case125 ラッキーの人柄……
その男の登場により、ホールの雰囲気は一転した。女たちは色めき立ち、男たちは良い関係を築こうと躍起になる。
黄金色の髪をなであげた男は、完璧な対応で応じる。その姿はマフィアのボスなどではなく、大企業の社長のようだった。
握手を交わし、軽い談笑をして次から次へと招待客の相手をする。彼の前に集った人々を次から次へと消化してゆく。
このペースでいくと招待客皆と挨拶を交わすだろう。集った人々をすべてさばきおえると、彼はハッと誰かを見つけたようにこちらに近づいて来た。
「やあ、あなたも来てくれたんですか」
ラッキーは男のもとまでやって来ると、軽いハグを交わした。
その様子だけで、二人の仲がどれほどのものかうかがい知ることができる。
「きみに招待されて、出向かないと後が怖いからね」
男は冗談なのか、本気なのか、どちらともとることができる声でいった。それを聞いて、ラッキーは人の良さそうに笑う。
「ハハハ、人聞きが悪いですね。出向くも出向かないも、自由に決めてくれればいいのに」
「冗談だよ。招待してくれて感謝する」
「今夜は楽しんでください」
ラッキーは手のひらを胸にかざし、丁寧に頭を下げた。
「ところで、そちらの方は?」
ラッキーは男の横後ろに突っ立っているジョンを見つけると、不思議そうに眉を上げた。
「彼は私のSPだよ」
「SP」
そういうとラッキーはもう一度ジョンに視線を向ける。
「今夜は楽しんでください」
人好きのする微笑みを浮かべて、ラッキーはジョンに言葉を投げかけた。ジョンは答えることなく、軽く頭を下げた。
そのとき「お久しぶりね」とラッキーの背後から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
ラッキー背後から黒いドレスのスカートが見える。
その黒いドレスの少女はゆっくりとラッキーの背後から躍り出て、スカートの裾をつかみ絵に描いたようなお辞儀をして見せた。
「きみの知り合いなのかい?」
「ええ、わたしが悪い男たちに絡まれているときに助けてくれたの」
微笑みながら、黒いドレスの少女は、「ねえ。そうでしょ」とジョンに問いかけた。
ジョンは答えずに、少女を見すえた。
レムレースはいったい何を考えているのだろうか。
下手なことをいうわけにはいかない。黙秘をつくのが一番失敗がない。
「悪い男に絡まれた? きみがかい」
ラッキーは信じられないなという風にいうと、レムレースは彼を鋭い眼つきでキリリと睨んだ。
「わたしが絡まれていたらおかしいかしら?」
レムレースの一言にラッキーは顔を青白くさせて、ブンブンと首を振った。
「いや、きみは美しいからね。街を歩いていたら男がほっておかないだろう」
「当然よね」
レムレースは満悦気味にうなずいた。
「この子を助けてくれたようですね。どうもありがとうございました」
ラッキーはジョンの眼の前まで近寄り、頭を下げた。その頭の低さは、本当にマフィアのボスなのか、ますます疑わしく思わせた。
どう答えていいのか、ジョンは戸惑う。この男がジェノベーゼファミリーのボスなのか……? レムレースとのやり取りを見ている限り、ただの気のいい男という印象しか受けなかった。
「これからもこの子を見つけたら軽く遊んであげてください。この子友達がいないから、声かけてやるだけでも喜びますから」
ラッキーは親が我が子と同年代の子供に、頼むような口調でジョンにいった。本当にこの男はボスなのだろうか?
「それでは今夜は楽しんでください。僕はまだ他の方々と挨拶しなければ、なりませんから」
そういって、ラッキーはジョンたちの前から去って行った。
思っていた人物像とは、かけ離れていた。本当にあの男はボスであっているのだろうか。ジョンは自信をなくしていた。
「あの」
できるだけ小さな声で、男に問う。
「なんだね」
「あの男がラッキーでしょうか?」
今更どうしたという風に、男は声を潜めて「そうだ」とだけ答えた。
やはりそうだったのだ……。改めてジョンはラッキーの背中を見た。ラッキーの背中は庶民的で、ジェノベーゼファミリーという大きな組織のボスであるとは到底思えなかった。
しかしジョンにはそんなこと関係ない。あの人物がジェノベーゼファミリーのボスで、今回のターゲットであることには変わらないのだ。ジョンは行動に移すことを決意する。
「それでは」
ジョンは男にそれだけ告げて、一時別れる。
人垣を縫ってジョンは、廊下に出た。
「どうされました?」
廊下には見張り役の人間が二人、道をさえぎるように立っていた。
ここを突破するのは骨が折れるかもしれない。
「道に迷ってしまい。トイレはどこにあるでしょうか」
ジョンは絶対に疑われないであろう回答を返す。
見張りの警戒が解けた。
「トイレならあちらです。私たちが案内しますよ」
見張りの一人が長い廊下の果てを指さして、いった。
「お願いします」
男の後に続きジョンは歩き出す。二人いた見張りの一人は、同じ立ち位置に戻り、一人の男が動く。
長い廊下には等間隔にシャンデリアがぶら下がり、レッドカーペットがどこまでも伸びている。以前張り込んでいたピエール議員の屋敷も大きかったが、ここは別格だった。
まるでフランスのベルサイユ宮殿のようだとジョンは思った。
「ここがトイレです」
男は豪奢な両開きのとびらが、異様に映えるドアを示していった。案内されなければ、ここがトイレだと絶対にわからないほどだ。
「ありがとうございます」
ジョンは軽く頭を下げて、とびらに消えた。
とびらに耳を付けて、聴覚に意識を集中させて見張りの男が去ったかどうか確認する。男が遠ざかって行く足音が、糸電話の糸を伝うように聴こえてきた。
ジョンは早速トイレ内を見回した。壁にかけられた白と赤のバラが綺麗なコントラストを描いた、トイレとは思えないトイレだった。
床は白と黒のドット模様のタイルで、手洗い場には大きな鏡が取り付けられている。鏡には黒い礼服を着た自分が映し出されていた。
胸ポケットからハンカチーフを出し、着崩れのない新品の礼服に身を包んだ自分は別人に見えた。ジョンは礼服を脱いで、汚れないようにとびらの取っ手にかけた。
そのまま視線を上に映し、あるものを探す。
天井に視線を這わしていくと、通気口へと続く狭い通路を見つける。ジョンは便器を足場に、靴底に隠し持っていたドライバーでゲージを外してダクトに体をねじ込んだ。
ダクトの中は人一人が体を擦り合わせて通ることができるほどの幅しかなく、シャツが溜まっていたホコリで汚れた。
後は予定通り、管理室への通路を辿るだけ。ジョンは匍匐前進でダクトの中を進みはじめた――。