case123 明日の予定
子供たちの群衆に四方八方を囲まれている。逃げることもできず、次々に押し寄せる子供たちに押され、おしくらまんじゅう状態だった。
懲罰房に入れられていたせいで、チャップたちはサーカスの動物たちのように注目されていた。
「大丈夫だったか? 相当怒られたんじゃないか?」
面白半分に十歳ほどの子供がチャップたちに訊く。
「まあな……」
「どうして、勝手に抜け出したりしたんだよ?」
「ソニールを捜しに行ったんだよ……」
「ソニールは新しい家族に引き取られたんだぞ」
「ああ、今さっきタダイ神父から聞いたよ……」
子供は二ヒヒといたずら気に笑い、「とんだ骨折り損だったな」と無邪気にいった。
「ああ、本当に骨折り損だったよ」
次々に質問を投げかけてくる子供たちに、チャップとカノンは適当に言葉を返した。
「懲罰房の壁に文字が刻まれていただろ」
黒髪を襟足まで刈り上げた子供が、いう。
「おまえも懲罰房に文字が刻まれていることを知ってるよか?」
カノンが訊いた。
「ああ、あれ怖いよな……。おれたちの間じゃ呪いの刻印って呼んでるんだよ……」
「呪いの刻印?」
「真夜中になるとあの懲罰房から悪霊が出るんだよ。深夜二時くらいになると、懲罰房から出てきた悪霊が院内を歩き回るんだ……」
わざと怖くしようとしているのか、黒髪の子供は顔に影を落とし語る。
カノンは顔を引きつらせながら、苦笑いを浮かべた。
「へへ……冗談はやめろって……」
「いや、冗談じゃないんだよ。何人もの子供たちが獣の唸るような、不気味な声を聞いているんだ。なあ、みんな」
黒髪の子供は誰にともなく確認をとると、休息スペースに集まっていた子供たちの大半が、「自分もその声を聞いた」と答えた。
「みんな、本当かよ?」
チャップは声を張り上げると、「本当だよ。夜中に不気味な声が聞こえることがあるんだ。だから、懲罰房の子供の悪霊が彷徨ってるって噂されてるんだ。夜中にはなるべくであるかない方がいい」答えた少年の表情は真剣そのものだった。
「じゃあ、その懲罰房に閉じ込められてた子供は、死んだのか?」
「わからないけど、死んだんじゃないかな。だから、悪霊としてでるんだから。チャップたちも夜の寮内はなるべく、出歩かない方がいいぞ」
「ああ、忠告ありがとう」
「どういたしまして」
そういう風に三十分ほど話を訊かれると、子供たちも飽きが差しはじめ一人ひとり、どこかへと去って行った。
子供たちがいなくなってから、チャップたちも自分の部屋へ帰った。
「なあ、あいつらが言っていた悪霊の話しって本当なのかな?」
二段ベッドの下段で、腕枕をして横になっているニックは訊いた。
「そんなの嘘に決まってるだろ。幽霊なんているわけないじゃないか」
カノンは上段からいった。姿は見えないが、子馬鹿にしていることが、声音からうかがえた。
「その割には怖がってるようだったじゃないか」
「そ、そんな訳ないだろッ。あいつらが話しやすいように、話しに合わせてやってただけだ」
聞かれもしないことまで、カノンはムキになって言い返す。
「う~ん。そうなのか」
「そうに決まってるだろ」
そんなことを語りながら、ニックは眠りに落ちた。
ニックは夢を見た。白昼夢というものは悪夢をもたらすのだろう。ニックはいつもと同じ夢を見た。
夢の中で自分は眠っていた。
そして誰かが、自分を目覚めさせる。
「起きて。起きて」
やさしい女性の声だった。
ニックは一度目をぎゅっとつむって、開いた。
ぼやけた視界がゆっくりと、焦点を定めてゆく。
目の前に白衣を着た、女性の顔があった。
女性の顔をよーく見てみると、その女性はあのとき自分を逃がしてくれた女性だとわかった。
どうして、女性が自分を起こすのだろう。
それにこの女性はあのとき……白い少女に……。そこまで思い出して、ニックは考えるのを辞めた。なぜなら、あれは夢だったのだ。けれど今自分が見ているこの光景も夢……。
いったいどういうことなのだろう?
「あ」
言葉を出しかけて、喉が渇いていることをニックは悟った。しばらくニックは舌を動かし、唾液を分泌させるのに専念する。
「あなたは……?」
「忘れちゃった。あなた達のカウンセラーよ」
「カウンセラー……?」
女性はゆっくりとうなずき、「そう」とやさしくいった。
「それで、もう大丈夫?」
「何が?」
女性の顔が一瞬曇ったが、すぐに優しい元の表情に戻った。
「きっと、記憶障害を起こしてしまったのね。何もしてあげられなくて、ごめんなさい。
あなた達を解放させてあげられるものなら、解放させてあげたいのだけど、わたしの力ではどうしてあげることもできないの……。本当にごめんなさい……」
女性は深く頭を下げた、肩にかかるくらいの髪がだらりと顔にかかり表情を隠す。
「そんなこと気にしなくてもいいよ」
いったいどうして謝られているのかわからなかったけど、ニックは女性を慰めた。
「いつか必ず、こんな地獄から逃がしてあげるから――」
女性はそういってニックを抱きしめた――。
*
「おい、起きろ。今日は俺たちの当番だろ。早くいかないと厨房のおっさんに怒られるぞ」
二段ベッドの天井。正確には上段の床が視界に入った。
自分は目覚めたのだ。ニックは夢で見た女性の顔を鮮明に思い出せた。
「おい、起きたんならさっさと起き上がれよ。先に行っとくからな。後から来て怒られても知らないぞ」
チャップはそう言い残して、部屋から出た。
ニックはもうしばらく天井を見上げた。もうそろそろヤバいかな、というところまでボーっとしたのち上半身を起こし、チャップの後を追う。
「あ、やっと来たか。ギリギリセーフだな。もう少し遅れてたら、おっさんに怒られてたぞ」
「もうあの人の行動パターンはわかってるよ」
ニックがそういうとチャップはおかしそうに笑った。
夕食の支度を終えたときには六時を超えていた。
昨日懲罰房に閉じ込められていたのが嘘のように、いつもと同じ時が流れる。シスターカリーラの祈りに続き、祈りを唱え夕食をとる。
そこまでならいつもと変わらない日常だった。
食後の祈りが終わると、タダイ神父が食堂の中央に立ち皆に聞こえるよく響く声で告げた。
「明日、検査をします。明日の午前十時に私の部屋まで来てください。チャップくんたちはまだ検査のことを知らないので、誰か教えてあげてください」
それだけを言い残して、タダイ神父は暗い廊下に消えた。
食堂内はしばらくの間ザワザワと色めき立ち、その木枯らしが静まったと思うと、一人の少女がニック達が座る席の前に立った。
「あ……えっと、タダイ神父が言っていた検査ってなに?」
ニックは恐る恐る訊くと、少女は落ち着きのあるちょっと高い声でいった。
「身体測定とか、運動能力検査とか、注射とか、色々な検査をするの。だからあなた達も今日は早く寝なさい」
少女の話しを聞くうちに、カノンの顔色が徐々に蒼くなって行くのが一目にもわかった。
「注射もあるのか……?」
「ええ」
少女は素っ頓狂な声でいう。
「もしかして怖いの?」
「ま、ま、まさか……怖いわけないだろッ……」
少女は何もかも見透かしているように目を細め、「ふ~ん、そう。それなら、あたしは伝えたからね。寝坊するんじゃないわよ」と自分の持ち場に帰っていった――。