続く。
走ると草に足を取られ、何度もこけそうになった。バートンとキクマは走りながら、猟銃の安全装置を外し、いつでも撃てる構えをとる。
これでいつでも発砲できる状態。
叫び声に近づいてくるにつれ、猟師や警官が走り回っており、ぶつかりそうになる。何人もの男たちが一斉に叫んでいる。
いや、どこかおかしい尋常じゃない叫び声だ。と、思ったそのとき、樹々のあいだを何かが通り抜けたのが見えた。
すると、また、大きな叫び声が森に響き渡る。
その光景をバートンとキクマは釘付けに見ていた。灰色の毛をなびかせ、眼光が尾を引いた。鋭い牙が刃物のようなきらめきを放ち、警官の足に喰らいつく、その光景を。
二人は目の当たりにした。
それは強大な怪物。通常の大きさを遥かに超えた、体格、骨格を持つ、狼。言うなれば狼王という呼び名はこいつのためにある、と言っても過言ではない巨大な狼がバートンの前方に現れた――。