case119 かつての殺人犯
アノンは泣きながら、セレナに抱きついた。セレナはゆっくりとアノンの頭をなでながら、「大丈夫――大丈夫よ――」となだめるように言い聞かせる。
「どうして、閉じ込められてたの……?」
アノンはセレナの胸にうずめていた顔を上げて、涙に潤んだ目で見つめる。その表情からどれだけアノンが皆のことを心配していたかがうかがえた。
「それは無断で外出してしまったからよ」
「どうして……無断で外出したの……?」
「ちょっと捜してる子がいたから。ごめんなさい、心配させちゃったわね」
「本当に心配したんだから……」
「ごめんなさい」
アノンはやっとセレナから離れ、背後にいる少年たちを見た。
「オレたちのことは心配じゃなかったのかよ……」
やきもちを焼いたのか、カノンは皮肉りにアノンにいう。
「お兄ちゃん達のことも心配だったよ」
「その割には、オレ達のことをほっぽってセレナに一直線だったじゃないか」
涙で赤くした顔をアノンはさらに赤くして、「そ、そんなことないよっ!」と抗議する。
「そんなことないことないって、なあ」
カノンはからかい気味に誰ともなく訊くと、「まあ、なぁ~」とチャップは曖昧に相づちを打った。
みんなはおかしそうに笑った、ただ一人、アノンだけは不貞腐れてしまい笑わなかった。
アノンをからかいながら、皆は食堂に向かう。
他の子供たちより遅れて、朝食をとった。夕食を抜かれたおかげで、何気ないパンとスープの朝食はフランス料理のフルコースのように美味しかった。
出された食事をぺろりと平らげ、子供たちはタダイ神父のもとに向かう。タダイ神父の部屋は聖堂の奥にあり、普段は誰も入ることができない。
「アノンは部屋で待ってなさい」
「どうして? どこ行くの?」
セレナはアノンの肩に手をそえて、いうと心配そうに顔を歪めた。
「ちょっと、叱られに行かなきゃならないの。ご飯を食べ終えたら、改めて私のもとへ来るようにって言われてて」
「一晩閉じ込められたのに、まだ叱られないといけないの?」
セレナは答えずに、優しく微笑んだ。
「おい、行くぞ」
カノンはグズグズしているセレナを呼んだ。
「ええ、いま行くわ」とカノンにいって、「今度はすぐに戻ってくるから、少し待っててね」とアノンにいった。
アノンは呆然とセレナの後ろ姿を見送った。
*
シンプルだが重圧感のあるとびらの前に子供たちは立っている。
今一度子供たちは心の準備を整えた。
「みんないいな」
チャップはみなの顔を見まわしながら訊き、子供たちはコクリとうなずいた。
コンコンという音が長い廊下に反響しながら響き渡る。
しばらくしてとびらを挟んだ室内から、「入りなさい」という声が聞こえた。
ゆっくりとノブを捻り、引く。低周波を上げ、ドアは子供が一人入れるくらい開いた。そのすき間からチャップは中の様子を伺う。
「何をしているのですか。入ってきなさい」
タダイ神父の低い声がさっきよりもハッキリと聞き取れた。
「はい……」
そういってチャップは中に入る。それに続いて皆流れ込むように、神父の部屋に入った。
「そのソファーに座りなさい」
横一列に並んだ子供たちに、タダイ神父はいった。
子供たちは一様にうなずき、光沢を発する深い栗皮色のソファーに腰を下す。ソファーは驚くほど沈み、ハンモックに包み込まれるような感覚だった。
神父は眼鏡をかけて、子供たちが来てからもしばらく羽根ペンで書き物に専念していた。そして羽根ペンの先を布で綺麗にふき取り、眼鏡の間から覗き込むように子供たちに視線を向ける。
「どうして、ここに呼ばれたかわかりますか?」
タダイ神父は誰にいったのだろうか。子どもたちはきまり悪そうな表情のまま答えない。
「あなた達を呼んだのは、どうして無断でここを逃げ出したか? ということでです」
「ソ、ソニールを捜していたんです」
みなを代表して、ニックが答えた。
「ソニールがいなくなったんです……。タダイ神父はソニールのことを知りませんか?」
そういうとタダイ神父は一瞬顔をこわばらせ、机の上で手の平を組んだ。
「ソニールくんは新しい両親に引き取られました」
タダイ神父の答えはみなの思いもよらないものだった。
「ソニールは引き取られたんですか?」
チャップは疑うではないが、ちょっと信じられないな、という風に訊いた。なぜなら、ソニールはもうそれなりに大きくなっているし、選ぶならもっと小さくてかわいい子供たちがここには沢山いる中で、わざわざソニールを選ぶことはないのだ。
「ええ、ソニールくんを引き取りたいという人があらわれたのです。突然のことだったので、みんなにお別れを言うことができませんでした」
「それは……その……本当ですか……?」
チャップは訊きにくそうに、それでも訊かずにはいられなくて問うた。
「本当です。あなた達も喜んであげてください」
「はい……」
体をこわばらせたまま、子供たちは横一列に座り肩を寄せ合った。
新しい家族が見つかり喜ばしいことなのに、どうしてこうも心がざわつくのだろう……。この部屋にいる子供たちの誰もが、得体の知れないざわつきを覚えていた。
「わかりましたね。もう勝手な外出はしないでください。今度勝手な外出をすれば、今以上にきついお仕置きをしなければならなくなります」
「はい……」
「では、行ってよろしいです」
タダイ神父はそういって、また羽根ペンを取った。そのとき、「あの……。もう一つ訊いていいですか……?」とチャップはいう。
「何ですか?」
「その……あの俺たちが入れられていた部屋に……その……鋭利なもので彫られたような文字が書かれていたんですが……その……。あれは誰が書いたんですか?」
タダイ神父の表情が一瞬変わった気がした。いや、表情は穏やかなまま変わらなかったが、まとっている空気が重くなったようだったので、そう感じてしまったのだ。
「あれを見たのですね――」
タダイ神父はため息のような息を吐きだし、続ける。
「あれは昔ここに入っていた子供がしでかしたことです。その子供はとんでもない子供で、同じ寮に入っていた子を殺してここから逃げ出したんですよ」
想像もしていなかった解答に、子供たちはどう言葉を返して良いのかわからなかった。口をつぐんでいると、タダイ神父は続ける。
「その子の母親は夫を殺し、その子はここに入ったのです。こっちが優しくしていれば、恩を仇で返すようなことをして逃げ出したんですよ。
まったく、母親が殺人犯なら子供も殺人犯ですね。蛙の子は蛙とはよく言ったものですよ」
憎々し気にタダイ神父は、今まで聞いたことがないほど憎悪に満ちた声でいったのだ。
そこまでいって、余計なことをしゃべってしまったと思ったのだろう、タダイ神父は咳をして、「まあ、あの地下室に彫られた文字は、悪魔が刻んだものです。あなた達も悪魔にならないためにも、私たちのいうことをよく聞かなければなりません」と締めくくった。
「そ……その、逃げ出した子供は見つかったんですか?」
「いえ、見つかりませんでした。けれど、どこかで野垂れ死にしているでしょう。まだ幼い子供でしたし、子供の足ではそう遠くにはいけない。
薄汚い服を着た見知らぬ子どもが、町を歩いていればすぐに噂は広まります。
近くの町を手当たり次第に探しましたけど、そんな子供を目撃したという人は一人もいませんでした。きっと、必死に逃げてる内に森かどこかに迷い込み、飢え死にしたか、森の怪物に食べられたことでしょう」
「森の怪物……?」
チャップは反復した。
けれど、タダイ神父はそれ以上話すつもりはないようで、「あなた達は知らなくていいことです。それと、あの森には絶対に入ってはいけませんよ」と窓から見える大きな森を指さしていった。
子供たちはおざなりに、返事を返した。わかったことは、あの文字は殺人犯が刻んだ、文字だったということだ。
子供たちは昔、この院にいたという殺人犯がどんな人物だったか想像した。殺人犯はどうな気持ちで壁に文字を刻んだのだろう……?
それはかつてここにいた殺人犯にしかわからないことだった――。