case122 ルベニア
執事は今にも泣き出しそうだった。主人を失った悲しみに顔を歪めているのか、怒りに顔を歪めているのか、そこまではわからない。けれど執事が心のそこから悲しんでいることはわかった。
そんな執事の意志をくみ取り、サエモンは書類を広げる。
しばらくサエモンは黙ったまま、文面に目を通した。サエモンにして長く、一言一句暗記するかのように読み込んでいる。
「ルベニア……。――教会?」
サエモンは誰に言うでもなく、自分に言うようにポツリとつぶやく。
「はい……その通りです」
ヴュリューケは応じた。
「旦那様が援助をしていた教会です」
「私としたことが……盲点でした。教会でしたか……。たしかに教会でも孤児たちを引き取っているところはありますね……」
サエモンは自分を責めるように、しばらく押し黙った。
めんどくせー奴だな、とキクマは呆れる。
「そのルベニアって教会に行けばとにかく、何かわかるんだな? 前に見つけた書類にガキたちを使って馬鹿な実験を行っているって、書いてあったぞ」
執事は顔を曇らせて、しばらく押し黙った。沈黙が数分とも、数十分とも続いたように思われたが、実際には数十秒ほどしか経っていなかった。
「わたくしには詳しく教えられていません。わたくしが知っていることは、子供たちを兵士にするために育てているということだけです……」
「ウルトラビースト計画――」
キクマはいった。
するとヴュリューケは瞳孔の開いた目で、キクマを見返す。
「どうしてその話を……?」
「俺の上司も昔、同じ実験を受けた奴がいるんだよ」
「キクマ様の上司……」
あごに手をそえてヴュリューケはしばらく考えるように目をつむった。
「キクマ様の上司とは、あのとき一緒におられた、たしか――ウイックと言われた方ですか?」
「ああ、昔にUB計画とかいうわけのわからねえ実験を受けたって話をこの前、聞いたばかりだ」
「そうですか――」
ヴュリューケは意を決したように言葉を継ぐ。
「はい、その計画のことでわたくしが知っていることをお話しましょう。ウルトラビースト計画は一世紀半も昔から、研究されてきた、研究され続けています。
ある科学者が人間の理性をなくし、リミッターを解除して身体能力を向上させる薬品の開発に成功しました。その薬品を投与された子供たちは、起動哀楽をなくしてしまうんです。兵器に感情などいりませんから。感情をなくした子供たちを兵器に育てあげるのです」
ヴュリューケの話しを一旦キクマはさえぎった。
「ちょっと待てよ。起動哀楽がなくなるって、ウイックは起動哀楽の塊みたいな奴だぞ」
「そうなんですか……? おかしいですね……」
そこでまたヴュリューケは黙り込んだ。しばらくすると、パッと何かを思い出したように再び顔を上げていった。
「話では感情をなくすと聞きましたが、確かにいわれてみればルベニア教会にいた子供たちは子供らしい、元気な子たちばかりでした」
ヴュリューケは考え深げに、唸った。
キクマは話題を切り替える。
「ヴュリューケさんはその薬を投与された人間が獣になるっていう話を信じるか?」
「人間が獣に……? その薬品を投与された子供たちは感情をうしなってしまいます……。つまり、獣のようになったと言えるのかもしれません」
「違うんだよ。本当に獣に姿を変えちまうんだよ……。昔から狼人間って怪物の話があるだろ。その狼人間みたいな姿にな」
ヴュリューケは信じられないという顔をしかめた。
「ごめんなさい……そこまではわたくしもわかりません……。けれどもしかしたら、人間を獣の姿に変えることも可能かもしれません。そう思えるくらい、あの薬品を投与された子供たちは常軌を逸してしまうのです……」
「ああ、べつにかまわねえ。あんたが書類を抜いていてくれたおかげで、場所を突き止められたんだから」
「これくらいしかわたくしにはできません……。ジェノベーゼファミリーは子供たちを育てて、戦争を起こそうとしているのです。
戦争を起こせば、武器が売れる。戦争に子供たちを使おうとしているのです……。どうか、そんな馬鹿げた計画を止めてください。どうか……お願いします」
ヴュリューケは深く頭を下げた。
「ああ、任せてくれ。そんな実験をしていたっていう証拠を突き止めて、必ず止めてみせる。だから安心してくれ」
キクマは強くヴュリューケに、そして自分自身に誓った。
*
行はこそこそと勝手口から侵入したが、帰りは表玄関から出た。まさか泥棒に入ったはずが、このような待遇を受けて出られるとは微塵も思わなかった。
夜が明ける寸前で、遠くの空が黒と紫が混ざった薄明に輝いていた。
「それじゃあ、これからどうする? 眠るか?」
キクマはサエモンが運転する車の中で、座席を倒し眠る準備を整えた。
「いま何時だと思ってるんですか? もう朝ですよ」
キクマは横目でサエモンを見る。本当に人間なのか、一晩中起きていたというのに眠そうな気配が微塵も感じさせなかった。
「おまえは化け物かよ。一晩中起きていたんだぜ。このまま仕事に出る気かよ」
前を見ながら、サエモンは口だけを動かす。
「当然でしょう。時間との戦いなんですよ。名前がわかったのです。眠る時間などありません。まずは、ルベニア教会がどこにあるのか突き止めなければ」
「俺はおまえみたいに化け物じゃないんだ。署についたら起こしてくれ。それまで俺は眠る」
そう言ったのもつかの間キクマは大きないびきをかきはじめた。
「たく」
サエモンは心で悪態をつきながらも、キクマを起こすことはしなかった――。