case124 検査の日
鏡として使えるほど磨き抜かれた長い廊下に、子供たちの列ができている。みんな慣れた様子で、無駄な動きはない。
一人ひとりタダイ神父の部屋に入ってゆく。昆虫のように決められた動きをする子供たちの中に、四人だけソワソワと自分の番を待つ子供たちがいた。
十歳以上の子供たちが集められ、毎月検査が行われるという。その検査というものを受けるため、子供たちは長い列を作っているのだ。
「検査って……何をするんだろうな……?」
カノンは人一倍不安そうに後ろにいるセレナに問うた。
「なに怯えてるの? 男なのに情けない」
「お、おびえてねえーしッ。ただ訊いただけだろ。わかんないことを聞いちゃ悪いのかよッ」
カノンは言い訳をするようにまくしたてた。
「べつに悪かないわよ。昨日あの子が教えてくれたじゃない。あの子がいったありのままでしょう。それ以上はあたしだってわかるわけないじゃない。そのときになればすぐにわかるわよ」
そう言っている間にも一人、また一人とタダイ神父の部屋に子供たちは吸い込まれてゆく。それから十分後にチャップが中に入った。ニ十分ほど経つか経たないかで、チャップは出てきた。
「どうだった?」
ミロルが終わった後がカノンだ。カノンは敵陣に赴くまでにできるだけ、情報を集めようとする兵のような厳重さで訊いた。
「入ってみればわかるさ」
出血しないようにチャップは腕を押さえている。その腕を見て、カノンは顔を歪ませた。
「まあ、そう心配するなって。検査なんてすぐに終わるから」
励ますようにチャップはカノンの肩をトントンとたたいて、歩き出した。カノンとチャップが話している間に、ミロルはタダイ神父の部屋に入っていた。
チャップよりも早くミロルは出てきた。立ち去り際にカノンは訊く。
「えらく早かったじゃないか?」
ミロルは肩をすくめて、「ああ」と答えた。
「暴れなければ早く終わる」
と、だけ言い残して、ミロルも自分の部屋に戻る。
それからすぐカノンが呼ばれた。緊張に固まった体をカクカク動かして、カノンは歩く。相当緊張してるんだな、とニックは苦笑いを浮かべた。
カノンは長かった。他の子供たちは平均してニ十分ほどだが、カノンは優に三十分を超えたのだ。残すところはニックとセレナの二人だけなので、他に待つ者はいないが、さすがの二人も待ちくたびれてしまった。
やっと出てきたときには、カノンはげっそりと疲れ果て覇気がなくなってしまっていたのだ。
「いったいどうしたんだよ?」
「え、ああ……ちょっとな……」
答える声にも覇気がなく、おじいさんのように背中も曲がってしまっている。
カノンと話をする間もなく、ニックの番が来た。
とうとう自分の番か……ニックは気合を入れタダイ神父の部屋に入る。
「そこの椅子に座って待ちたまえ」
ニックを出迎えたのは、タダイ神父ではなく白衣を着て眼鏡をかけた若い男だった。タダイ神父は自分の机に座り、検査の様子をただみている。
「あ、あの、あなたは?」
「ボクかい? ボクは医者だよ。月に一度君たちの身体検査を任されているんだ」
男はテーブルの上の書類に何かを書きながらいった。ニックは緊張で体をこわばらせていたら、男の陽気さでほんの少しだが緊張がほぐれた。
「きみの名前は?」
名前……そう言えばチャップたち以外から名前を訊かれた経験はない。
「に、ニック……」
変に力が入り、うあずったような声が出た。
「きみがニックくんか。話は聞いているよ」
「おれの話を……?」
ニックは自分を指さしていった。
「そうだよ」
眼鏡の男は感情の読み取れない、微笑みをうかべながら答えた。
ニックと話した内容らしきことを、男は書類に書き込む。
書類に目を落としたまま、男は更に質問を続ける。
「ニックくんは何か病気とか持ってる?」
「多分、持ってない……」
「うん、そうだろうね。見るからに健康そうだ」
褒めているのか、けなしているのかわからないことをいった。
「ニックくん達は最近ここに入ったばかりだってね」
「うん……」
「ここの暮らしはどうだい? 楽しいかい」
「まあ……楽しいよ……」
「そいつは良かった。それじゃあ、ちょっと検査をはじめようか」
男は立ち上がり、検査機器が並ぶ場所にいった。
「まずはここに立ってくれる?」
そういって男は高い棒が直立し、頂上に突起物のようなものがついた、機械のようなものを指さした。
いわれるがままニックは棒に背をそわせるようにして立つ。
「うん、140㎝っと」
男は慣れた手つきで、書類にペンを走らす。
「それじゃあ、次はこれを思いっきり握って」
ニックは男から渡された、木の棒を組み合したようなものを思いっきり握った。男は同じようにペンを走らす。
男がやれと言ったことをニックは口答えする事無く、実行した。男のいうことをすべて実行した後でも、まだ十分も経っていない。
カノンはどうしてこんな簡単なことに三十分以上も費やしたのだろうか?
「それじゃあ、これで最後だ」
男はテーブルの上に置いていた、ブラウン色の革のカバンから小箱のようなものを取り出した。その小箱を開けると、中から細い筒状の物を取り出す。
ニックは本能的に体中が泡立つ感覚を感じた。
注射だ……。男は注射を取り出したのだ。
「ちょっとチクっとするだけで、全然痛くないからね。色々な病気を予防するためにも、この注射が必要なんだ」
そういって男は筒の中に透明な液体を注ぎ込む。最後に空気を抜き、透明な液体が楕円を描きながら宙を舞った。
悪夢で見たあの光景がどうしてもフラッシュバックして、逃げろと囁きかける。ニックは自我を保ち、必死に逃げ出したい気持ちを押し殺した。
「腕を出してくれる」
男はニックの前に座り、注射を構えた。
心を無にして、ニックは腕を出す。膝が小刻みに震えていた。
「そんなに怖がらなくて大丈夫だよ。痛くないから。力抜いて」
自分ではわからないが、体がこわばり力が入っているのだ。
ニックは精いっぱい力を抜くことに努めた。
体の中に金属の冷たい感触が入ったと思うと、ニックの頭にキリリと針金を刺されたような痛みが稲妻のように走り抜ける。
この感覚以前もどこかで経験したことがある……。頭の奥底に眠っていた、記憶の断片が一瞬とてつもない速さで脳内を巡って行くような感覚を味わった。
「はい、終わり。十分ほどそこのベッドに寝転んで、経過を見よう」
ニックは男が指示したベッドに寝転んだ。体がだるく、火で熱せられているかのように熱い……。意識が朦朧としはじめた。
その光景を見て、男とタダイ神父の顔色がみるみる変わっていく。
「アレルギー反応……」
男は目を白黒させながら、ポツリとつぶやいた。
「アレルギー反応……?」
タダイ神父ははじめて聞く言葉のように、動揺を滲ませた声で同じように言った。
「ニックくん……きみはやはり、適合者なのか……」
ニックはタダイ神父たちが話している内容を、朦朧とする意識の中でかすかに聞いた――。